05.18
パレスチナの理解と解決に必要な「現状認識」…2つの国家論は欺瞞だ
<衝突が激化するイスラエルとパレスチナ、形骸化した自治政府と「2国家共存」に固執する弊害を考えるべきだ> 聖地エルサレムで始まった衝突が海沿いのガザ地区に飛び火し、多くの市民が犠牲になったせいで、自由を求めるパレスチナ人の戦いが久々に世界中の注目を集めている。そして遅まきながらも、国際社会は「二つの国家」の幻想にしがみつくのをやめて「一つの国家(による占領)」の現実を直視し始めた。 ヨルダン川の西岸から地中海に至る土地の帰属をめぐる争いは、もう何十年も続いている。争点は、要約すればこうだ。そこにあるべきは(ユダヤ人の)一つの国家か、それとも(ユダヤ人とパレスチナ人の)二つの国家か。 だが、何がどうある「べきか」という議論はむなしい。未来がどうあるべきかの議論は、もちろん大切だ。しかしその前に、つらくても現実を見据える必要がある。まともな現状認識を共有できていなければ、みんなで問題解決の方策を見つけていくことは不可能に近い。 自治政府に自治の権限はない イスラエルとパレスチナの地に「一つの国家」問題が浮上したのは何十年も前のことだ。1967年の第3次中東戦争(いわゆる「6日間戦争」)でアラブ勢力が惨敗し、ヨルダン川西岸から地中海に至る地域を一つの国家が軍事的に占領した。その国の名はイスラエル。占領は一時的な状態のはずだったが、そのまま半世紀も続き、それが既成事実となっている。露骨な欺瞞だが、それを黙認する人たちのせいで、いつの間にか常態となっている。 名目上はパレスチナ「自治政府」の領土とされるヨルダン川西岸で、パレスチナ人の暮らしを左右する絶対的な権力を握っているのはイスラエル政府だ。パレスチナの自治政府に自治の権限はない。イスラエルのお慈悲で生きているだけだ。イスラエルの許可がなければ、パレスチナ自治政府の役人は自分たちの「領土」に出入りすることもできない。治安の維持に関してイスラエル軍の占領当局と合意ができていなければ、パレスチナの存続は維持できない。 イスラエル建国の1948年から第3次中東戦争までの19年間は、それでもヨルダンがヨルダン川の西岸を、エジプトがガザ地区を支配し、それ以外の場所がイスラエル領だった。つまりアラブ人の土地とユダヤ人の土地が別々にあった。しかし、それも遠い昔の話。1967年から半世紀以上が過ぎた今、そこにあるのは一つのユダヤ人国家だけ。それが現実だ。 ===== この間、イスラエルは巨費を投じてヨルダン川西岸の入植を進め、点在する入植地の連結に邁進してきた。結果、今やそこに住むパレスチナ人のコミュニティーは寸断され、互いの行き来もままならない。俯瞰すれば、西岸ではパレスチナ人とイスラエル人が共存しているように見えるだろう。しかし現実には、イスラエル人が完全な市民権を享受しているのに対し、パレスチナ人は権利を制限された2級市民にすぎず、全く市民権を認められていない場合すらある。 イスラエル領内に住むパレスチナ人は国家に脅威を与える存在と見なされ、法の下でイスラエル人と平等な扱いを受けることはない。ヨルダン川西岸で暮らすパレスチナ人はイスラエル軍の支配下にあり、イスラエル政府に対しては何も言えない。エルサレムにいるパレスチナ人は完全に隔絶された状況に置かれているし、ガザ地区はイスラエル軍によって包囲され、そこに暮らすパレスチナ人は巨大な青空監獄に閉じ込められているに等しい。 東エルサレムの「再開発」を進めるイスラエル側とパレスチナ住民が今回も激しく衝突 AMMAR AWADーREUTERS グリーンラインの甘い誘惑 これがイスラエル人とパレスチナ人の現実なのだが、国際社会の一部は今も1949年の停戦協議で設定された双方の境界線、いわゆるグリーンラインにこだわっている。当時、紙の地図に緑のインクで乱暴に引かれた線だ。それは初めから地図上にしか存在しなかったが、今は地図からもどんどん消えている。 