2025
11.08

ドラマ「じゃあ、あんたが作ってみろよ」が面白い。人間はなぜ「食べること、作ること」から自由になれないのか

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火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS系)火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS系)

最後に筑前煮を作ったのはいつだったろう……と、TBS系ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』を見ながら考えていた。このドラマ、面白くて最近ハマっているのである。  

筑前煮、ここ10年ぐらいは作っていない。きらいとかじゃなく、私の日常料理は「思い立ったらパッと作れる」「下準備があまりいらない」「多くの材料を必要としない」「完成までに時間がさほどかからない」ものを基本にしているので、必然的に筑前煮とか肉じゃがとか、具材多めな煮ものって出番がないんである。たまに作りたくなることもあるが、こういう料理は少量作っておいしいものでもない。ドサッと作ると、やはり最後のほうは食べ飽きても来る。どうしても食べたいときは、信頼できる惣菜店で食べ切りやすい量を買ってくるのがいい、とあるときから思うようになった。

好物は彼女の作る「筑前煮」

火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS系)火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS系)

『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(以下、『あんたが』)の主人公・勝男(竹内涼真)は30歳前後だろうか、公式サイトには「亭主関白思考のザ・昭和な彼氏」で「料理は女が作って当たり前!と思っている」とある。亭主関白って言葉も久しぶりだ。彼は高収入の会社員で見た目もいい。そして好物は、同棲中の彼女・鮎美(夏帆)の作る筑前煮である。

この筑前煮がまあ……「料理研究家さんのインスタ用おせち写真」に入っていそうな出来栄えだった。にんじんも、れんこんも、飾り切り。煮過ぎて全体的にグズッとなることもなく、テリもよくて見事な加減、別に煮た絹さやも散らされていたような。これ1品作るだけでも結構な労力が必要、ほかにも副菜が並んでいたから、夕食の準備時間は軽く1時間以上かかるだろう。買い物の手間を含めたらもっと長いはず。

そんな献身的な彼女に、勝男は基本的に感謝している。「大好き!」と気持ちもまめに伝える。けれど、勝男はこう言う。

「鮎美の女の子らしいところが好きだなーッ!」

言われるほうは、どう感じるだろうか。

「女の子らしい」から、好かれているのか? 勝男の思う「女の子らしくない」私の部分はどうしたらいいのか、隠し続けていくしかないのか。誰かの思う「○○らしさ」に、これからずっと自分をあてはめ続けていくのだろうか――。

そんな思いが膨らんでいったのか、(ネタバレあり)結局第1回目で鮎美は勝男に別れを告げ、出て行く。ここから勝男が起こすアクションがねえ……いいんですよ。

とある忠告を受け、勝男は「自分が食べさせてもらっていたような筑前煮」を作ってみる。そこではじめて手間の多さを体験し、さらには単純作業の積み重ねだけで作れるものじゃないと実感する。ドラマの3回目では手料理で人をもてなす展開となり、勝男は一生懸命おでんを作って迎えるも、相手はさほど感激もせず「コンビニぐらいおいしい」「ワイン飲みたい。え、ないの?」といった言葉を発し、さらには「〇〇が入ってないのか……」と不満げに漏らす。

じゃあ、あんたが作ってみろよ……と言いたくなったであろうその瞬間、「これは、今までの俺だ!」と悟る勝男。ずっと自分は鮎美に「おいしいけど、全体に茶色っぽすぎない(笑)?」だの「おかずと味噌汁の具がかぶってるのは残念だな~」だのと言っていたことが思い出されてくる。

手間も知らずに品評して、好き勝手にダメ出ししていた俺って何様だよ、そりゃ出て行かれるわと理解して落ち込み、取り返しのつかないことをしてしまった……とようやく思い至るのだ。

うーん……このシーンが私は忘れられない。旧・勝男からシン・勝男への脱皮の一歩というか、あるいは心を固く覆ってきた旧弊な殻にひびが入ったような、ある意味孵化的な感じが見事に表現されていて、演じている竹内涼真に拍手を送りたい気持ちになってしまったんである。多分あのシーンで本作のファンになった人は多かったと思う。ここの気づきから「俺、変わりたい」というセリフを発するまでに勝男はなっていく。

