01.11
母と連絡を断った私に姉妹がした仕打ちにショックが隠せなかった。時間はかかったがわかったことがある
8年前、母に手紙で「しばらく連絡取るのをやめたい」と伝えた。もう二度と連絡を取りたくないというわけではなく、少し距離を置きたかったのだ。会話の端々に私を攻撃するような言葉を潜り込ませる母から離れる必要があった。
母には「あなたの体はみっともない」と言われたり、何か成し遂げた時には「不十分だし、そもそも疑わしい」と咎められたりした。性格診断テストを受けさせられたこともある。テスト結果を使って私を辱めるためだ。「どうしてそんなに内気なのかまったく理解できない。私は社交的なのに」という具合に批判の意が含まれていた。性的暴行を受けたことを打ち明けた時には、嘘をついていると責められた。
私が母に負わされてきた傷は目に見えるものではない。傷を負ったことで、自分のことを恥じ、疑い、不信感を持ち、自己批判するようになってしまった。私の選択に疑問を投げかけてくる母の言葉を断ち切り、自分自身の心の声に耳を傾ける必要があった。
連絡を断ってみてわかったのだが、母の攻撃によって傷ついた心を回復させるためにすごく多くの時間とエネルギーを費やしていた。
距離を置いたことで新たな見方ができるようになった。私の母と同じようなことを自分の娘にしている母親が世の中にいるとしたら、ゾッとする。その子には逃げるように伝えるだろう。ようやく自分の良識に目を向けられるようになったのと同時に、母と疎遠である現状とどう向き合うか考えねばならなかった。
音信を途絶えさせる前に知っておきたかった5つのことを紹介する。
1. 家族と距離を置くことを話し合うのは気まずく、多くの人がその決断に疑問を呈していくる
母と連絡を断つと友人に伝えたところ、「でも、お母さんはあんなに素敵な人じゃない」という反応が返ってきた。母はソーシャルワーカーとして数えきれないほどのボランティア活動に取り組んできた人だ。他人には決してモンスターの一面を見せることはない。ただ、誰も見ていないところでは感情の斧を振り回すのだ。「でも、自分の母親じゃない。母親は1人しかいないんだよ」とか「お母さんが産んでくれたんでしょ。感謝してもいいと思うよ」と言われることも一度や二度ではない。母親と縁を切ろうするのはいったいどんな人間なんだとみんな不思議に感じているようだった。
どんな犠牲を払ってでも家族の絆を維持したいという気持ちは理解できる。家族という根本的な関係性がある人同士でも取り返しがつかない形で仲が壊れてしまうことがあるとは誰も信じたくない。すべての有害な関係性に言えることだが、許しや和解を強制することは被害者側の癒しにつながるどころから、さらなる辱めを押し付けることになる。
以上の気づきから、家族と疎遠であることをむやみに人に打ち明けないようにした。ある調査によると、家族と疎遠であることに対する偏見は薄れつつあるという。アメリカでは成人の27%、つまり約9000万人が家族の誰かと疎遠であるという結果が出ている。
自分の状況を打ち明ける際は、相手をしっかり選べば、決めつけずに応援してくれる人を見つけられそうだ。
2. 自分の選択は正しいと言い聞かせるーー何度も何度も自分に言い聞かせる
私が下した判断について、多くの人は怒りにまかせた結果だと決めつけてきた。母を思いやる気持ちは持っていたのに。だけど私には母から自分を守ることが必要だった。愛ある関係を続けるためには、連絡を取らない決断をするしかなかった。傷つけられることのない安全な環境に身を置きながら、いい思い出を振り返る。「境界線を持つ」ということだ。
自分の決断の残酷さを思うたび、胸が締め付けられた。母は成長した孫たちの笑い声や悩みを聞くことができない。母が孫たちの暮らしぶりを知ることができないことを思うと、身が切られる思いだ。
母と私には決定的な違いがある。私は間違ったことをした場合、子どもたちに謝るようにしてきた。母に私たちの関係について話そうしても、母は「あなたは気にしすぎ」と言うだけで取り合ってくれなかった。
母の私に対する扱いは間違ったことをするレベルの話でも、「昔はそういう時代だった」という話でもない。そう気づくまでに何年もかかってしまった。母に仕返しをする考えはなく、ただ、自分を守るためによろよろと立ち上がり、防御のためにかがめていた体を伸ばして「もう十分」と告げたのだ。
他人からのプレッシャーや罪悪感に襲われたら、健全な境界線を持つことは正しい選択だと自分に言い聞かせよう。
3. 距離を置きたいわけではない家族とも疎遠になる可能性がある
