09.18
時間外労働時間の上限緩和、「働きかけた経済界が一番問題」。小室淑恵さんが指摘する「総裁選」の論戦で足りないもの
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過去最多の9人が立候補している自民党総裁選(9月27日投開票)。派閥の裏金事件を巡る党改革や経済政策などを中心に論戦が交わされる中、一部の候補者が掲げた「労働時間規制の緩和」を巡り、議論が沸き起こっている。
時間外労働の上限は2019年4月以降、原則として「月45時間・年360時間」となった。背景には、健康確保や少子化対策、女性のキャリア形成、男性の家事・育児推進を阻む「長時間労働」の問題がある。
「時間外労働の上限は国や国民にとってとても大切なもの。総裁選の立候補者はせっかく沸き起こった議論を無視せず、働き方を考えるきっかけにしてほしい」ーー。
ハフポスト日本版は、こう訴えるコンサルティング会社「ワーク・ライフバランス」(東京)の小室淑恵社長にインタビューした。
2019年以降に起きた「ゲームチェンジ」
ーー2019年に働き方改革関連法が施行され、時間外労働の上限規制が始まりました。ここに至るまでの歴史や意味についてはどう見ていますか。
2008年に大手居酒屋チェーンで発生した過労自殺の問題など、労働を巡る悲しい出来事はこれまでにたくさんありました。
長時間労働が「やる気や忠誠心を図る手段」のように使われ、離職や転職を考える判断力を失わせるほど睡眠不足にさせられる。それを「熱心だ」と評価している世界が当時はありました。
経済界にとって時間無制限の労働力が手に入る状況だったのです。若者を食い潰し、女性という労働力の価値には見向きもしなかった。それを改める空気もありませんでした。
しかし、2019年の法改正以降は確実に変わってきています。ジェンダー平等の問題がタブー視されずに報道されていますし、女性管理職の比率公表の義務付けも始まりました。
ーー時間外労働の上限規制はどのような役割を果たしてきたのでしょうか。
企業が従業員を評価する上での「ゲームチェンジ」が起きたことが一番の鍵です。
それまでは、遅くまで残業をしている「帰らない人」を「熱心に働いている」「会社に忠誠心を持って働いている」「このスタンスが会社の成長に必ずプラスになるんだ」と評価していましたが、残業時間の上限が決められたことで「決められた時間の中で成果を上げられる人」が評価されるようになりました。
企業にとって驚きだったのは、「法令順守だから帰りなさい」と命じられても帰らない人がいることでした。「熱心だから」「忠誠心がある」ではなく、「長年育児をしていないため、家に居場所がなくて帰りづらい」「残業代を稼ぎたい」という理由で職場にいたのではないか、と気づき始めました。
「業務量が本当に多いから」とも思っていたのですが、早く帰宅できた日も新橋(東京)あたりで飲食をして時間をつぶしてから帰る「フラリーマン」という人たちの実態が報道され、「どうやら業務が終わっても帰れない状態が、家族との関係性でできてしまっているのだ」とはっきりしてきました。
家族との関係においては、ボタンの掛け違いがおきる出産時点での参画が大事だとして、男性育休の取得推進が進んだのも、こういった背景からでした。
帰らない人を忠誠心が高く、熱心な社員だと思っていた時代は残業が評価されていましたが、このゲームチェンジを機に、時間当たりの生産性が低い社員として評価されない方向に転じたことが、時間外労働の上限規制の大きな役割でした。
また、企業から大きな懸念を示されていた勤務間インターバル制度の議論がおこなわれるようになってきたのも成果です。2019年に「努力義務」となり、終業から次の勤務まで11時間の休息をとっている企業も増えてきました。
ーー時間外労働規制が緩和されれば、「24時間365日働ける人」が評価される「昭和スタイル」に戻ってしまう懸念があります。
慶應大の山本勲教授は、今回の議論を受けて「ピア効果」について説明しています。
希望者に長時間労働を認めると、周りの部下や同僚も同様のことをしないと評価されない風土が生まれてしまうことをいいます。24時間365日働ける人が評価され、子育てや介護などがある人は見向きもされない、というかつての世界に戻ってしまいます。
今回、総裁候補者に熱心に労働時間上限緩和を働きかけた経済界が一番問題だと思いますが、ではなぜそんなことを働きかけるのか、ということもよくわかります。