イスラエルがヨルダン川西岸とガザ地区、そしてエルサレムを占領した数カ月後の1967年10月30日、当時のイスラエル入植地委員会を率いていたイーガル・アロンは、イスラエルの公式地図からグリーンラインを削除するよう指示している。 国際法の下で、グリーンラインは「一時的」な占領地を示すものとされていた。しかしイスラエル国家はそれを無視し、占領という言い方も拒み、その地を恒久的に併合する方向へ突っ走った。 ある意味、グリーンラインには甘い誘惑があった。例えば国際法の正義を掲げて、いつの日かパレスチナ国家を建設する土地を地図上に明示する役割があった。だが現実には、それは国際社会が責任を放棄し、政治的に不都合な現実から目をそらすために利用されてきた。 例えばアメリカ。民主党の支持層にはイスラエルの対パレスチナ政策に反発する層が多い。そのため、同党の幹部らはイスラエル政府への不快感を示す手段として「二つの国家」論を口にしてきた。 ===== だがイスラエルによる一国支配が進み、パレスチナ人への人権侵害はひどくなる一方だ。具体的な政策転換を伴わずに「二つの国家」論に固執するのは、空疎なお題目を唱え続けることに等しい。 民主党議員が「私は二つの国家を支持する」と繰り返すのは、国内で銃乱射事件が起きて銃規制の議論が再燃するたびに共和党議員が「まことに遺憾だ」と繰り返すのとよく似ている。彼らが「二つの国家」を支持しているのは、本来なら悲惨な状況を変えられる立場にいながら、その正義を実現する責任を放棄し、悲惨な現実に目をつぶるのに都合がいいからだ。 それに、グリーンラインの存在を前提とすれば、軍事大国イスラエルと、その軍隊に占領された状態にあって国家としての主権を行使できないパレスチナが、あたかも政治的に同等な国家であるかのように見せることができる。それは一部の政治家にとって実に好都合な仮想現実だ。 イスラエルによる空爆を受けてガザ地区に炎と煙が立ち上る IBRAHEEM ABU MUSTAFAーREUTERS イスラエルを「自由」と評価できる仕組み つまり、グリーンラインを前提とした議論であれば、パレスチナには自治政府があると言える。選挙で選ばれた政府があり、その政府の政策があると言える。現実のパレスチナはイスラエルの支配下にあるのだが、双方があたかも対等な立場にあるような幻想をばらまける。 いい例が、米国務省の作成する毎年の人権報告におけるイスラエルとパレスチナの記述だ。この報告は一貫してグリーンラインの存在を大前提としており、「イスラエル」と「ヨルダン川西岸およびガザ」を別々なセクションで記述している。だからこそ、イスラエルのセクションを「イスラエルは複数政党による議会制民主主義の国だ」という文章で始めることができる。 つまりこの視点は、イスラエルに支配されている何百万もの人々が、自分たちを統治する政府への投票権すら持たない事実を完全に無視している。彼らの数は無視できるほど少なくないし、彼らの置かれた状況は一時的なものでもない。50年以上も続いているのだから、多くの人にとってはこれが常態だ。 アメリカ生まれの国際人権擁護団体フリーダム・ハウスも、同様にグリーンラインの存在を前提としているから、イスラエルを「自由」度の高い国と評価できる。イスラエルという国と、その軍事占領下にある大勢のパレスチナ人を切り離して考え、参政権を与えられていない何百万もの人々を別なカテゴリーに入れてしまうから、そうなる。 ===== 国際政治の具体的な議論でも、このグリーンライン幻想は現実をねじ曲げる役割を果たし、実に不可解な結論に導いている。ヨルダン川西岸における、いわゆるユダヤ人入植地の問題を見ればいい。 そもそも、入植地はイスラエル政府の国家的政策として立案され、同国の政府機関と軍隊が建設し、守ってきたものだ。しかしグリーンライン幻想に取りつかれた人々の目には、イスラエル国家とは別な存在に見えてしまう。