あなたが距離を置きたいと思う相手だったとしても、他の家族にとっては有害な関係性の相手とは限らない。あなたが攻撃されているところを見たことがない、あるいは見ないようにしてきた可能性がある。そして、もともと家族として壊れていたにもかかわらず、家族のもとを離れた1人を元凶だとして非難する。
一家のために1人を犠牲にする「スケープゴート化」は、過ちにもかからず古くから行われてきたことだ。
姉妹たちとの関係性ももろいものだった。母が悪口や私たちを比べることを通して競争心や不信感をあおってきたからだ。
私が母と距離を置いたため、母は残りの家族にどっち側につくか決めるように迫った。みんな母の側についた。その結果に悲しみを感じたが、私が自分の決断を尊重してもらいたいのと同じように、家族たちの決断も尊重しようと思う。
しかし昨年、姪のインスタグラム投稿で母が亡くなったことを知り、家族のことが理解できなくなった。何も知らせてくれなかった家族にショックを受けていたところに追いうちをかけるように、呼ばれてもいない葬儀費用の3分の1を請求する知らせが姉妹から届いた。
いじわるで冷酷な仕打ちだったが、請求された額を支払った。姉妹を許すことはないが、彼女たちを責めることはしない。50年もかかってしまったが、母が私たち3姉妹を巧みに操っていたとわかったので。そのうち、姉妹たちも気づく日が来るかもしれない。私は心の扉を閉ざしてはいるが、鍵はかけていない。
それぞれの家族メンバーが現状理解についてどの過程にあるかを尊重することで、和解の可能性をとっておくことができる。
4. 憧れは消えない
母が亡くなる間際に話したかったかと聞かれることがある。そんな問いに対し、「最後に母が私の急所に一撃を食らわさせるのを許すということ?」と聞こうとする自分がいることに気づく。もう母には十分語りかけたのだ。50年にわたって、母には幾度となく「大好きだよ」と伝えてきた。そう伝え続ければ、いつか愛情を返してくれるかもしれないと願っていた。
母からの扱いについて自分を納得させようと我が人生の大半を費やしてきた。母は憂さ晴らしをしていただけだと理屈づけることにしたり、同情したり。きっと母は大変な人生を送っていたのだ。そんな仕打ちを受けるようなことをきっと私はしてしまったのだとも考えた。そして自分なりの結論に達した。
冷酷さへの和解は存在しない。
母との関係を続けるか、自分を守るか、選ばねばならなかった。疎遠にすると決めるまでずっと母との関係を続ける選択をしてきた。後悔はないが、叶わなかった、このような選択をしなくて済んだ人生への憧れは消えない。
複雑な悲しみに襲われた時、そばにいて支えてくれる友人が命綱となる。
5. 解き放たれる
連絡を断つのは第一歩だった。攻撃されて傷つくことがなくなり、気づきがやってきた。許すことを優先しなくていいとわかった時に、私にとっての回復、癒やしが始まった。自分の人生を見つめ、こんなことが起きたと口にすること、それだけでも十分な挑戦だった。だが、明確にすることが魔法の薬の役割を果たした。
母のあてこすりに思考を埋められることもなく、攻撃的な言葉を交わす必要もなく、母が分断した家族関係を修復しようとする必要もないため、私の人生には今ゆとりが生まれた。
まったくの別人になったようでもあるが、これまでにないほどに自分らしい、ありのままの私になったのだ。母が作り上げた人間ではない。母と連絡を断つことはつらいことではあったが、私にとって不可欠な自由をもたらしてくれた。
疎遠になることを擁護も非難もしない。ただ、疎遠とは何かについて話し合うことには意味があると考えている。家族関係は大切だが、自分の安全と心の健全さも同じぐらいかけがえがない。後悔しているか問われるたび、思わず笑ってしまう。おかしさからではない。ずれた質問だからだ。
「自分にどんな可能性を秘めていると思う?」「家族にはどんな可能性がある?」「どんな人生プランを描いている?」「どんな夢を持っている?」
いずれの問いも、母に尋ねられることはなかったものたちばかりだが、いまの私はしっかりとした答えを持っている。
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筆者のLea Page氏の著作物はニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、ガーディアンなど大手メディアに掲載されている。
ハフポストUS版の記事を翻訳しました。
Source: HuffPost