08.01
サントリーのコピーライターが、生物多様性を守る「森の番人」に。ネイチャーポジティブを目指す企業へ伝えたいこと
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「サントリーは、限りある地下水にこんなに依存しているんだ」
サントリーの宣伝部でコピーライターをしていた山田健さんは、天然水の広告を作ろうとしていた中でそう気づき愕然とした。
当時サントリーでは使っている水の安全性調査や周辺の環境影響調査などは行っていたが、降った雨がどのように森に染み込み、地下水になっていくかまでは詳しく分かっていなかった。日本全体で見れば、無限と思うほど潤沢にあると思っていた地下水は想像より少なく、荒廃していく森も多いことが、調べていくうちに見えてきたという。
会社の生命線でもある水を守るために、森と、土と、生物多様性を守り、再生させる「天然水の森」プロジェクトをやるべきだと、山田さんは社長に訴えた。ボランティアではなく、事業として。
一会社員のコピーライターが、社長に事業提案。返ってきた答えは、「やってみなはれ」。
サントリーの創業者から受け継がれているその一言で、山田さんは全く違う畑の仕事をすることになった。
一見関係なさそうでも、全ての仕事が繋がっている
神奈川県の湯河原出身。森や海が身近な環境で育った。幼い頃から300坪もある畑の世話を任されていた山田さんは、自然の恵みを食べ、匂いを嗅ぐことが、ごく自然なことだったという。
高校生の頃にドイツ文学に溺れ、物書きを目指すことにした山田さんは、サントリーの宣伝部にコピーライターとして入社。世界中のワインや、ウイスキーの樽に使われる木が育つ森を取材した。
「ワインのブドウ畑を見ていると、畑の土の大事さや、国によって森の管理の仕方が全然違うことに気づきました」
少しずつ「森や土などの自然」と「自身の仕事」の繋がりへの気づきを積み重ねていた2000年頃。サントリーで、水やお茶などの商品構成の割合が増えていることに気づいた山田さんは、「今後コピーライターとして生き残っていくためにも、天然水の広告を作ろう」と調べ始めた。
きっかけは「自分のキャリア」のためだったが、その中で冒頭の「サントリーが地下水に依存している」事実に愕然とした山田さんは、宣伝制作チームで「天然水の森」プロジェクトを「事業”として社長に提案したのだった。
「山田の趣味だろう」と言われて
社長へのプレゼンに成功し、専門家の協力のもと、「天然水の森プロジェクト」の第一号を「天然水の森 阿蘇」に設定した。順調な滑り出しに見えたが、ことはそう上手く行かなかったようだ。
山田さんはプロジェクトが動き出したタイミングで、グループ会社のサン・アドへ異動することに。「天然水の森プロジェクト」自体の舵取りは本社の環境部に任せ、しばらくは天然水の森に関するメッセージを発信していた。その時にチームで作った広告が、今やコーポレートメッセージになった「水と生きる」だ。
しかしふと気付くと、肝心の森の整備が「本質的ではない」方向に動いていたという。
「当初はサントリーの工場がある森の水源涵養(かんよう)エリアで、汲み上げている水以上の地下水を育てるはずだったのが、工場と全然関係のないエリアに設定するようになってしまった。さらに『森の整備はプロに任せて、教育活動だけしよう』という方向にプロジェクトが進んでしまったんです」
このままでは、プロジェクトが形骸化してしまう。しかし、今の方針に反論できるほどの知識や経験が自分にはない。危機感を覚えた山田さんは分厚い図鑑や本を背負って何度も森へ足を運び、木のこと、土のこと、微生物から動物まで生物多様性のことを現場で学び始めた。
「50歳ぐらいの時に、コピーライターを引退するから森のことをやらせてくれと役員に直談判しました」
直接売り上げが立つわけではない事業に反発する声はなかったのだろうか。聞くと、「反発というより、無関心でしたね。どうせお前の趣味だろうと。でもそういう時期があったからこそ、いろんな形の研究体制を作ることができたんだと思います」。そうあっけらかんと当時を振り返った山田さん。
「徐々に経営トップ層の理解も進んで、風向きが変わっていきました。当初からボランティアではなく事業としてやると決めていたので、数値目標も決め、必要な予算もつけ、本当に多くの専門家とともに森を育て、再生していきました」
「少しだけ胸を張れるかな」
天然水の森プロジェクトはどんどんと大きくなり、森で育む水の量も国内工場で「汲み上げる地下水以上」から、「汲み上げる地下水の2倍以上」へ。2023年5月の時点で天然水の森は22に増え、約1万2000haもの広さになった。
「この約20年の研究で、森の水を育てる力(水源涵養力)は、生物多様性の豊かさとほぼイコールであることがわかってきたんです」
2022年には「サントリー天然水の森 生物多様性『再生』レポート」を発表。企業が事業として生物多様性の保全に取り組む先進的な取り組みをまとめた。
同年は、生物多様性条約について話し合う国連会議「COP15」で、2030年までの世界目標「昆明・モントリオール生物多様性枠組み」が採択され、ビジネス界でも生物多様性への注目が高まった年だった。
世界目標には「生物多様性の損失を止め反転させ回復軌道に乗せるための緊急な行動をとる」という“ネイチャーポジティブ”を目指す文言が明記され、「世界全体の陸域と海域の30%を保全する「30 by 30」などの目標が設定された。
「ネイチャーポジティブって、日本の場合にはイコール『ウォーターポジティブ』だと思います。ネイチャーポジティブが叫ばれる前から、それを言える状態を作ってきたというのは、少しだけ胸を張れることかな」(山田さん)
“森の番人”から、様々な企業で生物多様性に向き合う人へ伝えたいこと
今、企業としてどう生物多様性、ネイチャーポジティブに取り組むか頭を悩ませている人も多いかもしれない。「何から始めればいいのか」と途方に暮れる人に伝えたいことを聞くと、「その企業にとっての生命線を守りましょう」と山田さんは言う。
「例えば、木造建築の会社が人工林の持続可能な管理をする、コーヒーの会社がコーヒー農園における生物多様性の復活に取り組む、といったように。ただ、自然からの恵みである何かを“最大限”引っ張り出そうとすると、必ず他にダメージがくる。例えばCO2の吸収率が高い木は、水もたくさん使うので、地下水には必ずしも良くなかったりします。自然に対して欲張っちゃいけない。自然と折り合いをつけながら、企業の生命線と向き合って、守るための“当たり前”のことをしていけばいいと思います」
天然水の森が育っていくのに、20年、30年とかかる。育てた森から地下水を持続可能に汲み上げていく事業は、50年、100年単位のものだ。短期的な成果を求められることが多いビジネス界で、なぜ事業としてやっていけるのだろうか。
「サントリーはワインから始まりましたが、いいブドウができるのに30〜40年、高級ワインの場合には樽に寝かせて1~2年、そこから本当に飲み頃になるまで10年かかります。樽の樹齢も考えたら、100年、150年かかるんです。だからか、サントリーは驚くほど気が長いんですよ」
最後に、これからどんな未来を作っていきたいか聞くと、「いろんな生き物たちと折り合いをつけながら、あんまり贅沢をせずに生きていきたいですね。まあでも多少の贅沢にウイスキーやワインは飲みたいけど(笑)」と山田さん。
「人類は、森や草原を農地にし、湿原や水田を埋め立てて土地にし、地球のできるキャパ以上のことをしてきてしまいました。我々の世代が責任を持たないといけないと思います。そろそろマイナスを減らすだけじゃ無理。プラスを増やしていかないと間に合わない状況なんです」
Source: HuffPost