2022
10.12

安倍氏銃撃事件で言葉詰まらせ、数万件の罵倒を受けた中国人女性。一命取り留め目指す「ちょっとだけ優しい世界」

国際ニュースまとめ

「人の本質は善良であると思っていました。しかし私の価値観は揺らぎ始めています。以前の考えは間違いだったのでは、と。そして一度疑い始めると、もう元に戻れないことにも気づき始めているんです……」

筆者の目の前で何かを思い出すようにゆっくりと語り始めた女性は、安倍晋三元首相の銃撃事件を機に、中国のネット空間や世界中の華人たちの話題を独占した騒動の主人公だ。

曾穎(そう・えい)さん、32歳。安倍氏の事件を伝える中国メディアのネット中継で嗚咽したとみられたことが原因で「売国奴」のレッテルを貼られた女性だ。

取材に応じた90分の間にも、曾さんの元には4000件を超える罵倒が届く。冷静さを失い、自ら死を選ぼうともしたが一命を取り留めた。

リハビリを経て社会復帰した今、曾さんは心に深い傷を負いながらも、生きて進む道を見つけようとしていた。

曾穎さん(本人提供)曾穎さん(本人提供)

■数万件の罵倒コメント

曾さんは日本生活12年。複数の会社を経営する傍ら、SNSではインフルエンサーとして活動していた。中国のSNS「ウェイボー」には250万人ものフォロワーを持つ。

7月8日は仕事の関係で京都府にいた。曾さんの携帯が鳴ったのは移動中だった。

「安倍晋三氏が撃たれた」。

電話の主は上海市に拠点を置くネットメディア・澎湃(ほうはい)新聞だった。「澎湃新聞は日本で大きなニュースがあるたびに私に連絡をするのです。私は日本社会にもある程度理解がありますし、中国で記者をしていた経験もあるからです」と曾さんは説明する。奈良県で電車を降りた。生中継に出るために適当なホテルを探した。移動するローカル線のなかで、安倍氏が命を落としたらしいと聞いた。

ホテルの一室から中継に出た。安倍氏の経済政策や、留学生の受け入れ拡大につながった施策などを説明している時だった。言葉をぐっと詰まらせた。大きく息を吐いた。涙を堪え嗚咽しているようにも見えた。

この行為が中国のネット空間に火をつけた。

中国人である曾さんが、保守派を代表する政治家だった安倍氏の死を悲しんでいるーー。そうした解釈が一気に広まり、怒りに満ちたコメントが矢のように降り注いだ。「安倍と一緒に埋葬されろ」「中国人に相応しくない」などと批判が噴出した。

曾さんはその後、ウェイボーに声明を出している。「個人的な感情を公に出すべきではなかった。間違いだった」などと謝罪したが、結果として火に油を注ぐ形となった。罵詈雑言に満ちたコメントは数万件に達した。

頭をよぎったのは自身のこれからだった。「政治的な正確さ」が不可欠な中国でインフルエンサーはもうやれない。それどころか、インバウンド関連の業務を手掛ける自身の会社にも影響が及ぶかもしれない。

「32年間で全てを経験した。結婚して子供を産む以外に、もう全ての光景を見てきた」。そんな想いがよぎった時、命をたつ選択肢が浮かんだ。

曾さんは都内の病院に運ばれる。懸命な治療の甲斐あって一命を取り止めた。長い間寝たきりだったから、まずは座ることを目指してリハビリに励んだ。9月の取材当時にはすっかりビジネスの現場に戻っていた。

気づけば、曾さんはネット空間の話題をほぼ独り占めしていた。「澎湃新聞の駐日女性記者が自殺を図った」などと英語や中国語でニュースになっていたからだ(なお、曾さんは「記者」ではない)。Twitterには華僑や華人から、曾さんの無事を願い励ますコメントが相次いでいた。

