05.29
ワクチンvs変異株、パンデミックが想定以上に長引く可能性
<科学者たちはウイルスの進化を追跡してきた。「今あるワクチンは依然として有効だ。新たな変異には実験室で対応するしかない」と米ロスアラモス国立研究所のコーバー博士は言う(後編)> ※前編より続く:ワクチン接種進むアメリカで「変異株の冬」に警戒が高まる 今後の感染状況にまつわる不確実性を特定の変異株のせいにしてしまえば、新型コロナウイルスとの闘いの複雑性や困難さを見誤ることになる。 そもそもウイルスは変化する環境に適応し続けるものであり、変異株の出現はその過程のスナップショットにすぎない。 1年以上前のパンデミック発生時、科学者たちはこのウイルスの進化を追跡する作業を始めた。感染者から検体を採取してゲノム配列を確定し、データベースに登録して世界で共有したのだ。 その代表格である情報データベースGISAIDには、172カ国で採取された新型コロナウイルス感染者の検体140万件以上のゲノム配列が登録されている。問題は、どの配列の違いが新たな脅威となるかだ。 ロスアラモス国立研究所のコーバー博士 COURTESY OF LOS ALAMOS NATIONAL LABORATORY この問いに答えを出す役割を担う1人が、米ロスアラモス国立研究所(ニューメキシコ州)の計数生物学者ベッティ・コーバー。何十年も前からエイズウイルスの研究に携わってきた人物だ。 エイズウイルスは新型コロナウイルスよりもはるかに素早く変異する。しかし今は、エイズワクチンも治験段階に入っている。 コーバーは今般のパンデミックを受けて自身の引退を棚上げにした。そして今は、山と積み重なる新型コロナウイルスのゲノム配列とにらみ合って長時間勤務を続けている。 公衆衛生当局は当初、新型コロナウイルスは変異するのが遅いと言って一般の人々を安心させた。科学的には正しい見解だ。複製の正確さを確認する「校正」機能を持つため、そうでないウイルスよりは変異の確率が下がる。 しかし、新型コロナウイルスはエイズウイルスやインフルエンザと同様なRNAウイルスなので、変異を得意とする。それに、変異の速度は遅くてもウイルスの数が多い。 なにしろ感染者は1億人以上。変異を繰り返し、強い者が生き残って増殖する機会は山ほどある。 昨年3月から、コーバーは感染拡大に伴うウイルスの進化を追跡するツール作成に携わり、巨大な「進化系統樹」を作成して強力な変異株を特定する努力を続けてきた。 次なる課題は、数ある変異株との生存競争を勝ち抜く条件は何かを解明することだった。 成果が出るのは早かった。昨年の春、コーバーらは「懸念される変異株(VOC)」としてD614G変異を特定し、これにダグというニックネームを付けた。 ダグは最初に中国の武漢で出現したウイルスに比べて複製のスピードが速く、3カ月後には世界で支配的な変異株となっていた。調べてみると、感染力が強くなる変異が起きていた。 ===== ワクチン耐性を持つ変異株 昨年11月には公衆衛生当局も一般の人も変異株に注目するようになった。「見れば見るほど、判明すればするほど、意味合いがよく分かる」とワイルコーネル大学のムーアは言う。 変異株ダグの特定から1年が過ぎた今、より多くの人がワクチン接種または感染経験を経て、この変異株に対応できるようになってきた。 同じことが英国型と呼ばれる変異株B117についても言える。英国型は最近、米ミシガン州に感染拡大をもたらし、アメリカ以外でも主流になった。インドでの大流行にも大きく関わっている。 人々の免疫による抵抗力が高まればウイルス変異の道は阻まれる。とはいえ、また新たな変異株がそれを乗り越える可能性もある。 ワクチン接種済みの人にまで感染するような変異株は、変異株間の競争で進化上の強みを持つことになる。 南アフリカ型のB1351変異とブラジル型のP1変異は、現在あるワクチンによる免疫では完全には感染を防げない。例えばアストラゼネカ製のワクチンはB1351変異に効かないという。それ以外のワクチンに勝つ変異株が登場してくるのも時間の問題とみていい。 ワクチン耐性を持つ変異株は既にアメリカにも入り込んでいる。