2021
06.17

あらゆるコロナウイルスに有効な「ユニバーサルワクチン」、実現の日は近い

国際ニュースまとめ

<以前から研究が進められてきた分野だが、新型コロナ禍で一気に加速。いずれ起きる次のパンデミックに備える> バーニー・グレアムとジェイソン・マクレランが率いる研究チームは2020年1月、週末の休みを1回だけ返上して、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のワクチンを設計した。 彼らのデザインを基にモデルナやファイザーなどのメーカーがmRNAワクチンを製造し、何百万人ものアメリカ人が接種を受けたのは、それから1年ちょっと後のこと。現代医学でも前代未聞の「ワープ・スピード」での実用化だ。 接種が進む頃には、この気鋭のウイルス学者コンビは早くも次のパンデミック(世界的大流行)を見据えていた。問題は、どうすれば先回りして封じ込められるか、だ。 グレアムとマクレランをはじめ、いま多くの研究者たちは新たなミッションに挑んでいる。それは、新型コロナのワクチンに使われた技術を応用して、さらなる未来型新兵器を作ること。目指すは、いつでも使える状態で大量に備蓄しておけば、少しの変更を加えるだけで、新たに出現したコロナウイルスにも使える万能ワクチン。そう、あらゆる変異株、あらゆる種類のコロナウイルスに有効な「ユニバーサルワクチン」の開発だ。 今後も新たなコロナ流行の危険性は高い mRNAワクチンの効果が低下したときに追加で打つ「ブースターショット」や南アフリカ型やインド型など次々に出現する変異株に有効なワクチンの開発も焦眉の課題だが、忘れてはならないのは未来のパンデミックに備えること。グレアムらは全く新しいタイプのコロナウイルスの出現を抑え込もうとしているのだ。(編集部注:WHOは新型コロナウイルスの変異株について従来の国名を用いた呼び名ではなく、ギリシャ文字を使った区別を行うと発表。従来の呼び名がイギリス型、南アフリカ型、ブラジル型、インド型だったものはそれぞれアルファ、ベータ、ガンマ、デルタとなります。本稿では執筆時の呼び名となっています) ヒトに感染することが分かっている病原性のウイルスは分類学上の「科」のレベルで26を数え、コロナウイルス科はその1つにすぎない。 だが、この20年ほどの間に動物からヒトに飛び移り、死をもたらすような高い病原性を獲得したコロナウイルスは、SARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)に続いていま猛威を振るう新型コロナで3つ目。今後も動物の持つコロナウイルスがヒトに飛び移り、大流行する危険性は大いにある。すぐに実用化できなくとも、ユニバーサルワクチンの開発を急ピッチで進める必要があるのはそのためだ。 新型コロナの発生前から、研究者たちは既にこの困難な課題に挑んでいた。インフルエンザでも、ユニバーサルワクチンの開発は長年の課題になっている。実用化されれば、その年の流行予測に合わせて毎年ワクチンを接種する必要がなくなるし、新型インフルエンザの脅威にも対抗できると考えられるからだ。 ===== 今年2月、ワクチン開発者のグレアム(左)の研究室を訪問したバイデン米大統領(中央) CHIA-CHI CHARLIE CHANG/NIH 期待が大きい一方で、研究の進展を妨げるのが資金不足だ。特にコロナウイルス研究には助成金が下りにくいと言われてきたが、今回のコロナ禍でそれも変わりつつある。米国立衛生研究所(NIH)はコロナウイルスのユニバーサルワクチン開発を重点的に支援する方針を発表。米議会が可決した約2兆ドルの新型コロナ対策費にも10億ドルのワクチン開発費が盛り込まれ、民間の財団なども開発支援に乗り出している。 ウイルスが侵入すると、人体はその表面の特異的な形状を認識して、それに合う抗体を作る。抗体は細胞レベルの衛兵のようなもので、ウイルスを見つけると素早く結合し、他の免疫細胞が出動するまで抑え込む。 免疫系はウイルス粒子の形状のごく一部を記憶し、それを目印にする。大半のウイルスは遺伝物質をタンパク質の殻で包んだ粒子の形を取っているが、さらにエンベロープと呼ばれる脂質の膜で包まれたものもある。 コロナウイルスもエンベロープを持ち、そこにスパイクと呼ばれるトゲ状のタンパク質が突き出している。このトゲが宿主の細胞表面の受容体に鍵と鍵穴のような関係で結合すると、感染が成立する。