2024
08.01

未来に残す「無形の地域性」とは?銚子の観光大使が「超コミットする宿」で目指すもの

国際ニュースまとめ

働き方の多様化により、地方への移住や多拠点生活を選択する人も増えている現代。

移住先の地域選びでは、その土地の「温度感」を知ることも欠かせないが、単なる観光ではなかなか手が届かないこともある。

そういった課題の解決に尽力しているのが、千葉県銚子市で一棟貸の宿泊施設「和泉屋」を営む和泉大介さんだ。

ある出来事をきっかけに高校生で地域のヒーローのような存在となり、大学生で史上最年少の観光大使に就任。一見すると輝かしいキャリアの裏側には、大きな挫折もあったと語る和泉さんは、どのような経緯で銚子で宿を開くに至ったのだろうか。その軌跡と現在地、そして和泉さんが思う地方創生について聞いた。

高校生でクラファン500万円を達成。銚子市の最年少観光大使

銚子電鉄の利用客銚子電鉄の利用客

─── 今日はよろしくお願いします。今は宿を営んでいる和泉さんですが、観光大使に就任された頃は大学生だったんですね。

そうなんです。はじまりは町のシンボルでもある銚子電鉄の脱線事故でした。その頃に通っていた商業高校で地域貢献を題材にした授業があり、その一環として友達と「どうにか脱線した車両を復活させられないかな」と考えて、クラウドファンディングを始めたんです。

当時はクラウドファンディングの認知度も今よりも低かったですし、ましてやそれを高校生がやろうというのですから、信じて協力してくださった皆さんには今も感謝しています。自分でも右も左もわからない状態だったので、今思えばかなり体当たりですね。でも結果的には500万円の支援金を調達することに成功して、無事に車両は銚子電鉄へと戻り、とても嬉しかったのを覚えています。

大学進学のために埼玉県に引っ越したあとも、周囲の人を200人くらい銚子に連れていって案内していたこともあってか、21歳のときに観光大使に推薦していただいたんです。

あと大学でキャベツを売ったりもしていましたね(笑)。あるとき「色々な場所の学生に収穫体験をしてもらおう」という目的のイベントがあって、そこで知り合った農家さんのキャベツが大好きだったになったんです。それで「自分で売る体験もしたい」と思って、「僕に100玉くらい託してくれませんか?」とお願いしたら、一人暮らしの狭い家にキャベツを100玉、本当にドンっと託してくれて、いろんな人に必死で「キャベツ買わない?」と連絡していました(笑)。

観光大使の任期は永年なので、今も現役で市内外でイベントへの参加をはじめ、地域を盛り上げる活動を中心に熱を注いでいます。

─── キャベツ100玉!本当に銚子が大好きなんですね。

キャベツ農家で収穫体験をする和泉さんキャベツ農家で収穫体験をする和泉さん

僕は生まれも育ち銚子なのですが、実は昔から地元愛が強かったわけではないんです。高校1年生の頃に、地域に住む100人くらいの大人に話を聞きに行くフィールドワークがあって、市長さんや魚屋さん、お坊さんなど、いろいろな人に会いにいったんです。その活動の中で「こんなにキラキラしてる人たちがいるんだ」って感動したの始まりでしたね。

クラウドファンディングの存在を知ったのも、この活動がきっかけでした。市役所の方が銚子の紹介本の出版費を募るために活用していて、当時は「そんなものがあるのか」くらいに思っていたんです。まさか2年後の種まき的な出会いになるとは思いもしませんでした。

素人のDIY、築50年の「普通の家」でも口コミは最高レベル

和泉屋の内装和泉屋の内装

─── 大学卒業後はすぐに銚子へ拠点を戻したのですか?

大学を卒業して3年くらいは、都内を中心に働いていました。当時は銚子の内側から発信するよりも、外に出てより多くの人に銚子のことを知ってもらいたいという気持ちが強くて、襷(たすき)を肩からかけて都内のイベントに参加していました。

新卒で地域に携わる会社にも1年だけ勤めていたのですが、働いていく中で「やっぱり会社の中じゃなくて、もっと主体的にやりたいな」とパワーが溢れてきて、勢いで退職して起業しちゃいました。

起業して最初に着手したのが、銚子のサバを使ったサバサンドの開発と販売でした。最初は麻布十番のキッチン付きコワーキングスペースで販売していたのですが、それがけっこう売れてメディアにも取り上げてもらえるほどになりました。それで銀座に実店舗を構えることにしたのですが、経営が上手くいかなかったり、そもそも飲食業が向いていないなと気づいたりで、1年くらいで店を閉じることになってしまったんです。

それで「自分はふらふらしていて何も形にできてないな」「地元に根付いてやりたいな」と思い、2021年の初夏に銚子に戻ることを決めました。当時はメンタル的に、かなり苦しい時期でしたね。

─── 体当たりが吉と出るときもあれば、そうではないときもあったんですね。地元に戻って宿の運営を始めたのはいつ頃だったのでしょうか?