カリフォルニア州とオレゴン州でブラジル型、南東部では南アフリカ型が見つかった。 ワクチン接種を受ける人がもっと増えて英国型に対する免疫を持てば、ワクチン耐性を持つ変異株が進化上で有利な立場となり、やがて支配的になるかもしれない。加えて、さらに新たな変異株も出現し続けるだろう。 「人間はウイルスの進化の先回りをするほど賢くなければならない」とコーバーは言う。 「現時点で、このウイルスは免疫による防御を擦り抜けるような変異を始めているが、今あるワクチンは依然として有効だ。新たな変異には実験室で対応するしかない。変異の特徴を理解する必要がある。今後1~2年は、変異株に対応できるワクチンを試し続ける必要があり、こちらも対応を進化させなければいけない」 将来的に最悪の変異が起き、地球人の誰一人として抗体を持っていなかった2020年1月の状況に逆戻りする可能性は低い。コーバーらは警戒しているが、あくまでも最悪の事態に備えてのことだ。 より可能性が高いのは、変異株の続出でパンデミックが想定以上に長引くことだ。 南米チリでしばらく前に起きた事態を見ればいい。あの国では既に人口の40%以上がワクチンを接種していたのに感染者が急増し、過去の最多記録を更新した。 その一因として、まだ接種を受けていない人々が油断して、マスクなどの予防措置を怠ったことが指摘されている。だが変異株P1(ある程度までワクチンの効果を消す能力を持つとされる)の広がりが要因とも考えられる。 チリの経験は警鐘だ。ワクチン接種率が十分に高くない国は、変異株の潜在的脅威に対して安全とは言えない。 ===== 変異株に対抗するには、その社会に存在しているウイルスの総量を減らすのが一番だ。そうすれば感染の発生場所を迅速に特定し、封じ込めやすくなり、ウイルスが変異を起こす機会も減る。国外から変異株が侵入する可能性はあるが、それだけなら公衆衛生当局も対応しやすい。 だから、とウイルス学者のムーアは言う。 「陰謀論をばらまくQAnonやクレイジーな共和党政治家の話をうのみにしてワクチン接種を拒むアメリカ人が相当数いる限り、この国全体を正常な状態に戻す努力は報われないだろう」 さらなる感染症の出現は確実 だが最終的には、アメリカの安全は世界の流行状況に左右される。ウイルスに感染する人が多ければ多いほど、ウイルスが危険な、新しい形に変異する余地が増える。 「ウイルスの拡散を抑えれば抑えるほど、突然変異の余地は減る」とコーバーは言う。「だからワクチン接種と適切なマスク着用、社会的距離の確保は、ウイルス進化の可能性を減らすことにつながる」 世界中の国ができるだけ早く国民全員のワクチン接種を済ませることは、アメリカをはじめ世界のあらゆる国にとって利益となる。 だがその取り組みは予定より遅れている。 途上国へのワクチンを分配する国際的枠組みであるCOVAXは、年末までに最貧国の人口の20%に接種できるワクチンの配布を目指しているが、インドの感染爆発でワクチンの製造も出荷も停滞している。 だがCOVAXの問題はもっと前から始まっていた。裕福な国々が昨年にワクチンメーカーと契約を結んでいた頃、COVAXにはまだ必要な資金がなかった。事前にもっと多くの支援を受けていたら、貴重な時間を節約できていただろう。 「このパンデミックが終わっても地球温暖化や砂漠化、急激な都市化や人口増加に伴い、さらに多くの感染症の大流行が確実に起きることを覚悟しておくべきだ」と言うのは、途上国での予防接種に取り組む機関Gaviアライアンスの責任者でCOVAXの幹部でもあるセス・バークリー博士。 「それが分かっているのだから、それに備えなくては」 もう1つの重要な措置は、新しいウイルスやその変異株を監視し、追跡する科学者を支援する正式な機構を確立することだ。 バイデン政権は、アメリカで変異株の特定・追跡に当たる研究者に17億ドルの資金を投じるという。悪くない。しかし本当にウイルスの脅威を封じ込め、再びのパンデミックを防ぐには、もっと大規模で国際的な取り組みが必要だ。 世界は狭い。地獄絵図のインドとアメリカの首都ワシントンは、飛行機でわずか15時間の距離だ。
Source:Newsweek
ワクチンvs変異株、パンデミックが想定以上に長引く可能性