2022
06.26

西銘順治:「イモハダシ論」での敗北から「県民党」での勝利へ

国際ニュースまとめ

那覇市長就任時の西銘順治(沖縄県公文書館所蔵)

 

分かれた協力路線と闘争路線

 1959年11月に琉球政府行政主席に就任した大田政作は、沖縄に対する日米協力方式を掲げ、米軍当局と協調するとともに、日本政府からの援助も取り付けていく。こうした方針は、沖縄住民の支持を得て、60年11月の第5回立法院選では、沖縄自民党が22議席を獲得して圧勝する(社大党5、人民党1、無所属1)。

 その背景にあったのは、沖縄をめぐる情勢の変化である。

Source: Foresight