その結果、悪いのは個々の入植者だという議論になり、入植地の建設・維持・拡大を進めるイスラエル国家の責任は問われないことになる。 この考え方は、イスラエル政府に圧力をかけるためのBDS(ボイコット・投資引き揚げ・制裁)運動に反対する議論にもみられる。 その典型が、政治評論家のピーター・バイナートが2012年に発表した意見だ。彼はニューヨーク・タイムズへの寄稿で、イスラエルではなく入植地(の人や産品)をボイコットすべきだと主張していた。グリーンラインの向こう側はイスラエルではない、と考えるからだ。 EU(欧州連合)が15年に、ユダヤ人入植地の産品には「イスラエル産」ではなく「入植地産」というラベルを貼るよう加盟各国に指示したのも、同じ理屈だ。入植地の建設に関するイスラエル国家の責任を、個々の入植地に転嫁している。 評論家たちも幻想を捨て始めた 本人の名誉のため付言すれば、バイナートはここ数年で考え方を改め、20年には「一つの国家」の現実を認め、そこにいる全ての人に平等な権利を保障することが前進の道だと書いている。12年の寄稿には「グリーンライン」という言葉が9回も出てきたが、20年の寄稿では一度も使われていない。 グリーンライン幻想を捨てた評論家はバイナートだけではない。中東問題を専門とする学者やアナリストを対象とし、中東における現在の政策課題は何かを聞いた最近の調査では、回答者の59%が「イスラエルとヨルダン川西岸およびガザ地区の現実」を「アパルトヘイト(人種隔離)に等しい一つの国家」だと評していた。 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチも最近の報告で、イスラエルがアパルトヘイトやパレスチナ人の迫害という犯罪行為を続けていると非難。その背景に占領地を含むイスラエル全土でパレスチナ人を支配しようとする政策があると指摘した。 カーネギー国際平和財団も同時期に報告書を出し、二つの国家を前提とした和平プロセスは「占領の現状を維持する足場の役割を果たすのみで、構造的に見ても平和と人間の安全をもたらすとは思えない」と断じている。 ===== 同財団はさらに、「二つの国家」が実現されていない現状では、「イスラエルの支配下にある全ての人に完全な平等と参政権を保障する新たな解決策を支持する」ことをアメリカ政府が宣言すべきだと論じている。 こうした変化を見ると、ようやくグリーンライン幻想を捨てる人が増えたのかと思いたくなる。だが実を言えば、幻想との決別を公言する人が増えたということだ。 各国のアナリストや外交官は何年も前から、非公式の会話の場では「一つの国家」の現実を認めていた。しかしグリーンラインの幻想を捨てる勇気はなかった。 アメリカ政府は早くも1967年の国家情報評価報告で、ユダヤ人入植地の拡大はイスラエルによるヨルダン川西岸の恒久的な支配につながると警告していた。同様の警告は、以後も複数の政府当局者が発している。例えばジミー・カーター元大統領は06年の著書で、このままだとイスラエルはアパルトヘイト国家になると警告した。 1980年代の初頭には、メロン・ベンベニスティ(70年代にエルサレム副市長を務めた人物。一貫して「二つの国家」の実現に尽力した)が「真夜中まであと5分」と警告していた。ヨルダン川西岸へのユダヤ人入植者が10万人に達したときのことだ。 それから40年がたち、気が付けば入植者数は50万を超えている。もう、とっくに真夜中は過ぎた。日は昇り、一つの国家による占領支配の現実を白日の下にさらしている。どこにも、二つ目の国家など見えはしない。 ただ、これが現実。その現実が見えたことを、今はよしとしよう。 From Foreign Policy Magazine
Source:Newsweek
パレスチナの理解と解決に必要な「現状認識」…2つの国家論は欺瞞だ