2023
11.16

「仕方ない」とドライに手放す時もある。53歳LiLiCo、年を重ねて変化した「自分をケアする」方法

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LiLiCoさんLiLiCoさん

世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、LiLiCoさんがホンネで語り尽くす本連載。今回のテーマは、「歳を重ねて変化したこと、よかったこと」です。

11月16日に53歳の誕生日を迎えたLiLiCoさんは、「20歳の時よりも自分のやりたいことを実現しやすくなった」と話します。仕事との向き合い方も「一生懸命なんでもやる」から、時には「手放すことも大事」だと考えるようになったそう。53年の人生で身につけてきたもの、そして人生を楽しむコツについて聞きました。

53年分の知識と人脈が、人生を楽しくする

11月16日に晴れて53歳になりました! 「年を取るのが嫌」という人もいるけれど、私は加齢をポジティブに楽しみたい。命あるものはすべて平等に年を重ねるのだから、落ち込むのはバカバカしいと思っています。

そもそも年齢とは「背番号」でも「ただの数字」でもなく、自分が経験を積んだ年の数。私には今53年分の知識や人脈という財産があり、そのおかげで20歳の時よりも自分のやりたいことを実現しやすくなっています。早く60代になりたいぐらい!

53年の人生で、もちろん自分の経験から学んだこともあるけれど、私が参考にしてきたのは他人の経験談。特に失敗談から、その失敗をどうやったら回避できるかと考えてきたから、よりよい選択ができるようになってきました。 

例えば、私は下積み時代に偉い人から「タクシー代出そうか?」と聞かれても、「売れたらノーギャラで忘年会の司会を頼まれるかも」と思い、いつも断っていました。先輩から同じような話を聞いていたからです。

車上生活をしていた20代の時には、「呼ばれたらすぐパーティーに行けるように、シンプルなドレスと小さくても本物のジュエリーを持っておくといいよ」とアドバイスしてくれた先輩もいました。当時は意味がわからなかったけれど、40代ぐらいになって、「必要な場所にいつでも出かけられるフットワークの軽さを持ちなさいということだったんだ」と気づきました。

年上の友人には、自分では行けないようないいレストランに連れて行ってくれて、最後に「今日は400万円かかった」など価格を教えてくれる人がいます。そのおかげで、私はレストランのグレードに見合った服装や、価格帯がどのように違うかを学びました。

出会った人の分だけ経験談を聞かせてもらえるのは、私が人との縁を大切にしてきたから。自分が一緒に仕事をしたい、友達になりたいと思う人と積極的にコミュニケーションを取ってきた結果、それは人脈になり、仕事に繋がったり、困ったときに助けてもらえたりするようになりました。

ここ何年かよくCMの仕事を一緒にしている広告業界の人は、10年以上前に知人が紹介してくれました。出会ったときから年を重ね、相手も裁量権のある立場になったのです。彼と仕事をするときは、毎回、紹介してくれた知人にも報告するようにしています。

身体の声に耳を澄ます

約3年前に骨折はしたけれど、健康面では、今のところ大きく変わりはありません。むしろ閉経して生理のわずらわしさから解放されましたし、昔より自分の身体のことをよく知っているのでコンディションを整えやすくなりました。

これからの人生も楽しみたいから、歯を大切にする、適度に運動するなど、日々健康でいられるように気を遣っています。一番心がけているのは身体の声に耳を澄ますこと。

40代後半でアルコールが残りやすくなってからは、お酒の量も減りました。30代までは「その瞬間が楽しければいい」と朝まで飲んでいた日も多かったけれど、今は誰かと食事に行っても「今日は肝臓が泣いているから」と飲まずに帰ることも。体調が悪いときは、食事に行くことも控えるようにしています。

