05.26
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』が人生を変えた。元子役キー・ホイ・クァンが語る、30年ぶり俳優復帰の裏側
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3月に開催されたアカデミー賞で、助演男優賞を受賞したキー・ホイ・クァンさんが子役時代に出演した『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』が、5月26日午後9時から金曜ロードショー(日本テレビ系)で放送される。
名優ハリソン・フォードさん演じる考古学者インディの相棒役の少年、ショート・ラウンド役で一躍人気子役となったクァンさんは、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で30年ぶりに俳優業に復帰し、大きな注目を集めた。
1980年代に子役スターとなるも、その後俳優の夢を一度は諦めざるを得なかったクァンさんは、なぜ今華々しいカムバックを果たせたのか。そして、難民でもあったクァンさんの知られざるライフヒストリーとは。単独インタビューで本人に聞いた。
※この記事は、2023年3月に掲載した記事を再編集しています。
ベトナム戦争で難民に。「両親は私の人生のヒーロー」
クァンさんがミシェル・ヨーさんと夫婦役を演じた『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下、『エブエブ』)は、アカデミー賞の最高賞である作品賞も受賞。中国系の移民家族が抱える複雑な葛藤を、カンフーアクション満載のSFアドベンチャーを通して描き出した。
「移民の家族を見ていると、自分の両親のことを考えずにはいられません。彼らのおかげで、私は明るい未来を手に入れることができた。両親は私の人生のヒーローなんです」
クァンさんが本作への出演を誇りに思うのは、俳優復帰が叶ったことだけが理由ではない。両親が中国人で、ベトナムで生まれた後に難民としてアメリカに渡った自身のルーツや家族と、重なるものがあったからだ。
1971年生まれのクァンさんは、幼少期にベトナム戦争後の混乱から逃れるため、家族と国を脱出した。
アメリカに着くまでに様々な困難があった。「トラウマになるような経験だった」として、クァンさんはこう明かした。
「まだ幼かった私は、両親がなぜ国を出る決断をしたのか理解できませんでした。
本当に、すべてを捨てなければならなかった。9人のきょうだいは、父と母の2組に分かれて違うボートに乗ってベトナムを出ました。家族は離れ離れになり、私は父と一緒に、香港の難民キャンプで1年過ごしました。
両親は私たち子どもたちが生きていけるよう、すべてを投げ出し多くの犠牲を払ってアメリカに渡った。家族全員がアメリカに来るのにたくさんの費用がかかったため、両親は多額の借金を背負っていました」
クァンさん一家が再び一緒に暮らせるようになったのは、1979年にアメリカに着いてからだった。そして、それから僅か4年後、クァンさんは思いがけない人生の転機を迎える。
それが、「ハリソン・フォードの相棒となる少年」を選ぶ『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』のオーディションだ。
難民として海を渡った自分が数年後、映画でスポットライトを浴びるーークァンさんは「信じられない話ですよね」と言って笑う。
「俳優という職業に、私は恋に落ちた」
オーディションには弟の付き添いで来ていた。弟に演技のアドバイスをするクァンさんにキャスティング担当者が注目し、当時12歳だったクァンさんが抜擢されたのだ。
「私は俳優を目指していたわけではなく、俳優という職業が私を発掘してくれたんです。そして私は恋に落ちました」
スティーブン・スピルバーグ監督に見出され、『インディ・ジョーンズ』の翌年には『グーニーズ』にも出演し、一躍人気子役になった。
その頃には「俳優一本でやっていきたいと思うようになった」クァンさんだが、次第に仕事は減っていったという。
「当時ハリウッドで働くアジア系俳優になるにはあまりにも障壁が大きかったのです。高校を卒業した18歳の頃、私は毎日電話が鳴るのを待っていた。でも、それが鳴ることはありませんでした。
いよいよ俳優から足を洗わなければならないとなった時、それはひどく苦痛なことでした。若く、未来は明るいと思っていた年頃でしたから、辛かったし苦しかった。混乱して意気消沈しました。
