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マニュエル・ゲッチングさん、死去。テクノ・ハウスの祖先と呼ばれる「E2-E4」の作者。曽我部恵一さん「これからもずっと聴き続ける魔法の音楽」
テクノやハウスミュージックの祖先とも呼ばれる電子音楽の名盤「E2-E4」の作者が亡くなった。
ベルリン在住のミュージシャンであるマニュエル・ゲッチングさんが12月4日、家族に囲まれながら死去したと、本人の公式サイトが発表した。70歳だった。死因は明かされていない。
90年代のテクノミュージックを牽引したイギリスのレーベル「R&Sレコーズ」の公式Twitterがゲッチングさんを追悼。「独創性のある『E2-E4』の作曲家/プロデューサーは、ハウスとテクノミュージックの発展に重要な役割を果たしました」とコメントを出した。
RIP Manuel Göttsching
The composer/producer of the seminal release E2-E4 played an essential role in developing house & techno music. The album influenced the likes of Carl Craig with Manuel being a massive inspiration on Renaat in the formation of R&S Records. pic.twitter.com/fH8nv5W1JM
— R&S Records (@randsrecords) December 12, 2022
バンド「サニーデイ・サービス」の曽我部恵一さんは、訃報を受けてゲッチングさんに少しでも近づけたくてスタジオ名を名付けたことをや、「E2-E4」について「これからもずっと聴き続ける魔法の音楽」と振り返っている。
自分が独立した頃、「E2 E4」を毎日のように聴いていた。些細なことでも近づきたくて、マニュエル・ゲッチングのプライベートスタジオ"STUDIO ROMA"をもじって自分の仕事部屋を"STUDIO ROSE"とした。それは今でも自分の会社の名前。これからもずっと聴き続ける魔法の音楽。 pic.twitter.com/HesR4ecb9H
— 曽我部恵一 (@sokabekeiichi) December 12, 2022
■テクノ・ハウスに影響を与えた名盤「E2-E4」とは?
公式サイトによると、ゲッチングさんは1952年ベルリン生まれ。1970年代にクラウス・シュルツさんらとバンド「アシュ・ラ・テンプル」を結成した。1984年にソロ名義でアルバム『E2-E4』を発表した。
この曲は59分34秒の演奏を録音したもので、反復するシンセとリズムマシンの自動演奏に合わせて、ゲッチングさんのギターの即興がかぶって徐々に変化していくというものだ。
アメリカの音楽メディア「ピッチフォーク」によると、当初このアルバムはあまり売れなかったが、1989年にイタリアのユニット「スエノ・ラティーノ」によるディスコ・アレンジが大ヒットした。デトロイト・テクノにも大きな影響を与えており、デリック・メイさんらが1992年にリミックスしている。
レッドブル・ミュージックアカデミーによるトークイベントの中で、ゲッチングさんは録音当時、どんな気持ちを込めて演奏していたかを問われて、以下のように振り返っていた。
「いえいえ、ただ弾いただけです。以前、自分のスタジオで何度もセッションをして、30分のレコーディングを何度もしたのと同じように、私は演奏したかったのです。時には10分しかなくて、何かが起きていてそれを止めたこともある。これは1時間やっただけ。いや、別に特別な気分ではありません。ただ、ちょっとだけ、ライブの雰囲気というか、観客のいないスタジオで私一人がライブをしているような感じがしたんです」
Source: HuffPost