私のスウェーデンの祖母が心臓発作で亡くなっているので、最近は寝る前に自分の心臓と「調子はどう?」と話すようにしています。

病院には早めに行くようにもなり、がん検診なども定期的に受けています。以前は、自分を過信する気持ちや治療に対する恐怖心があって病院にはあまり行きませんでした。

これらの変化もまた、友人、知人の失敗や後悔を通して学ばせてもらったこと。健康を損なって亡くなった人、病気で大変な闘病生活を送っている人、早期発見でがんの手術をしてリハビリ中の人…。みんなが教えてくれた早期発見の重要性を知らせるため、がん検診の啓発に関する仕事などもできるだけ引き受けるようにしています。

「仕方ない」とドライに手放すことも大事

私が年を重ねることを楽しいと感じるのには、メンタル面での変化もあるのかも。「仕方ない」と割り切るドライさを身につけたことで、気楽に生きられるようになりました。

それを教えてくれた一人は、『王様のブランチ』(TBS系)の元ディレクターさん。私がコメントを噛んでしまったり、うまく表現できなかったりして落ち込んでいたら「そういう日だったんだからしょうがない」と言ってくれたのです。また、失敗を繰り返すうち、私の失敗を他人はそれほど気にしていないし、リカバリーできることもわかってきました。今ではちょっとした失敗や、言葉を考えながら探して表現するのが生放送の良さだとさえ思っています。

2021年にミュージカル『ウェイトレス』に出演したときは、舞台で活躍している人たちも「今日はそういう日」と割り切って、気持ちを切り替えていることを知りました。それが毎日ベストを尽くすコツなんだな、と。

以前は「一生懸命なんでもやる」が仕事の信条でしたが、一部を手放すことも必要なのだとも考えるようになりました。できることをすべてしていた時はあまりに忙しかったし、自分の取ってきた仕事を横取りされて傷つくこともあって…。

ジムのトレーナーと二人三脚で頑張ってボディビルの大会に入賞した経験、通販のプロ、美容のプロと一緒に通販サイト「LiLiCoCo」を立ち上げた経験からは、プロに頼ることの大切さも学びました。

「手放す」ということができるようになって、自分の心持ちが変わっただけでなく、より自分に合ったものに巡りあえるようになった気がします。

例えば、CM出演の最終候補の2人に入っていて、結局私ではない人に決まったとき、昔なら悔しがったり引きずったりしたものです。

でも今は、確かに選ばれた方のほうが私よりそのCMに合っていると素直に思えるようになりました。そして結果的に、ありがたいことにCM出演で指名されることが以前より増えました。

「自分の声を持っていること」が評価される社会に

昔から、年を取ることを怖いと思ったことはありません。それは、周囲にかっこいい人生を送っている先輩たちがいてくれたから。子ども時代は父の友人や一緒に働く人たちが素敵に見えたし、今も身の回りにいる80~90代の友人たちが自分の人生に誇りを持って生きているのに憧れています。

少し前まで、日本では、タトゥーが入っていたり、40代で独身だったり、派手なイメージがあったりする私のような女性には、CMのオファーがありませんでした。しかし5~6年前ぐらいから少しずつCMのオファーが増え、自分のようなキャラクターが日本で理解されるようになったことをうれしく思っています。

日本でジェンダー平等の意識が進んだのも一因でしょう。以前は自分の意見やアイデアを聞き入れてもらえる機会が少なく、自分の声を発信するのはよくないことなのかと揺れた時期もありました。でも、ここ数年はむしろ、自分の声を持っていることが評価されているとも感じます。

同時に、日本の女性たちを鼓舞する存在になりたいと思うようになりました。誰かの決めた「年相応」に合わせて、おとなしくなる必要はありません。何歳になっても恋もできるし、新しいことにチャレンジできる。私だって、プロレスデビューしたのも、小田井(涼平さん)と結婚したのも、ファッションデザイナーデビューしたのも、45歳を過ぎてからです。

新しい挑戦をするのは怖いもの。それでもチャレンジを続けるのは、たとえ失敗しても、その方が楽しい人生になると周囲の先輩たちが実証してくれているから。もしあなたの周りに年上の先輩がいないなら、私がそうなりたい。これからも楽しく生きられることを証明していくので、ともにポジティブに年を重ねていきましょう!

(取材・文=有馬ゆえ、写真=川しまゆうこ、編集=若田悠希)

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Source: HuffPost