■言葉詰まらせた、本当の訳

「本当に、複雑な感情が混ざり合っていたんです」。 安倍氏の中継で言葉を詰まらせた理由を尋ねたところ、曾さんはこう話し始めた。

最初に挙げた理由。それは、自身のこれまでの人生と安倍氏を重ね合わせていたことだ。

「私は12年前、たった一人で日本にきました。家族も友人もいない。居酒屋やコンビニ、それに弁当容器の工場でアルバイトをして学費を稼ぎ大学を出て、経営者としての今があります。努力して生きてきたという自負があります。だからこそ同じような境遇の人に同情してしまうのです。私にとって安倍さんは政治家というより、60代のご老人なのです。日本のために頑張ってきて、政治家としての生涯や夢はまだ始まったばかりのはずです。それなのに、無名な候補の応援のために、街頭で撃たれ、悲惨な亡くなり方をした。人間として、同情してしまったのです」

安倍氏の銃撃現場に供えられた花安倍氏の銃撃現場に供えられた花

人間としてだけでなく、安倍氏の推進した政策にも感謝の念を抱いていたという。それは、中継で経済政策などに言及したタイミングで言葉を詰まらせたことにも繋がっている。

「安倍さんは中国人留学生や在日中国人に多くの貢献をした人です。アベノミクスで円安が進んだことで、私のような富裕層出身でない中国人にも日本へ行くチャンスが生まれました。アメリカ、イギリス、シンガポール…どこも高い。日本は物価も学費も安くなった。安倍さんは門を開いてくれた方です」

「安倍政権はインバウンド(訪日観光客)も推進しました。中国人は日本の観光ビザが取りやすくなり、日本企業の中国人観光客向けプロモーションを手掛ける私の会社にたくさんのビジネスチャンスが訪れました。もちろん安倍さんは中国人というより、日本の観光業のために働きかけたのだと思いますが、結果的に私たちも恩恵を受けられたのです」

事件がきっかけで「日本経済が落ち込むのではないかと、経営者としても絶望した」という曾さん。同情や悲しみ、そして恐怖が入り混じるなか、中国のネットユーザーが次々に投稿するコメントが感情に追い討ちをかけた。

「私はパソコンから中継に出る傍ら、スマホで弾幕(リアルタイムに寄せられるコメント)を見ていました。『よく死んでくれた!』『パーティだ』とかが流れてきて…『この人たちは人間か?』と思いました。安倍さんは私たちを殺してもいない。血肉のある同じ人間の死をなぜ喜べるのか。彼らが魔鬼(中国語で「悪魔」)に見えました。驚き、理解し難く、恥ずかしく、苦しくなり、絶望し…。こうした感情が混ざり合い、私は言葉を詰まらせたのです」

■「架け橋」でなくなっても貫いた自分

未だに誹謗中傷を受け続ける曾さん。ウェイボーのダイレクトメッセージを見せてもらうと、「まだ自殺していないの?」など、目を覆わんばかりの誹謗中傷が止まることなく押し寄せていた。

なぜネットユーザーはここまで怒ったのか。その背景の一つに、「愛国心」を盾にした日本バッシングが強まっていることがあるとみられる。今年8月、蘇州市で浴衣を着てコスプレをしていた女性が警察官に「中国人がなぜ和服を着るんだ」などと詰問されたことが話題になった。

それだけではない。これまで問題なく開催されていた「夏祭り(中国語で「夏日祭」)」を冠したイベントが「日本による文化侵略だ」などと批判され中止に追い込まれたほか、東北部・大連に作られた京都をイメージした商店街は日本の要素を排除するよう地元政府から求められた。

曾さんも今回の騒動で「精神的日本人」と攻撃された。呪詛のように積み重なった罵倒は、時として自虐的な想像へと曾さんを追いやった。

「ある社会実験をしたいと、ずっと思っていました。中国の街中に立ち、『私が曾穎だ。安倍氏の死に嗚咽したあの女記者だ。なんでも好きにしていい。法的な責任も問わない』という看板を掲げるのです。彼らは私を抱擁し慰めるでしょうか。それとも、意のままに殴りつけるでしょうか?現実の世界で、私を理解してくれる人が多いのか、それとも死を望む人が多いのか…」