人間はいつでも、より良い方向に変われる

火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS系)火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS系)

いわゆる「有害な男らしさ」とか、社会や親や地域性による価値観の刷り込み、ジェンダー的な役割の決めつけといったテーマを盛り込みながら、「〇〇は悪! 〇〇が正しい!」といった押し付けのないドラマ展開が見ていて心地いい。

彼女の鮎美もただ被害者的に描かれるわけではない。公式サイトの人物欄には「ハイスペックな男性と結婚し安定した人生を送るために努力を惜しまず、“モテ”に全ベットしてきた女性」と紹介されている。そんな彼女がこれまで「自分を縛ってきたもの」や「決めつけ」からだんだんとフリーになって、他の生き方・考え方に接して価値観が広がり、人間的に柔軟になっていく。この展開は勝男も一緒だ。そう、「人間はいつでも、より良い方向に変われる」という前向きなメッセージが常にあって、温かい風がずっとこちら側に吹いているようなドラマなのだ。

こびりついた価値観や自分の「常識」を変えるって、実際の人生ではなかなかむずかしい。だがヘイトや偏見が可視化されすぎな現代において、「気づける、変われる」といったことを束の間素敵に信じさせてくれる『あんたが』は、とても魅力的なドラマだと言う他なく。深刻にもなりやすいテーマを毎度絶妙な塩梅でコメディタッチに仕上げてくれているので、見ていて疲れることもない。
周囲の人を傷つけない、相手を尊重できる人間に変わりたいともがき、ジタバタしながらドラマ内を疾走する竹内涼真に、私はビリー・ワイルダー映画におけるジャック・レモン的な愛嬌とコメディセンスを感じて、ひとりうれしくなっている。

快適な「食」の形に正解はない

しかし、人間って「食べること、作ること」の意識から本当になかなか自由になれない。「私の食生活はこれでいい」と早いうちから割り切って考えられる人もいるが、近しい人の目、世間の目を気にして自由に考えられない人は一定数いるものだし、私もそうだった。見栄もあれば、栄養バランスや使い切りを生真面目に考えすぎて、うまくできないと自責してしんどくなってたこともある。

日々作って食べることの「自分なりに快適な形」って、人それぞれで正解はない。自分なりにやりやすい形を会得しても、誰かと暮らすとなると「もっとこうしてほしい」とリクエストされたりして、「いや、文句言われても」「文句じゃなくて、普通はそうでしょう…」「はぁ、“普通”って何?」なーんて展開にもなりがちだ。 

このすり合わせの難しさが、『あんたが』をはじめ過去多くのドラマで描かれてきているわけで、いつの世もありがちなことなんだろうと思う(カップルだけでなく、義理の両親から物言いが付くパターンも含めて)。

食に限らず、価値観のすり合わせというのは大概がむずかしいものだが、相手に対して物申したくなってしまったとき、どう伝えるのか、そもそも自分が「正しい」と信じ切ってないか、そこを考える手間を省かない習慣を付けておきたいと、心から思う。

ドラマの中での勝男は今、人それぞれに「常識」は違うことに気づき、食の形はそれぞれが違って当たり前、そのあたりをもっと理解できるようになりたい、受け止められる自分の範囲を広げたい……と渇望して頑張っている。だからこそ、多くの人の共感を得ているように感じる。

長くなってしまったが、最後に谷口菜津子さんによる原作マンガはまた違う話のふくらみがあって、別の面白さがあることも書き添えておきたい。谷口さん独特のユーモアセンスとストーリーテリングのテンポの良さが毎回ドラマに巧みに活かされていることにも感心してしまう。 

さあ、この原稿を書き上げたのは『あんたが』の放送日。放映時間を楽しみに待ちたい。あ、それまで筑前煮でも作って待つとするかな。久しぶりに、作りたい気持ちになってしまった。

(文:白央篤司 編集:毛谷村真木) 

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Source: HuffPost