「人手不足なのに、労働する時間まで減らされたら日本経済を維持できない」と考え、その解決策として「行き過ぎた働き方改革を見直せ」「労働時間の上限規制を緩和」となるのですが、働きたい人がもっと長時間働けるようにしたところで、それで増えるのはもはや稀有な一握りの時間で、焼け石に水なのです。
これを認識できておらず、昔の日本のように「元気のありあまっている労働力が本当はどこかにいっぱいいる」と思っているのです。実際、大企業の経営企画室やスタートアップに集まる経営陣などにはいるので、そうした人たちに囲まれていると判断を誤ります。悪気はないけれど、解決策が古いのです。
人手不足の解決策は、むしろ290万人いると言われている、能力も意欲もあるけれど、労働市場に出ていない女性たちです。
無制限に生活をむしばむ働き方の労働市場には出られない。でも、きちんと守られた労働市場ならもう一度働いてみよう、年収の壁を越えて働こうという人が、出てこられるような労働市場にすること重要です。
また、現在すでに仕事と介護、仕事と育児、仕事と治療などの両立に四苦八苦しながら踏ん張っている人が仕事を続けられるようにすることも大切です。
解決策を残業時間を延ばすことに頼るのは焼け石に水であり、多様な人材が働けるようにすればまだまだ未来があります。
DXに影響は?若い人材の海外流出も
ーーDX化にも影響が出そうですね。
DX化は2000年代から提唱する人がたくさんいたのですが、誰も聞く耳を持ちませんでした。注目を浴び出したのは2018年。人事担当者向けのカンファレンスでもいきなり話題に上り始めました。
この2018年というのは、働き方改革法案が成立した年でもあります。「人海戦術が物理的にできなくなる」ということがわかったからこそ、DX化が叫ばれ始めたのです。
また、政治家の中には、「AIでは対応できない仕事内容の業界が人手不足だから、労働時間の上限規制を緩和させよう」と話す人もいます。
おそらく時間外労働に関する規制で5年間の猶予が設けられた運送や建築などの業界を指しているのだと思いますが、著しい人手不足に陥っている本当の理由は、この5年間でほかの業界と大きな差がつき、若い人に選ばれなくなってしまったからです。
その業界で上限緩和をして、ますますきつくなれば結果は明らかです。報酬の改善や働き方改革で若者に選ばれる業界になることがサステナブルな対策です。
ーーこのままではますます若い人材が海外に流出していく可能性もありますね。
かつての学生の留学は、海外で学んだ能力を生かして日本企業で活躍したいという目的がありました。しかし現在は「語学ができるなら留学先で就職したほうが収入が良い」という流れになってきています。
女性に関しては、収入よりもダイバーシティの実現という点で考えると、日本に帰ってきても活躍が難しい。さらに収入も少ない。そうなると、戻ってくるメリットがないと考える人も多いのが現実です。
もはや留学ではなく「流出」ですね。このような労働環境と男女格差がある中では、ますます若い女性は日本に戻らない。国内の企業同士が細かい取り組みで競いあうだけでは限界があり、国ごとブランディングを一新しなければならない時期にきているのだと思います。
ーー時間外労働規制の上限が緩和されると、多様な人事が働けなくなります。
総裁候補者らは多様性や選択の幅を広げたいと言っているにもかかわらず、時間外労働規制の緩和が選択の幅を狭くするということを根本的に理解していないのだと感じました。
「働きたいという人が自由に働けるようにする」と、あたかも選択肢を広げるかのように話していますが、自分の意思だけで24時間を自由に使える人は一握りです。
永田町の議員は、育児や家事、介護を誰かにやってもらうことで働く時間を確保できるかもしれませんが、そのようなことができる人は今の日本社会において1%ほどではないでしょうか。
ーーなぜこのタイミングで議員らは時間外労働規制の緩和を言い始めたのでしょうか。小室さんのご見解をお聞かせください。
今回の自民党総裁選では、3人の議員が時間外労働規制の緩和に触れていましたが、ほぼ同じ文言で話していたため、どこかの団体の希望を担がされているのではないかと感じました。
積極的に緩和を進めたいというよりは、支持を得るためではないでしょうか。
何かと仕事を両立している人の大半は自分の時間を自由に使えません。希望が立たれ、多様性が失われ、自由が阻害されることになるという構造を、一国の総理になる人には深く理解してほしいと思います。
