12.12
「日本にいる私たちに何ができる?」ガザ派遣の医師や現地で取材した記者の答えとは
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「紛争に苦しむ人たちのために、日本にいる私たちには今なにができるのか?」
パレスチナ・ガザ地区などで医療支援にあたる国境なき医師団(MSF)が東京都内で12月11日に開いたトークイベントで、司会者からこんな質問がされました。
10月7日の戦闘開始から2ヶ月以上が経過し、ガザでは1万8千人以上(ガザ保健当局)、イスラエル側では1200人超(国際連合人道問題調整事務所)が死亡。現地から遠く離れた日本では「無力感」を覚える人も少なくないかもしれません。
イベントに登壇していた、ガザに派遣されていた医師や、現地で取材をした記者らが語った、質問への「答え」とは。登壇者4人の意見を紹介します。
「知ることが大事」ガザで活動、感染症専門医の鵜川さん
ガザ地区に2023年4月から11月まで、国境なき医師団の一員として派遣されていた感染症専門医の鵜川竜也さんは、「今なにが起きているのか知ることがまず大事」だと語りました。
北部のアル・アウダ病院で医療支援に従事していた鵜川さんは、26日間の避難生活を経て11月1日にガザから退避しました。
日本へ帰国後、アル・アウダ病院が攻撃され、以前共に働いていた男性医師2人が犠牲になりました。
「被害はどんどん広がっています。避難した人たちも、ものすごく大変な状況になってきています。まずはガザの現状を知ってほしいです」
「皆が戦争にNOと言い、医療者への攻撃にNOと言えることが大切だと思います」
「一人ひとりが無差別な暴力に声を上げて」ガザに派遣、白根さん
MSFの人事マネージャーとして2023年5~11月、ガザ地区にある支援先の病院への人材配置などを担当していた白根麻衣子さんは、「犠牲になった命に思いを馳せ、声を上げること」が大切だと話しました。
戦闘開始後、空爆が続く中で白根さんも避難生活を送り、ガザから退避しました。
日本帰国後も現地に残るスタッフと連絡を取っていて、ガザから届く言葉が胸に突き刺さるようだと言います。
「現地のスタッフと毎日連絡を取りますが、先日、『死者数が毎日増えている。でもその数字はただの“数”じゃなくて、一人ひとりには命があって、家族や仲間がいた。本当に多くの人の“日々の暮らし”があったことを忘れないで』と言われました」
「仲間が家族を亡くしたり、まだ最前線でがんばってくれたりしています。今、わたしに何ができるかと考えたら、声を上げることだと思い、こうしてお話しをしています」
「ガザの人たちは、自分たちが世界から忘れられることを恐れています。避難中に『2014年にイスラエルによる大きなガザ侵攻があったけど、そのことを今覚えている人はどれだけいるだろう』と言われました」
白根さんは、どんな形であれ紛争に対し声をあげてほしいと訴えました。
「一人でも駅前でデモができる。声を上げる方法はたくさん」作家・いとうせいこうさん
作家でクリエイターのいとうせいこうさんは、「市民が声を上げる方法」について、たくさんの方法があると話しました。
オンライン署名や、SNSでの発信など様々なオンライン上での手段もある一方で、デモに参加するなど、実際に現場にいく方法もあるとしました。
「“Save GAZA”(ガザを救え)と白い紙に自分で書いて、駅前で一人で立つだけでもいい。汚い字でもいい。一人が難しければ、友人を誘って二人で、そしてその数をどんどん増やしていくこともできる」
「大きなデモを見かけたら、後をついていくのでもいい。紛争に反対するという思いは、色々な方法で表せると思います」
いとうさんは、アフリカや中東などのMSF活動地を取材で多く訪れ、著書やイベントなどで発信してきました。2019年11月にはパレスチナとヨルダンを訪れ、現地で活動するMSFを取材しました。
「関心を持ち続けて」現地で取材の須賀川さん
これまでもガザ地区で多く取材を重ねてきた、元JNN中東支局長で、現「ニュース23」専属記者の須賀川拓さんは、「関心を持ち続けること」の大切さを語りました。
「どの紛争地を取材しても、現地の人々は皆『私たちを忘れないでほしい』と話します。この先、報道が減っていったとしても、関心を持ち続け、現地の人々を忘れないことが大切です」
「この戦争はいつまで続くか分かりません。その中で、3年後、5年後にガザに関心を持ち続け、議論を続けることができるかが重要になってくると思います」
Source: HuffPost