スパイクは感染に不可欠の役割を果たす一方で、ウイルスの「アキレス腱」ともなる。 スパイクタンパク質を人工的に合成 NIHのワクチン研究センターで呼吸器感染症のワクチン開発を指揮しているグレアムは2010年代初め、博士研究員(ポスドク)だったマクレランと共に小児に重篤な症状を引き起こす風邪のウイルス、呼吸器合胞体(RS)ウイルスのワクチン開発に取り組み始めた。 だが開発は容易ではなかった。というのも、RSウイルスのスパイクタンパク質には形を変える能力があるからだ。形が変わると、抗体はスパイクをうまく捕捉できなくなる。 この問題を解決するため、マクレランとグレアムは、RSウイルス表面のスパイクタンパク質を人工的に合成する技術を開発した。この合成スパイクの遺伝子には、変形ができなくなるよう手が加えられている。1つの形状しか取れないということは、体内でそのスパイクタンパク質に対する強い抗体が作られる可能性が高くなるということだ。 実際、グレアムがこの技術を使って作ったワクチンをサルに注射したところ、見たこともないくらい強力な免疫反応を誘発することができたという。 ===== スパイクタンパク質の安定化に挑むマクレラン(左) VIVIAN ABAGIU/COLLEGE OF NATURAL SCIENCES AT UT AUSTIN グレアムは言う。「これらの(新しいワクチンによって作られた)抗体は、それまでの100〜1000倍も強力だった」 2人は13年に、この新しいワクチン開発技術についての論文を発表。個々のウイルスに合わせた抗体のレシピを作り、大量生産可能なワクチンの開発につなげるという、新時代の幕開けを告げる論文だった。このRSウイルスワクチンは昨年後半に第3相の臨床試験が始まり、来年には結果が出る見込みだ。 ところでこの論文が世に出た頃には既に、グレアムとマクレラン、そして2人と協力して研究を行っている人々は将来のパンデミックに備え、ワクチン開発手法の改良に着手していた。 12年にアラビア半島でMERSが発生した際も、2人は新しい技術を使ってMERSウイルスのスパイクタンパク質を標的にしたワクチンを開発。臨床試験の開始前にMERSの流行が終息したため、このワクチンは承認を受けるには至らなかったが、その後、新型コロナウイルス用のワクチン開発の基礎となった。 プロトタイプ開発への弾みに期待 MERS流行の後、グレアムは未来のパンデミックから人々を守る「武器」の備蓄計画について、上司である米国立アレルギー・感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長に提案を行った。19年夏にグレアムが発表した論文によれば、その内容は病原性のウイルスを26の科からそれぞれ代表的なものを少なくとも1つ選び、ワクチンのプロトタイプ(原型)を作っておくとともに、ワクチン製造に必要な原料を備蓄するというものだった。 そして論文が出た時点で既に、グレアムとモデルナはコロナウイルスのプロトタイプワクチンの開発可能性を示すための共同作業に着手していた。 そこに起きたのがコロナ禍だ。昨年1月に中国の専門家が新型コロナウイルスのゲノム(全遺伝情報)を発表すると、マクレランとグレアムはすぐにMERSワクチンの開発プランを引っ張り出し、スパイクタンパク質の変形を止める遺伝子への指令を参照。同様のものを組み込んだ新型コロナウイルス用のワクチンを作り、モデルナなどの製薬会社に送った。 「アメリカで初の症例が出る前から、こうした作業に取り掛かっていた」とグレアムは言う。 グレアムは新型コロナワクチンの成功により、将来のパンデミックから人類を守るプロトタイプワクチンの開発に向けた、組織の垣根を越えた開発努力に弾みがつくのではと期待している。一方で、今の新型コロナウイルスの変異に追い付くための戦いや、全く新しい病原性コロナウイルスに備えるための努力も続けられている。 ===== 今のRSウイルス感染症の対策は薬のみ JEFF GRITCHEN-DIGITAL FIRST MEDIA-ORANGE COUNTY REGISTER/GETTY IMAGES 昨年春、マクレランは改良版のワクチン設計手法を発表。合成スパイクの構造に追加で多くの変化が加えられ、さらに変形しにくくなった。これにより、より強い免疫反応が得られる可能性がある。 