俳優という夢が途絶え、自分が何をすればいいのかわからなくなった時、私が唯一できたのは学校に戻ることでした。この業界から完全には離れたくなく、映画学校に入学しました。ずっと映画作りが好きだったのです」
俳優を一度は諦めて進んだ、“裏方”の道。クァンさんは俳優業から遠ざかったあとも、助監督や武術指導、通訳として映画に携わり続けた。
その中で学んだことがある。
「とても興味深かったのは、映画やそのビジネスをとても狭いレンズーー俳優のレンズからしか見ていなかったと気づいたことです。映画学校に行って初めて、映画制作に関わるすべてのことを学び、感謝するようになりました。
今撮影現場に行くと、俳優だけでなく、すべての人が見えるようになりました。撮影監督やそのチーム、プロダクションデザイナーやアシスタント、舞台美術、(軽食を提供する)クラフトチーム、照明、音声…映画作りのプロセス全般をより詳細に理解できるようになった。
もしあの時すべてがうまくいっていたら、このような知識は得られなかったでしょう。だから、すべての出来事には理由があるんです」
「私たちアジア系はもうジョークのネタではない」
50歳で再び俳優という夢に向き合うことを決めたクァンさん。その背中を押したのは、オールアジア系キャストで大ヒットを記録した『クレイジー・リッチ!』だった。
スクリーンの中で輝くアジア系の俳優たちを見て、「自分もこうなりたい」と強く思った。アジア系がキャリアを築くことが難しかった時代から、社会もハリウッドも変わり始めていた。
「当時は、ステレオタイプで周縁化されたアジア系のキャラクターばかりで面白みに欠けていましたが、今はずいぶん変わりましたよね。
私たちアジア系はもうジョークのネタではなくなり、とても意義のある役を与えられています。『シャン・チー』のようにスーパーヒーローになれるし、『クレイジー・リッチ!』のようにロマンチックなラブストーリーの主人公にもなれるのです」
クァンさんが変化を体感しているのは、人種や民族、文化的な描写だけではない。『エブエブ』で演じたウェイモンドの男性像を「とても気に入っている」という。
「この映画は、私たちが持つ“男らしさ”の認識を覆そうとしています。長年ハリウッドは、“強い男”とは何か、どんな男性キャラクターが描かれるべきかということに多くの制約を課してきました。
だから、ウェイモンドを演じることはとても解放的でした。彼の闘い方は人と違って、拳ではなく優しさで闘います。彼は弱さを見せることを厭いません。周囲から弱く見られることを気にせず、大切に思う女性たちをサポートすることに喜びを感じています」
「私の人生は変わった」。日本のファンへのメッセージ
賞レースでの『エブエブ』の勢いは止まらず、クァンさん自身も各地を飛び回って授賞式に参加し、いくつものトロフィーを手に入れた。
映画を愛するきっかけをくれたスピルバーグ監督やハリソン・フォードさんとも再会を果たすことになった。今後も複数の出演作が決まっている。
「この映画は私にとても感動的な旅を与えてくれました。ウェイモンドを演じたことで私の人生は変わったのです」。そうクァンさんは言う。
子役時代、ハリウッド映画に出演する数少ないアジア系俳優だったクァンさん。日本でも当時ファンクラブができるほどの人気で、今も30年ぶりのカムバックを祝福する声が溢れている。クァンさんは日本のファンに対し、こうメッセージを送ってくれた。
「『インディ・ジョーンズ』と『グーニーズ』が公開された時、日本にたくさんのファンがいたことを今も覚えています。
みなさんが私を最後に見た時、私はまだ子どもでした。それから長い月日を経て、この映画を日本の観客に見てもらえることにワクワクしています。そして、いつかまた直接会って挨拶ができる日が来るのが待ち遠しいです」
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
全国ロードショー中およびU-NEXTで独占配信中
監督:ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート
出演:ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァン、ステファニー・スー、ジェイミー・リー・カーティス
配給:ギャガ
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Source: HuffPost