2025
08.28

忘れない。「黄色い一枚の絵」に託した“彼の願い”、誰にも言えなかった家族の本心とこれから【一橋大アウティング事件から10年⑤】

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私は彼のご両親や友人たちとの対話を経て、チェロのペグに隠れるようにタキシード姿の男性2人が描かれた黄色い一枚の絵が、彼にとってかなり重要だったのではないかと、改めて考えるようになりました。彼自身が、この大切な絵に幾つかの役割と願いを託していたのではないか、と。

ゾーニング、センシング、タイミング。大切な絵に託した願い

1つ目は、「ZONING(ゾーニング)」と呼ばれるものです。Zone(区分する、区分けする)という言葉がベースとなっていて、LGBTQ+等の性的マイノリティの当事者が、どの範囲の人にまでカミングアウトするかを区切る行為や線引きのことを指します。

彼はハラスメント窓口とのやり取りの中で、クラスで性的マイノリティに対して「生理的に受け付けない」という差別的な発言を聞いたことがあると言及していました。彼が下宿する部屋であっても、いつでも壁から絵を外して隠せるように、細心の注意でゾーニングしていたのかと思います。

ちなみに、親しい友人で同じ価値観を共有できる関係性だからといって必ずカミングアウトするというわけではなく、その友人が置かれた環境や属する人間関係によって、ゾーニングは細かく変化していきます。

両親が上京する際に大切な絵を隠していたのは、仕送りを使い込んで購入したことを叱られるのを避けるためではなく、明らかにゾーニングのひとつだったのかと思います。

家族は、友人関係とは違って、唯一無二の存在であり居場所であり、替えがきくものでもなく、できるだけリスクは取らない選択をしたのかと思います。卒業して弁護士として自立して、家族にも安心してもらった後に、ゾーニングを広げたいという意思があったのかもしれません。

2つ目の役割は、家電や車、IoTなどで活用されている「SENSING(センシング)」という機能に似ているかもしれません。センシングは、センサーを使って対象となる物の状態や動きを計測し、安心安全等のための様々な判断などに活かしていく技術です。

絵に隠された男性2人がセンサーとなって、直接的にカミングアウトすることなく、絵を見て男性2人の存在に気づく人を見分け、男性2人に気づいた時にどんな反応をするかをセンシングして、その人の安心度も測っていく。ゾーニングとセンシングはそれぞれ作用しながら、同時に機能していくものでもあります。

自分の居場所があった中高時代から環境が変わり、大学やロースクールは、人生における登場人物が一新される時期。もし自身の性的指向を知られたくないならば、あえて、気づかれてしまうリスクがある絵を部屋に飾る必要はないはずです。

おそらく彼自身の思いとしては、環境は変わったけれど、中高と同じように自分がゲイであることを伝えられる人には伝えていきたいと思っていたのではないでしょうか。そのためにも、安心できる人は誰なのかをゼロから見極めていくセンシングが必要だったのかと思います。

地元を離れたからこそ、これまで身近にいなかった(見えていなかった)同じ境遇の当事者の仲間と繋がりたいとも思っていたのかもしれません。現に、ゲイである私がタキシードの男性2人に反応したように、当事者の方がセンサーに反応しやすいものでした。

3つ目は、誰かにカミングアウトする際のきっかけ、「TIMING(タイミング)」とするための絵だったのではないかという視点です。

私がゲイであることを隠し、クローゼットの時に想像していた自分の理想のカミングアウトのあり方は、「気張らずに、気取らずに」でした。

本来、誰のことを好きになるかという性的指向は、社会を揺るがすような情報ではなく、自分を構成する要素のひとつ。突然改まってカミングアウトするよりは、何気ない会話の中でさらっとカミングアウトできたらいいな。私もそんなことをいつも考えていました。

