03.25
女性が初めて「悪夢のレース」を完走。たった20人しかゴールしていない超過酷マラソン
アメリカ・テネシー州で開催された「バークレー・マラソン」を、イギリスのランナー、ジャスミン・パリスさんが完走した。「悪魔のレース」とも呼ばれるこの過酷なマラソンを、女性が完走するのは初めてだ。
バークレー・マラソンは毎年、フローズン・ヘッド州立公園で開催される。
40歳のパリスさんは3月22日、最後の5周目を制限時間の60時間ギリギリで完走した。
写真家のデビッド・ミラーさんは、疲れ果てた様子のパリスさんがゴールラインを越え、傷だらけの足で地面に倒れ込む様子をカメラに捉えた。
ミラーさんは「フィニッシュラインは期待に満ちていて、60時間を切る3分前には、叫び声と歓声が聞こえた。それはジャスミンに声援を送る人々だった」とBBCに語っている。
「ミスは許されず、彼女は全速力で走っていた。そうしなければ間に合わなかっただろう。彼女は(ゴールの)ゲートに触れ、疲れ果てて倒れ込んだ。これまでに目にした中で、最高の出来事だった」
バークレー・マラソンは1986年に、ラザルス・レイクという名で知られるゲイリー・カントレルさんと、ロウ・ドッグと名乗るカール・ヘンさんによって創設された。
参加者は約20マイル(約32キロ)のコースを5周、合計100マイル(約160キロ)を60時間以内に完走しなければならない。
距離やコースは何度も変更されており、2014年に公開されたドキュメンタリー『バークレイ・マラソン: 前代未聞の超ウルトラ耐久レース』では、1周がフルマラソンの距離に相当すると紹介されている。
バークレー・マラソンは、その過酷さとユニークな伝統で、単なるマラソン以上のレースとして知られている。
ランナーはコースを時計回りと反時計回りの交互に走りながら、コース上のどこかに置かれている本を見つけて自分のビブナンバーに相当するページを破り取って持ってこなければならない。GPSの使用は禁止されている。
レースの開始時間は知らされず、カントレルさんが吹くホラ貝が開始1時間前の合図で、タバコに火をつければスタートだ。
ほとんどの人は途中で脱落し、脱落者が戻ってきた時には、葬送のラッパが演奏される。
1989年に距離が55マイルから100マイルに延長されてからは、5周完走してゴールしたランナーは20人しかいない。
パリスさんは2023年に4周目まで辿り着き、雪辱を果たすべく臨んだ2024年に、残り時間2分を切る59時間58分21秒でゴールした。
バークレー・マラソンは完走するだけではなく参加のハードルも高い。
申込料は1.60ドル(約250円)で何百人もの申込があるものの、参加できるのは数十人。選ばれた参加者には「お悔やみ」の手紙が送られる。
カントレルさんは、「我々は1.60ドルを返さない。私の退職金だ」と『バークレイ・マラソン: 前代未聞の超ウルトラ耐久レース』で語っている。
初参加の人たちは自分の出身州や国のナンバープレートを持ってくる必要があり、2度目以降の参加者は、カントレルさんが決めたちょっとした「持参品」を求められる。
カントレルさんは「たくさん集まるまで、靴下を請求しました」とドキュメンタリーで説明している。
カントレルさんとヘンさんは、 マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺者であるジェームズ・アール・レイが、1977年にテネシー州のブラッシーマウンテン州立刑務所から脱走した事件に着想を得て、この過酷なレースを始めた。
カントレルさんは、レイが森の中を55時間で8マイル(約13キロ)逃げたのを見て、自分なら100マイル走れると豪語したという。
同さんはレースについて「色々なことが起きるのは、ある種のダークユーモアのようなものなのかもしれない」とドキュメンタリーで語っている。
ESPNによるとパリスさんはエディンバラの獣医科学者で、2019年にイングランド北部で開催されたモンテインスパインレースで、大会記録を約12時間更新して優勝している。
ハフポストUS版の記事を翻訳しました。
Source: HuffPost