メディアや「割増賃金率」の問題も
ーー大手メディアもあまりこの問題に触れません。
大手メディア自体が圧倒的に働き方改革や女性活躍が進んでいません。この問題を扱うことで、自分たちに跳ね返ってくると思っているのではないでしょうか。
既にほかの業界は、どのように働き方改革を進めていくべきか答えを出し始めています。「属人化」を排除し、多くの人がパス回しで仕事ができるようにする。クラウド化で誰もが情報を取れるようにする。
人が休んでも仕事が回るようになれば組織としても強くなると、投資をしたり、制度を変えたりしています。一方、メディアはどうでしょう。
男性の育児参画の割合も圧倒的に低く、働き盛りの従業員が数カ月休業できる風土になっていない。このテーマに関するニュースの感度が著しく低いと感じています。
ーー時間外に労働させた場合、経営者が平日時間内労働の何倍を支払うべきかを定める「割増賃金率」の問題にもつながってくると思います。日本では1.25倍に抑えられています。
知っていただきたい、重要な概念があります。「均衡割増賃金率」といいますが、どのくらいの割増賃金率であれば、今いる従業員に残業させる1時間あたりの労働費用と、新たな雇用をした1時間あたりの労働費用が均衡するかという値です。
日本においてはこれが1.53です。つまり、時間外割増率が他の先進国のように1.5倍になれば、日本においても経営者は「今いる人材に残業させるよりも人を増やしたほうが安い」と判断し、普段から一人多めに雇用するようになります。
日本以外の先進国の割増賃金率が1.5倍なのは、こうした意味があったのです。日本においてもこのレベルにしていくことが重要です。
そうなれば、「時間制約がある人でもいいから一人多めに雇用を確保しよう」となるため、何かと仕事を両立している人や介護から復帰した人も雇えるようになり、時間外労働はそんなにできないけど能力や意欲がある人にチャンスが巡ってきます。
また、人が増えると、独身の人なども普段から休みやすくなります。育児や介護中の人だけでなく、独身の人も気軽に休むことができるようになれば「お互い様」職場に戻り、いがみ合うこともなくなります。
ーーそういう意味では、「ネットスラング『子持ち様』問題」の議論にも通じますね。
まさに、「子持ち様」問題は、労基法から生まれていると言っても過言ではありません。時間外割増率が1.25ならば、経営者は従業員の頭数をなるべく抑えて普段から休みを取らせず、残業時間で業務量を解決しようとします。
普段から皆が「自分が休んだら周囲に迷惑をかけるから」という思いでギリギリの状態で張りつめて働いていると、「『子持ち様』は休みを取れていいな」と恨めしく思い、いがみ合ってしまうのです。
また、育休を取る社員が出ると、そのしわ寄せを受ける同僚にお金を給付する企業がありますね。それも解決策ではありますが、やはり普段から誰もが休みを取りやすい「お互い様」環境が大事です。
誰が休んでも回せる職場であれば、病気になったとしても、一時的に仕事時間をセーブし、治療と仕事を両立しながら乗り越え、人生100年時代もサステナブルに働き続けることができます。
今、「このタイミングで妊娠して休むことになったら同僚に迷惑をかける」という思いで、“出産期の順番待ち”になっている女性もいます。これは少子化の原因にもなっています。
ーー働き方改革関連法が施行されてから5年。これまでの努力が水の泡になる事態だけは避けたいですが、企業はどのような改革を行ってきたのでしょうか。
私たちが2018年からお手伝いしているアパレル大手の会社では、管理職の評価基準がかなり変わりました。
かつては管理職や役員に登用するには、「いざという時に休日出勤や急な出張などの無理がきくかどうかも能力のうち」という暗黙の了解が評価になっていた実態がありましたが、その場合、育児や介護をしている人は能力や意欲があっても評価されなくなってしまいます。
今では仕事の属人化を解消し、各職場ごとに働き方を自発的に話し合う会議を実施したことで、2年間で65%の残業が削減されました。よい管理職とは「誰かが休んでも回る職場を作れているか」に変わり、結果として管理職を希望する女性も増え、今年1月には2人の女性役員が誕生しています。
このようにどんどん改革を行っている企業もたくさんあり、それらの企業の業績が大変好調です。各総裁候補や経済団体は、「日本の経済成長を」と言うのであれば、この方向で労働市場を変えていくことが必要です。
Source: HuffPost