これは、途上国で一般的なインフルエンザワクチンを作るのに使われている既存インフラでの製造が容易になることを意味する。ワクチン接種が進んでいない多くの国々が抱える供給不足の解決にもつながるかもしれない。ベトナムやタイ、ブラジル、メキシコでは新しい技術を使って作られたワクチンの臨床試験が始まっている。 一方、ワクチンを製造する欧米の製薬会社は、新たに出現する変異株を既存のワクチンで確実に抑える方法を模索している。モデルナで感染症研究部門を率いるアンドレア・カルフィによれば、同社は変異株を注視してきた。「カリフォルニア、ニューヨーク、イギリス、南アフリカで確認された変異株の中で最も懸念されるのは、南アフリカ型だ」と、彼は言う。 南ア型の変異株はスパイクタンパク質の形状を変えることで抗体に認識されなくなり、ワクチンの防御を擦り抜ける恐れが最も高い。モデルナは南ア型に対して臨床試験を行い、3つのアプローチを試している。 ユニバーサル型が最強の防御策 いずれも被験者は2回のワクチン接種を終えている。体内の中和抗体が増えることを期待して3回目の追加接種を行うのが、まず1つ。南ア型のスパイクタンパク質に合わせて手を加えた修正版ワクチンを打つのが2つ目。既存のワクチンと修正版の混合接種が第3のアプローチだ。 だが長い目で見れば、あらゆるコロナウイルスに対応できるユニバーサルワクチンを開発するのが最強の防御策だろう。 マクレランは複数のコロナウイルスが保存しているとみられるスパイクタンパク質の一部を特定した。だが抗体を獲得するまで形状が変わらないようにタンパク質の構造を安定化させる方法については、実験が始まったばかりだ。 成果はほかの研究室でも上がっている。なかでもマサチューセッツ州ケンブリッジに本拠を置くバイオ企業VBIワクチンの取り組みは、臨床試験に向け準備が着々と進む。 ===== ワクチン開発のカギを握るコロナウイルスの特異なスパイクタンパク質 DAVID VEESLER, UNIVERSITY OF WASHINGTON VBIワクチンが挑むのは、病原体に酷似したタンパク質を設計し免疫系に送り込むテクノロジーの開発だ。研究には、過去数カ月で数千万ドル規模の資金が集まった。この技術を使ったワクチンは南ア型の変異株にも効果があり、しかも接種は1回で済むという。臨床試験は年内にも開始される見込みだ。 マウスを使った実験ではワクチンがSARS、MERS、新型コロナウイルスに対して免疫反応を誘発し、さらに風邪の原因の42%を占めるコロナウイルスへの効果も実証された。「ウイルスのスパイクタンパク質が赤、青、黄色の三原色だとしたら、実験はオレンジ色に対する中和抗体も作れることを証明した」と、ジェフリー・バクスターCEOは言う。 NIHのグレアムも汎用性の高いワクチンの開発を目指す。彼が5年前からタッグを組んでいるのが、ワシントン大学で構造タンパク質を研究する生物学者のニール・キング。キングは自己組織性を持つナノ粒子をカスタマイズする技術を考案した。 五角形と六角形のタンパク質がモザイク状に組み合わさった粒子は、いわばナノの世界のサッカーボール。コロナウイルスワクチン用のナノ粒子は、表面から20種類のタンパク質が突き出ている。突起は全て形状が異なり、おのおのがSARSやMERSのスパイクタンパク質と似ている。ワクチンとして体内に入ったナノ粒子は免疫系を訓練し、突起の形が近いスパイクタンパク質を片っ端から攻撃することが期待される。 新兵器は「サッカーボール」 キングはデータ分析を使い、それぞれ独特なスパイクタンパク質を持つコロナウイルスに対してどの突起が免疫反応を誘発する可能性が高いかを判断する。 コロナ禍以前から、キングとグレアムはナノ粒子型ワクチンのマウス実験を行っていた。実験用のナノ粒子にはSARS、MERSのほか一般的な風邪の原因のコロナウイルス4種のスパイクを装備した。うまくいけば新しいコロナウイルスが出現しても、そのスパイクタンパク質が6種類の突起のうちの少なくとも1つと十分に似ていれば、免疫系が危険物と見なし攻撃してくれる。 「このアプローチが成功すれば、広い範囲で防御効果を持つワクチンが完成する」と、キングは言う。「そんなワクチンを私たちは必ず作ってみせる。後は血のにじむ努力と……研究資金の問題だ」

Source:Newsweek
あらゆるコロナウイルスに有効な「ユニバーサルワクチン」、実現の日は近い