中高の仲間たちとの関係性では、自然な「自分」のあり方を経験していた彼だからこそ、なおさら、そのような役割を大切な絵に託していたのではないかと思うのです。

「今見てる、その絵、自分、大切にしてるんだ」

「そうなんだ。昔、チェロ、弾いてたって言ってたね。あれ? ねえ、この弦を巻いてる部分、なんか人みたいだね」

「そうそう。気づいた? 男性2人の結婚式みたいでしょ。そんな未来が来たらいいなって。実は、自分もゲイなんだよね」

大切な家族や友達だからこそ、自分のタイミングで伝えたい。相手にも驚きや戸惑いがあるかと思うからこそ、寄り添って丁寧に応えられるタイミングがいい。

いつ、誰に、どのようなタイミングでカミングアウトするかということ自体が、まさに自分の人生を自分で歩んでいく幸福追求権や自己決定権そのものなのだと。だからこそ、アウティングはあってはならないことなのだと、改めて考えさせられました。

もう一つの願い。「誇り」をもって、ゲイとして生きる

彼の下宿から大学へ、そして、大学から名古屋の実家に届けられた黄色い一枚の絵。その絵に込められた思いや意志は今も遺された人たちに受け継がれていると信じています。

一橋大学アウティング事件についての報道では、当初は自殺や自死という言葉が一部で使われていましたが、後に「転落死」という言葉に統一されていきました。ご家族も積極的に自殺という言い方をしてこられませんでした。彼は最後まで、生きたいと思っていたのかもしれないと。

ご家族が彼の下宿にあったパソコンのフォルダの中に見つけた遺書には、「僕はなにも恥ずかしいこと、行動をしていません。SNSで暴露されるようなことなのか疑問で仕方ありません」と書かれていたそうです。

アウティング事件があり、ギリギリの精神状態の中で、彼が大切にしていた絵は、彼自身が大切にしていきたいこと。つまり、ゲイである自分の人生を生きること、ゲイである自分の人生を「誇り」をもって生きること。それらを最後の最後まで、支えていたのではないかと思っています。

BEING(ビーイング)━━。誰もが自分自身の人生を生きていくことの証、願い、希望が、今もなお黄色い一枚の絵に託されているのだと感じます。

守り抜きたい命。妹が蓋をしてきた感情と未来への決意

美味しいものを食べたり、楽しいことをしたりしても、息子のことを思うと、悲しい気持ちが溢れてきて抑えられなくなる、と語ってくれたお母さん。その表情が、ここ数年とても明るくなってきました。

きっかけのひとつはゴルフ。メキメキと力をつけてゴルフ場デビューして、昔からゴルフをしていたお父さんにスコアで勝ったそうなのです。心と身体は繋がっているのだなと本当に感じます。

もう一つ。妹さんとパートナーさんのもとに、新しい命が昨年の夏に誕生したのです。出産後の数カ月、妹さんと赤ちゃんは名古屋の実家に帰り、お母さんがサポートをしていました。

「ゴンさん、私、おばあちゃんになっちゃった。ゴルフも全くできてないの。子どもは本当に大変。しばらくはお預けよ」

赤ちゃんを抱っこしながら語るお母さんの顔に、嬉しさとともに、これまでとはどこか違う力強さを感じました。

8月24日の命日までに書籍を世に送り出すために、妹さんに、私の原稿をすべて読んでいただきました。翌日、お返事が届きました。ご本人からもご了解をいただき、こちらに加えたいと思います。

