02.10
ChatGPT使った小説が芥川賞受賞「本が売れたのはよかったんだけど…」九段理江さん、AIの先の人間見つめる
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ChatGPTを使った小説が、芥川賞を受賞したーー。
衝撃が、世間を駆け巡った。第170回芥川賞を受賞したのは、九段理江さんの『東京都同情塔』(新潮社)。九段さんが「全体の5%ぐらいは生成AIの文章をそのまま使っている」と発言したことがメディアを賑わせたのだ。
しかし本人は飄々としている。「結果的に本が売れたのはよかったんだけど」と振り返りながら、「もう少し慎重に考えて話したらよかったかな」とも語る。実際に『東京都同情塔』を読めば、本作はAIを描くことによってむしろ、人間のことを鮮明に描き出そうとしていることがわかる。
生成AIと創作、生成AIと人間について、九段理江さんに詳しく話を聞いた。
ChatGPTに取材しながら執筆
「AIについて考えることは、同時に、人間について考えることになるとも思うんです」
そう語る九段さんによる芥川賞受賞作『東京都同情塔』のあらすじは、こうだ。
<ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながら、パワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。>(新潮社ウェブサイトより引用)
生成AIについて、九段さんは「AIの言葉をそのまま使っている部分は、実は単行本が143ページあるうちの1ページにも満たないぐらい」と語る。ただし、「そのまま使っている部分」以外にも、執筆中はChatGPTを駆使していたという。
「執筆中もずっとChatGPTに取材しながら書いていました。例えば、『こういった人物が小説の中に出てきたら、読者はどう感じますか?』『この文体は、どう思いますか?』と。会見で咄嗟に5%と言ったのは、私の中では5%ぐらいという感覚は、やっぱりあったんですよね」(九段さん)
しかしながら、AIへの冷めた視線も、本作および九段さん自身の特徴だ。本作では、主人公の牧名がAIをこのように捉えて語る場面がある。
<訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイニング気質が、彼の嫌いなところだ。スマートでポライトな体裁を取り繕うのが得意なのは、実際には致命的な文盲であるという欠点を隠すためなのだろう。いくら学習能力が高かろうと、AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥じもしない。人間が「差別」という語を使いこなすようになるまでに、どこの誰がどのような種類の苦痛を味わってきたかについて関心を払わない。好奇心を持つことができない。「知りたい」と欲望しない。>
これは、九段さん自身が「AIに対して普段感じていることが、素直にそのまま主人公のセリフに反映されている」という。九段さんは、作中の牧名のようにAIの限界を理解しながら、執筆では“普通に”活用している。AIか人間か、ではない。AIを駆使して、人間が書いていくのだ。
そして、作中で非・人間であるAIを描くことを通して、人間を浮かび上がらせていく。
AIで人間の思考の限界を超えていく
<もうSNSとかじゃなくて動画とかじゃなくてね、そう何でも、ちっちゃな画面の中だけで想像するのではなくてね、しっかりお子さんと向き合って話されてくださいよね。>
同じく芥川賞候補にもなった九段さんの小説『Schoolgirl』(2022年)にある一節だ。語り手の「私」が、14歳の娘を連れて行った心療内科医から、面と向かって言われた言葉である。また、デビュー作『悪い音楽』(2021年)では、語り手が<私は子供の目を直視することにいまだになんとなく抵抗がある>と述べるなど、「向き合う」「直視する」といったテーマは九段さんの作品でたびたび登場する。『東京都同情塔』でも「向き合うこと」は主題のひとつになっている。
<AI-built(※)から提案されてはいたの。『自分と向き合ってみてはどうですか?』って>
※『東京都同情塔』に登場する生成AIの名称
九段さんがより鋭い眼差しを向けているのは、AIの先の人間である。
「『東京都同情塔』は、AIの言葉が人間の思考に侵食してきてしまっている世界観の話です。それを、私はあまり良いとは思いません。思考を侵食されてしまうのは、多分、人間が自分の弱さみたいなものから目を逸らしているから。それで、『楽をしよう』『怠慢になろう』とAIを使う。
自分が楽をするためではなくて、人間が自分の限界、つまり能力の限界や思考の限界を乗り越えるために、AIを使うのが大事なんじゃないかなと思います。人間を過小評価するのでもなくて、人間の価値を認めつつ、AIで自分の弱さを補って、それによって人間の思考の限界を超えていくことも十分可能だと思います。賢く使おうと思えばいくらでも。芥川賞も獲れちゃうぐらいなんですから」(九段さん)
SNSの言葉とどう付き合うのか?
SNSも、AIと同じように人の思考を侵食するものだと九段さんは見ている。作中では、人間を侵食するSNSの言葉に対しての懸念も示されている。
「SNSに書かれる言葉も、人間の思考を侵食していると思います。まずモチベーションが、自分の承認欲求を満たすため、注目を集めるため、いいね!を集めるため。でも『その瞬間にバズればいい』『瞬間的に注目を集めればいい』では、言葉がちゃんと機能していないなとも思っていて。この短期的な部分で人に何かを訴えかけても、あまり意味がない」(九段さん)
野間文芸新人賞を受賞した小説『しをかくうま』(文藝春秋『文學界』2023年6月号)では、作中の人物がSNSという「新しい宗教」を鋭利に批判する。
<新しい宗教は我々をどこへ連れて行ったか?もちろんこのとおり、どこへも連れて行かなかった。いいね!を増やしただけだった。いいね!はお布施よりもずっとお手軽でしょ。名言製造機をいっぱいつくって、一秒で共感させて一秒で感動させて理性をバグらせればいいんだもの。かくして快感情の家畜のできあがり>
一方で、詩を用いてコミュニケーションを取る場面も描かれている。「彼らがここまで走ってきた道程を、人間が発明した数字などで表現できるわけがない」と言う「わたし」に対して、相手は「道程、というのは、」と高村光太郎の詩を長く引用した上で「の道程?」と尋ねる。「わたし」は「そうです」と応えた。
たったひとつの単語を1対1でやり取りしているだけで、この情報量だ。例えば「ザハ・ハディドの国立競技場」と書かれれば、読者はあの壮大で流麗なフォルム、建設費をめぐる批判、そして隈研吾の顔までをも思い浮かべることができる人もいるだろう。
言葉にした瞬間に、そうした情報量が全て伝わることはなく、必ず何かがこぼれ落ちてしまう。これは「言語隠蔽効果」と呼ばれる。例えばAIが出力する言葉は、<人間が「差別」という語を使いこなすようになるまでに、どこの誰がどのような種類の苦痛を味わってきたかについて関心を払わない>。人間が味わってきた苦痛はこぼれ落ちる。
AIやSNSによって無限に言葉が増殖していくにも関わらず、言葉の持つ豊かさ、あるいはこぼれ落ちたものは軽視されているという倒錯した状況。AIやSNSの普及は、言葉を使って考えること、言葉を使って対話することの難易度を上げてしまっているのかもしれない。
2月11日公開の後編へ続く
Source: HuffPost