中国へ戻ることはまだ考えられない。それでも「中国には深い感情がある」という気持ちに変化はない。尊敬する両親や友人のいる中国と、12年間暮らした日本の友好関係が自身の願いでもある。

2020年2月には、新型コロナウイルスが猛威を振るった中国・武漢市に支援物資を送った日本人への「恩返し」として、鹿の着ぐるみに身を包んで渋谷駅前でマスクを配ったこともある。

「あの時、中国では売国奴と呼ばれ、日本では共産党のスパイと言われました。知ったこっちゃありません。私はもっとシンプルな人間。『武漢の人は恩を忘れない』と伝えたかっただけです」

ネットで叩かれても日中友好につながると信じる活動を続けたのは、譲れない信念があったからだ。

「今、会社を経営できているのは個人の努力よりも時代背景の影響が大きいのです。(これまでの)日中関係の安定、円安、中国市場の重視…。こうした時代背景があったから私はお金を稼ぎ、自らの社会階層を引き上げられました。日中友好に感謝しています。恩返ししなければいけない。自分さえ良ければいい、というのは利己主義者です」

だが今回の騒動で、中国でインフルエンサーとして活動することはできなくなった。いわゆる「友好の架け橋」にはもうなれないかもしれない。しかし後悔はないと胸を張る。

「日本を罵ったり、風向きがまずいと思ったら謝ったりするなど、中国市場に迎合する選択肢もあったわけです。でも嫌でした。自分に正直でありたいのです。自分が受けた恩に対して、口を閉ざすのならまだしも、悪く言うようなことはあってはいけませんから」

■32歳、最大の悩み

ビジネスの現場にも復帰し、精力的に活動する日々を再開させた曾さん。しかし失ったものが全て戻ってきたわけではない。中国での宣伝活動に影響が出ると危惧したのか、プロモーションを請け負っていた日本の企業からは取引を打ち切られた。「数千万円の損失が出ました。会社を上場させる夢があったのですが、もう難しいですね」と無理をしたように笑う。

今後どうするのか、を聞くと5秒ほど考え込んだ。

「…ぼんやりしたままですね」と、絞り出すように答えた。

具体的な道筋は定まっていない。ただ少しづつ、やりたいことが見えてきているのも事実だ。

「この世界には生命に対して冷徹な人が多くいます。まるで道端に生える草のように扱われる人もいるのです。私はいつかお金をたくさん稼いで、生命や善良であること、それに愛に関する教育をしたいですね」

取材の終わりぎわ、曾さんは子供の頃の出来事を思い出しながら語った。それはネット空間で「人民の敵」扱いされ攻撃された経験とも繋がり、新たに進むべき道を照らし出している。

「お肉も満足に食べられない家庭で育ちました。白いご飯に醤油をかけたり、お粥に砂糖を入れたりして。両親は厳しくて、テストで満点を取れなかったり、クラスで一番じゃなかったりしたらひどく怒られました。その両親が、10歳の誕生日にウサギのぬいぐるみを買ってくれたんです。初めてのプレゼントでした。その夜、布団のなかでウサギを抱いて天井を眺めながら、絶対に温かい家庭を作るんだと誓いました。今は、自分がいることで世界がちょっとだけ優しく、温かくなってくれればいいと思っています」

自分が経験した苦しさを、他の人に味わってほしくない。そんな思いが曾さんを支えている。

「もちろん、どうすればこの夢が叶うかはまだ知りません。善良な人間でいて一体何の得があるのか、納得する答えを出せていませんから。これが私の、32歳の私の、最大の悩みです」

曾穎さん曾穎さん

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Source: HuffPost