2024
09.08

「この歳になって『青春時代』」パラ陸上・和田伸也選手の原動力は、高校時代のある経験だった

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全盲のランナー和田伸也さんとガイドランナーの長谷部匠さん。2人はNAGASEカップに特別協賛している長瀬産業株式会社に所属し、2022年の第1回大会から主催者側として大会の運営企画や事前イベント等に携わる。また選手としても出場し、世界トップレベルの走りで大会を盛り上げてきた。2人を駆り立てる思いとは――。

和田 伸也(わだ・しんや)

1977年、大阪府出身。網膜色素変性症により、大学3年時に全盲となる。28歳で本格的に競技を始め、T11(全盲)クラスの国内トップランナーに。トラックとロードの二刀流で活躍し、2012年のロンドンパラリンピックでは5000mで銅メダル。東京パラリンピックは1500mで銀、5000mで銅。現在はマラソンに注力し、順調に記録を伸ばしている。

長谷部 匠(はせべ・たくみ)

1997年、京都府出身。高校から陸上を始め、男子3000m障害で近畿総体に出場した。卒業後は市民ランナーとして活動しており、2019年から和田のガイドランナーを務める。東京パラリンピックでは和田とともに1500mで銀メダル、5000mで銅メダルの獲得に貢献。22年に長瀬産業に入社した。

ーNAGASEカップに第1回から関わっておられますが、競技者として主催者側として、それぞれどのようなことを感じていますか?

和田 競技者としては、2大会とも800mと1500mの2種目にエントリーしました。東京パラリンピックは無観客だったので、NAGASEカップで社員の皆さんに私と長谷部くんがレースをしている姿を見ていただけて、非常によかったと思います。

主催者側としては、大会を盛り上げるための運営企画や事前イベントに関わらせていただいてきました。事前イベントでは、一般の小学生や社員向けに障害や競技についての講演をしたり、ブラインドウォーク体験(目の見えない役とガイド役が障害物をよけて歩く)を通じた交流を行いました。

大会そのものや事前イベントを通じて、より多くの皆さんの障害者に対する理解が進むように寄与できたらと思っています。また、第2回から東京パラリンピックの舞台となった国立競技場に場所を移して、徐々に陸上競技者の皆さんの中でも認知されてきたと感じています。「国立で走れる」という機会はなかなかないですから、今年も多くの方にエントリーしてもらえたらいいなと思っています。

ー競技の広がりという部分も伺いたいです。NAGASEカップを通じて、競技人口の増加や選手の実力向上といった点で、何か感じることはありますか?

和田 T11(全盲)クラスで言いますと、若い方になかなか競技にエントリーしてもらえないという現状があります。要因の一つに、マラソンにおいてT11単独種目がないことが挙げられると思います。それでも継続していかないと競技について知る機会がないと思うので、盲学校などへのアピールを続けていきたいです。NAGASE カップのような大会も活用してきっかけにしていただければうれしいです。

私は強化指定選手になって15年で、ジョギングから数えたらパラ陸上歴は18年。いろんなランナーの繋がりができましたが、全盲のランナーが出てきていないのが現状です。それを打開できるまで継続していかないといけないと思っていて、それも私の活動における一つのモチベーションにはなっていると思います。

ー競技者がなかなか増えない理由は、認知度の問題なのか、チャレンジするのが怖いのか、得意な人が少ないのか…さまざまな要因があるのでしょうが、和田選手は理由をどのように感じていますか?

和田 ガイドランナーの問題が大きいと思います。ジョギングいただけるガイドランナーはたくさんいますが、高い競技力のあるガイドランナーは本当に限られています。育成する組織があるわけでもなく、伝手をたどるしかないのが現状です。

長谷部 まず「伴走者」という存在がほとんど知られていません。実業団選手や大学生などのランナーに存在を知っていただけるだけでも、今後の伴走者育成に繋がると思います。知っていたとしても、どうやって伴走者になるのか、どう伴走をするのか…。多くのランナーにとって、伴走者になるためのきっかけ作りが難しい現状があると感じます。

全盲のランナー和田伸也選手とガイドランナーの長谷部匠選手全盲のランナー和田伸也選手とガイドランナーの長谷部匠選手

ー本格的にパラ陸上を始めてからもうすぐ20年、今年で47歳ですが、ますます充実しているように感じられます。ご自身をつき動かす原動力はどんなところにあるのでしょうか?

和田 高校時代にラグビー部を諦めたことなど、挫折を何回か経験しています。公立の高校でしたので花園(全国高校ラグビー大会の愛称)には行けなかったと思いますが、強い弱いの問題ではなく、卒業までやり切りたかった。チームメイトと一緒に最後までやりたかった…という思いが残っていました。同窓会に行って当時の話になっても、「でも俺、最後までおらんかったよな」と思ってしまいます。

その続きを、パラ陸上でやっているイメージす。 この歳になって「青春時代」なんておかしな話ですけど、会社と家族のサポートをいただいて、今はこれまでの環境の中で一番いい状態で競技に打ち込ませてもらっています。

今となってはもう、パラ陸上は切っても切れない存在。もし走っていなかったら、何をやっているのかもわからないくらいです。趣味も走ることですし、急に「走らなくていい」と言われても何をしていいかわかりません(笑)。入社して恵まれた環境を提供してもらって、競技者として救われたのも大きいです。

ーとはいえ、まずご自身の競技に打ち込むエネルギーや、ポジティブな人柄が周囲に熱を引き寄せる部分もあるのではないでしょうか。長谷部選手はそばにいる立場として、和田選手のバイタリティに引かれる部分もありますか?

長谷部 和田さんはポジティブだし、有言実行でやり遂げる方です。そういう姿勢を間近で見ていると、「自分も頑張りたい」という気持ちになります。その姿勢に心打たれる仲間も増えてくると思いますし、和田さんの伴走をすると、個人のレースで自己ベストが出る方も多いんです。相乗効果で高め合っていけているので、みんなで強くなっていけますし、楽しく走れるような雰囲気にもなっています。

ー周囲を巻き込むエネルギーを、もっと広く伝播させていきたい部分もあると思います。和田選手はご自身の営みを通じて、何か社会に対して伝えたいこともあって日々を送っているのでしょうか?

和田 人生半ばで目が見えなくなって、障害者としての暮らしが始まってから、視覚障害に対する理解がまだまだ途上にあることを実感しています。「心のバリアフリー」を進めていく上で自分の走りが役に立てたら…という思いでいます。パラリンピックで結果を出すのももちろんですが、それを通じて社会の理解が進み、視覚障害者も一人の市民として受け入れていただければなと思っています。

ーパラスポーツに限らず、スポーツは観る人にとっても有形無形のエネルギーを吹き込む存在です。和田選手はご自身の取り組みを通じて、今後のスポーツに対してどのような期待感を持っていますか?

和田 メジャーリーグの大谷翔平選手のように活躍されている方は影響力がすごくあって、元気や勇気を与えてくれていると思います。私も自分の走りを通じて、「自分も頑張ろう」と思ってもらえるようなことがあれば、頑張って良かったなと思います。また、私の場合は全盲なので、「弱視(T12)の単独走選手と競ってマラソンを頑張っているな」という部分も知ってもらえたらうれしいです。

(NAGASEカップ8月16日掲載記事「『心のバリアフリー』を願って
知命を前に充実の日々」より転載)

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Source: HuffPost