09.21
日帝当時、「渡日」や「日本軍へ志願」した朝鮮人の規模=韓国が隠したい歴史資料
日本に居住していた朝鮮人の人口は1911年(※日韓併合の翌年)の2527人を嚆矢として、終戦直前の1944年には193万6843人に増加した。33年間で760倍以上増加したわけだ。
この期間中、1914年にのみ在日朝鮮人の人口が前年比でマイナスを記録しただけで、残りの年度は全て前年比でプラスを記録した。1917年の場合、前年比で150%以上の増加率を記録した。
1911年の2527人からスタートし、1944年に193万人以上の人口となったのは、全期間で毎年平均22%以上の増加率を見せたという話となる。
特記すべきことは「3・1運動(※万歳事件)」を契機に1919年に日本政府が朝鮮人の日本への渡航を抑制する措置を取ったにもかかわらず、その後、日本へ渡って行く朝鮮人の規模は変わらず増加したという点だ。
また関東大震災が発生した1923年の在日朝鮮人の人口は8万415人であったのだが、翌年の1924年の在日朝鮮人の人口が11万8152人へと大きく増加したのも特記するに値する。
一言で言って、日帝時代の期間中、韓半島の朝鮮人は就業、学業、新たな機会追求など、様々な事由で絶え間なく日本の地へと渡って行ったことが分かる。
●日本に居住する朝鮮人の人口(※出処:森田芳夫、『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』)
1911年、2527人
1912年、3171人(前年比増加率、25.5%)
1913年、3635人(14.6%)
1914年、3542人(-2.6%)
1915年、3917人(10.6%)
1916年、5624人(43.6%)
1917年、1万4502人(157.9%)
1918年、2万2411人(54.5%)
1919年、2万6605人(18.7%)※朝鮮人の日本への渡航制限措置
1920年、3万189人(13.5%)
1921年、3万8651人(28.0%)
1922年、5万3722人(39.0%)
1923年、8万415人(49.7%)※関東大震災発生
1924年、11万8152人(46.9%)
1925年、12万9870人(9.9%)
1926年、14万2798人(10.7%)
1927年、16万5286人(14.9%)
1928年、23万8102人(44.0%)
1929年、27万5206人(15.6%)
1930年、29万8091人(8.3%)
1931年、31万1247人(4.4%)
1932年、39万543人(25.5%)
1933年、45万6217人(16.8%)
1934年、53万7695人(17.8%)
1935年、62万5678人(16.4%)
1936年、69万501人(10.4%)
1937年、73万5689人(6.5%)
1938年、79万9878人(8.7%)
1939年、96万7591人(21.0%)
1940年、119万444人(23.0%)
1941年、146万9230人(23.4%)
1942年、162万5054人(10.6%)
1943年、188万2456人(15.8%)
1944年、193万6843人(2.9%)※朝鮮人への徴用開始
●朝鮮人青年の日本軍志願入隊の現況
1938年:400人の募集に2900人余りが志願(競争率、7.2対1)
1939年:600人の募集に1万2300人余りが志願(20.5対1)
1940年:3000人の募集に8万4400人余りが志願(28.1対1)
1941年:3000人の募集に14万4700人余りが志願(48.2対1)
1942年:4500人の募集に25万4300人余りが志願(56.5対1)
1943年:5330人の募集に30万3400人余りが志願(56.9対1)
1940年(競争率、28.1対1)の場合、志願したが脱落して日本軍に入隊出来なくなったことを悲観した江原道横城郡のある青年(李某)が自殺する事件が発生した。
※この記事は韓国の保守論客ファンドビルダーさんの寄稿文を日本語に翻訳したものです。韓国メディアには既に韓国語版が公開されています。翻訳の正確さに対する責任は当社にあります。
https://www.wowkorea.jp/news/japankorea/2021/0919/10315634.html
Source:脱亜論
日帝当時、「渡日」や「日本軍へ志願」した朝鮮人の規模=韓国が隠したい歴史資料