2021
08.04

現在の論壇はイデオロギーから脱却しすぎて著者の顔が見えなくなっている

国際ニュースまとめ

<アカデミズムとジャーナリズムの架け橋を担う論壇誌『アステイオン』94号の特集「再び『今、何が問題か』」から見える、以前の論壇との違い、これからのメディアに期待することとは? 「アステイオン」ウェブサイトより大阪大学名誉教授・猪木武徳氏による「押しの強い書き手の登場を」を全文転載する> いわゆる「論壇誌」(論壇の有無は問わないとして)の位置や影響力は過去半世紀で大きく変わった。端的に言えば、読者数が減ったということだ。 1964年4月に大学に入学し、教養部の新しいクラスの自己紹介の折、ある学生が「僕は『朝日ジャーナル』を創刊号から全て持っている」と自慢げに話したのを憶えている。いまなら「So what?」と野次られて笑い声が起こるかも知れない。当時はそのような雰囲気は全くなかった。 『中央公論』『世界』『展望』はもちろん、創刊後4、5年しかたっていなかった当時の『朝日ジャーナル』には、今でも読みたくなるような書き手が登場していた。「60年安保」以後であったが、ベトナム反戦運動や文化大革命はまだ始まっていなかった。 論壇の左翼色は明らかであったが、読んで面白い文章も少なくなかった。保守派知識人では福田恆存などが、歯切れのよいレトリックと論理で、密度の高い論考を書いていた。要するに、「右も左も、書き手はよく勉強をしており、読み手も学ぶところが多かった」ということなのだろう。 論壇誌のライバルとなるような活字媒体は少なく、学生が読む物は、新潮文庫、岩波文庫、角川文庫などの文学作品が多かったように思う。他に遊びと言えば、マージャン、女子大生との合ハイ(合同ハイキング)、あとは体育会系のクラブ活動だろうか。いわゆる軟派系のスポーツ「同好会」というのは記憶にない。 『朝日ジャーナル』とほぼ同時期に創刊された『少年サンデー』『少年マガジン』も高校生、大学生の心をとらえていたが、論壇誌のライバルとしての漫画が、知的好奇心のある若者の強い関心を獲得したのは、白土三平の「カムイ伝」以降であろう。 ===== 「カムイ伝」が掲載されていた雑誌『ガロ』の漫画のドラマとリアルな描写からそれとなく滲み出る「イデオロギー」に魅せられた大学生は多かった。やはり若者は無意識のうちに漫画の中からも、「イデオロギー」や思想性を求め、読み取ろうとしていたのではなかろうか。 つまり、読者、特に若くて知的関心の強いものは、客観的な事実や理論分析だけではなく、形而上学的な解釈を求め、書き手の想像力に期待するものだ(筆者の場合は、宗教には関心があったが、唯物論的なイデオロギーに興味はなかった。白土三平の『忍者武芸帳』よりも、イデオロギー色の全くない奇抜な発想の山田風太郎の忍者物が断然面白かったことを憶えている)。 いずれにしても、読者は、良質な形を取ったものであれば、宗教・思想あるいはイデオロギーに関連する問題に強い関心を持つものだと改めて感じる。 ところが、現代の論壇の特徴を一言で言うと、イデオロギーからの脱却を意識し過ぎて、政治や経済、国際関係の「科学的分析」を強調することにある。だが、この「科学的な」スタイルの学術的な論考に読者は親しみを覚えないのではないか。 とは言え、わたしは決してデータや資料を軽視していいとか、論理的な推論が無くてもいいと言っているのではない。情報の丁寧な分析や理論化の背後に、「想像力を働かせつつ主張する著者の顔」を読み取りたいのだ。実証性を重んじるあまり、「クセ」がなくなってはいないか。なにか学会向け論文のようになってはいないだろうか。 もちろん、単なるエッセイではなく、信頼できる情報に基づく論考でなければならないのだが、そこに何らかの筆者固有の新しい主張がほしい。 論壇誌の中には、イデオロギーや主張が強すぎ、内容が読む前に予想できるようなものもある。そういう論考は別にして、政治、社会、文化を論じた文章が、イデオロギー中立的、無色透明ということはあり得ない。