原稿を読んで、ゴンさんを始めとする皆様の努力の積み重ねでここまで来たんだと改めて思いました。

ゴンさんのリオでの想いやインタビューに応えてくださった兄の友人のお話は、胸に来るものがありました。

正直にお話しさせていただきます。

原稿を読んで、明るくて友人の中心にいた兄も、感情の起伏がある兄も、セクシュアリティの事を言われて睨みをきかす兄も、生きている兄が全て蘇りました。

もう10年会ってないのかぁ、会いたいなぁと涙が出ました。

これまで兄が他界したのを社会と大学と同級生のせいだと言ってきましたが、本当は両親と私が兄を追いやったんだと思っています。

それをずっと言えずにいました。

私はその辛さと悲しみを、救えなかった両親と自分、死を選んだ兄への怒りに変えて生きてきました。

長い間持ってきたそんな感情が絡まって、固く結ばれて解けません。

大切な人の自死はこんなにも辛いものかと月日が経てば経つほど感じます。

だからこそ、子どもが生まれてからは、子どもには兄のような思いを、私のような思いをさせてはいけない、私達の代で終わりにしなければと心から思っています。

自分の弱さから目を背けて、気持ちに蓋をしてきましたが、守り抜きたい命ができた今改めて正直な気持ちをお伝えしたいと思いました。

子どもが自分らしく、喜びを見つけられる人生を歩んで欲しい、兄が生きられたかもしれない世界で、子どもには安心して生きて欲しいです。

そして、「彼は明日の私かもしれない」と思っている人に、安心して生きて欲しいです。

2025年6月末、猛暑の日。私は名古屋に向かいました。お父さんが車で迎えに来てくださいました。

実家に着くと、お母さんとワンちゃんが迎えてくださり、いつものように仏壇のある部屋に通してくれました。

「前回、ゴンさんがいらした時は、娘と赤ちゃんのお部屋になっていて入れなかったですよね。4月から保育園に預けて仕事も復帰したので、娘たちも自分たちの家に戻り、この部屋も綺麗に片付けました。そうそう、あとね、納骨したんです」

仏壇の前に座ると、これまであった骨箱はなくなり、彼の写真だけが飾られていました。妹さんカップルに子どもが生まれたことをきっかけに、お墓に入れてあげよう、と決めたとのことでした。

私が原稿に書いたこと、妹さんから送ってもらったお返事も共有しながら、ご両親と一緒に、一人ひとりにできることとは何か、時折涙をこらえながらも語り合いました。

彼のこと、出来事のこと、それを受けて確実に社会が動き変わってきていること。そして、「社会を変えていくことを忘れない」ということなのではないかと。

お母さんもお父さんも、一橋大学ロースクールの同級生の人たちや一橋大学に対してすでに憤りや怒りはなく、今感じているのは、その後音沙汰がなく、忘れられてしまっているのではないか、という悲しみの感情なのだということでした。

久しぶりに入った彼の部屋には、あの黄色い絵が飾られていましたが、隣には妹さんの部屋にあった黄色がアクセントのモダンな時計が掛けられていました。がらんとしていた部屋の真ん中には、お父さんの趣味のジオラマが、部屋の隅々にまで鎮座しています。お母さんは、残念ながら指を手術してゴルフはやめたそうですが、いまは「着物にハマっている」と楽しそうに教えてくれました。

ご家族の日常の景色も、10年を経て、少しずつ、少しずつ変わり始めているのかもしれません。

「人間は忘れる生き物」と言われますが、「忘れない」というのは、意志であり、努力であり、希望であるのだと思います。この10年が、次の10年、20年のための「希望」となり、未来へと続くことを心から願っています。

(編集:笹川かおり)

『一橋大学アウティング事件がつむいだ変化と希望 一〇年の軌跡』編著:松中権(サウザンブックス社)『一橋大学アウティング事件がつむいだ変化と希望 一〇年の軌跡』編著:松中権(サウザンブックス社)

一橋大学アウティング事件がつむいだ変化と希望 一〇年の軌跡』(編著:松中権/サウザンブックス社)を彼の命日の8月24日に出版しました。LGBTQ+活動団体代表、大学教員、ジェンダー/セクシュアリティ研究者、市民団体職員、ライター、新聞記者など、8名の著者がそれぞれの視点で綴った10年の歴史と変化と希望、次世代へのメッセージを1冊にまとめました。 

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Source: HuffPost