宿を始めたのは2022年の11月なので、帰省後1年半が経った頃ですね。学生の頃から「地域の魅力を十分に味わえる宿が少ないな」という課題を漠然と感じていたので、「せっかく帰ってきたんだし自分でやるか」と思ったんです。

それから資金集めをしたり、勉強のためにろいろな地域の宿を見にいったり、DIYをしたりであっという間の1年でしたね。宿を開く準備をする傍ら、収入源としては県内の大学で職員と、地域についての講義をする非常勤講師をしていました。

宿を始めて1年半以上が経った今、これまでの活動の中で一番楽しみながらできています。去年は600人(150組)の方が利用してくださって、各種予約サイトの口コミもありがたいことにかなり高い数字を維持できています。

窓からは銚子の海を一望できる窓からは銚子の海を一望できる

和泉屋のある外川というエリアは銚子電鉄の終点でもあり、漁師さんたちがたくさん住んでる魅力的な町です。坂道が多いので景色も最高に美しいんですよ。

和泉屋は一棟貸の宿ということもあり「暮らしを味わえる」という点も評価してくださっています。築50年で古い建物ですし、ものすごく立派な建物でもありません。DIYも素人の手で作ってるので最初は不安だったのですが、自分が大切にしている点を評価していただけて、とても嬉しいですね。お客さんが喜んでくれる姿を見ると「やっと自分で納得のいく形を残せたのかも」という達成感があります。最初のお客さんが泊まりに来てくれたときは、もうすごくドキドキだったんですよ(笑)。

実は今、外川に2軒目の宿を開店する準備も進んでいます。周辺に素敵な飲食店がたくさんあるので和泉屋で食事の提供はしていないのですが、2軒目の1階には小休止にぴったりのカフェが入る予定です。和泉屋では、僕がおすすめの飲食店まで車で送迎することもよくあります。初めからそうしようと決めていたわけではないのですが「来てよかった」と思ってもらいたくて色々と動いていたら、今のようなスタイルになりました(笑)。

これはあくまでも僕の最適解ですが、地方に移住する人にとって、そのきっかけは宿泊客としての体験ということも少なくないので、地域の温度感を知ってもらうことも僕は大切にしているんです。

有形の「地域性」はきっと残らないけれど

和泉屋の宿泊客が、漁港沿いを散歩する様子和泉屋の宿泊客が、漁港沿いを散歩する様子

─── 地方の文化や魅力をつないでいくために、和泉さんは何が大切だと思いますか?

少し悲観的に聞こえるかもしれませんが、正直、未来に残せる有形のものはほとんど存在しないんじゃないかなと思っています。

外川が漁師町になったのは約300年前で、和歌山県からイワシを追って銚子まできた漁師さんたちが水難事故に遭って、それを地域の人たちが助けたのがはじまりです。助けてもらったお返しに漁師さんたちは漁業を教えたり、外川に移り住んだりしたんだそうです。僕の苗字も、遡ると和歌山の漁師さんのものなんです。

300年も漁師さんたちがここに住んでいたらいいなとは思いますが、地理的な要因や物理的な要因、そのほか多くの外的要因によって形ある文化は途絶えてしまうかもしれません。そう考えたときに未来により確実に残せるのは、結局、形のない「地元を愛するDNA」みたいなものかなと思います。ある種のプライドというか、変わり続けてきたこの地域で、自分たちは人と人のつながりを持って「その時代の地域」を精一杯盛り上げて、つないで、今日までやってきたんだという共通の意思みたいなものですかね。

もちろん、今あるものは少しでも長く続いてほしいですし、そのために僕は活動していますが、変わっていくことも受け入れておくべきだなとは思います。

「今の地域」をつなぐ活動で言うと、最近は地元の不動産会社さんと共に「3.9miles Project」というプロジェクトを立ち上げました。銚子電鉄の線路は6.4kmで、それをマイル換算すると3.9マイルなんです。

銚子電鉄沿いでも空き家が課題になっていて「何かできないか」ということで発足した開発プロジェクトになっています。立ち上がって間もないので活動内容は今後もアップデートされていくと思いますが、物件が安く借りられたり、場合によっては金銭的な支援があったりと、特に「挑戦インフラを盛り上げる」ことに注力していて、新たな取り組みに伴走してくれる地域を目指しています。

銚子信用金庫さんや銚子商工信用組合さん、千葉銀行さんをはじめとした、地元の大きな金融機関も応援してくださっていて、銚子の本気を感じるというか「何か面白いことが起きそうだな」とすごくワクワクしています。

そして、多くの人が「やりたい」に挑戦できる町を目指して、僕自身も引き続き挑戦していきたいと思います。

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Source: HuffPost