考えや主張が著者の顔とともに浮かび上がるような「押しの強い」書き手が現れるのを期待したい。 例えば、『アステイオン』(2021・094)の北岡伸一「西太平洋連合を構想する」は、米国、中国ぬきの、日本、東南アジア諸国、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋島嶼国などの緩やかな連合体の可能性をかなり具体的に論じており、今後議論を呼ぶような興味深い提唱だ。これはわたしの言う「想像し主張する著者の顔が見える」論文だ。 ===== 今回、『アステイオン』の感想を求められたので、ここまで述べてきた視点から、印象程度のことになるが、感じたところを記しておきたい。 まずは、田所昌幸氏を委員長とする編集委員会諸氏のご努力で、優れた(達者な)書き手による論考が集まったことは喜ばしい。ただ、書き手の専門分野が異なることもあって、特集テーマ「再び『今、何が問題か』」がテーマとして「縛り」が弱かったように思う。 こうした一般的な問いかけ(テーマ)に対する応答は、分野により、問題の大小、複雑さと困難さが異なるため集めると一様感は生まれにくい。もう少しテーマを絞り込んでもよかったのではないか。役者はそろえたのだが、ひとつの舞台に登場してもらうには多様かつ人数が多すぎて「密」になった感は否めない。 様々な分野の論文を、統一感を持ってどのように読者に示すのかは容易ではない。『アステイオン』は、昔の総合雑誌(特に戦前の『中央公論』や『改造』)のように、政治も経済も、そして世相も文学も芸術も、洗練された視点から知ることができる点が大きな魅力のひとつだ。現代の諸問題のポイントが一冊で分かるというのは重要だ。 専門が分化し、「自分の世界が一番重要だ」と考えてしまう専門主義は健全な精神を生まない。だが、そうならないための工夫は簡単ではない。最近読む機会はほとんどなくなったが、米国のNew Yorker などもその辺のバランスを取ることに細心の注意を払ってきたようだ。こうした他分野横断的な雑誌に、どのような構造(端的には目次)を与えるかが成否を分けるとも言える。 さらに望蜀の感を承知でつけ加えれば、海外の知識人、特に外国の社会や文化、特に文学や芸術分野の知識人の発言について紹介するようなスペースがもっとあればと思う。国際政治や経済に関しては、米国の「フォーリン・アフェアーズ・リポート」などが日本語で読める。 しかしこれからの日本と東南アジアの関係の重要性を考えると、東南アジアの知識人たちの動向についてのわれわれの知識と理解ははなはだ不十分と言わざるを得ない。 以上要約すると、政治も文学も、そして芸術も取り上げるというこれまでの方針は大事にしてほしいということ、しかしそのプリゼンテーション(構成や、目次、そして特集の組み方)にはいまひとつ工夫が欲しいこと、海外、特に東南アジアの知的風土の現状を理解するためのアンテナも張ってほしいことなどであろうか。 最後に付け加えると、執筆者の年齢幅は広くとり、年齢間で相互に啓発しあえるメディアとしても機能することを期待している。 猪木武徳(Takenori Inoki) 1945年生まれ。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授等を歴任。専門は労働経済学、経済思想、経済史。主な著書に『経済思想』(岩波書店、サントリー学芸賞受賞)、『経済学に何ができるか』(中公新書)、『文芸にあらわれた日本の近代』(有斐閣)、『自由の思想史――市場とデモクラシーは擁護できるか』(新潮選書)など。 ※当記事は「アステイオン」ウェブサイトからの提供記事です。 『アステイオン94』 特集「再び『今、何が問題か』」 公益財団法人サントリー文化財団 アステイオン編集委員会 編 CCCメディアハウス (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

Source:Newsweek
現在の論壇はイデオロギーから脱却しすぎて著者の顔が見えなくなっている