07.28
バイルズの棄権で米女子体操が得た金メダルより大切なもの
<心の健康を保つためにみずから団体決勝の演技を棄権したシモーネ・バイルズの大きな決断は、体操だけでなくスポーツ界に貴重な変化をもたらすかもしれない> 東京五輪の体操女子団体で準優勝したアメリカのジョーダン・チャイルズ選手はシモーネ・バイルズ選手を称え、アメリカチームの勝利はバイルズのおかげだと語った、とAP通信は伝えた。 「このメダルは間違いなく、バイルズのもの」と、チャイルズは言った。「もし彼女がいなかったら、私たちはこの場にいなかったし、銀メダリストにもなれなかった」 「あなたはすばらしい」と、チャイルズはバイルズを称えた。「すべてはあなたのおかげ」 それはおかしい。体操界の大スターで金メダルの期待がかかったバイルズは、団体決勝を1種目で棄権した。アメリカが銀に甘んじることになったのもそのためだ。だがチャイルズは喜んでいる。バイルズが、女子体操界の未来のためにタブーを破ってくれたからだ。自分が壊れることを知りながらも、メダルのために演技を続けなくていいという前例を作ってくれたからだ。 以下にAP通信による報道を引用する。 シモーネ・バイルズは、アメリカ体操界のトップ選手として、そして今回の大会でもスターになるべく東京に到着した。プレッシャーに対する用意はできていると確信していたし、大きな期待という重荷を背負う覚悟もあると思っていた。 ただ、27日の夜に女子体操団体の決勝が近づくにつれて、何かおかしいという感じがした。世界の体操史上最も偉大な選手と目されているバイルズは、それが何かを知っていた。 以前は何度も、頭に忍び込んだ疑念を押し殺した。でも今回バイルズは、これ以上続けるのは無理だと判断した。ここで終わりにしよう。少なくとも今は。 自分の心と体を守る アメリカ女子体操界のスターは団体決勝の1種目を終えたところで試合を棄権し、ロシア・オリンピック委員会(以下、ロシア)に、約30年ぶりの優勝を譲り渡した。 そしてアメリカ女子体操チームの残ったメンバー、ジョーダン・チャイルズ、スニサ・リー、グレース・マッカラムの3人が、アメリカに銀メダルをもたらした。白いスウェットスーツを着たバイルズは彼女たちの演技を横から応援した。今回の決断は、バイルズを変えた。それだけでなく、体操というスポーツにも新たな変化をもたらすだろう。 「私たちは自分のことに注意を向けなくてはならない。結局のところ私たちは人間なのだから」と、バイルズは語った。「やみくもに外の世界に出て、求められていることをするという姿勢ではなく、自分の心と体を守らなければならない」 リーは段違い平行棒でバイルズをもしのぐ素晴らしい演技を披露し、それに刺激を受けたアメリカチームは、3種目が終わった時点で1位に0.8ポイント差のところまで詰め寄った。だがロシアは床の演技を堅実にまとめた。そして21歳のアンジェリーナ・メルニコワの得点が、1992年のバルセロナ五輪以来約30年ぶりの金メダルを確実にした時、ロシアチームは歓喜に沸いた。 「不可能なことが可能になった」と、メルニコワは言った。 だが、番狂わせはこれだけではなさそうだ。 ===== この投稿をInstagramで見る Simone Biles(@simonebiles)がシェアした投稿 5年前のリオ五輪でバイルズとアメリカチームが見事な演技を披露し、金メダルを獲得して以来、体操界は大きな変化を経験した。従順、規律、沈黙が才能と芸術性と同じくらい重要だと考えられていたスポーツの根本が揺らいだ。 バイルズは、アスリートの権利と精神的健康の重要性を率直に訴えるオピニオンリーダーとなった。以前は、人々が自分に期待しているからという理由で、自分としては不本意なことをやり続けたことが何度もあった。今はもう、そんなことはしない。バイルズが明らかにしてみせた姿勢は、東京五輪で獲得するかもしれないメダルの色を越えて、はるかに人々の心に響くかもしれない。 精神の健康を守るために全仏オープンを棄権した大坂なおみをはじめ、有名なスポーツ選手がみずからメンタルヘルスの悩みを公表するケースが相次いでいる。今回の行動で、バイルズもその1人となった。かつてはスポーツ選手が精神面での問題を告白することはタブーだったが、今ではかなり受け入れられるようになった。 米オリンピック・パラリンピック委員会のサラ・ハーシュランド最高経営責任者(CEO)は、バイルズが「自分の精神の健康を何よりも」優先したことに拍手を送り、組織として全面的に支援すると約束した。米女子体操協会の副会長は、バイルズの行為を「信じられないほど私心のない行動」と評した。 メダルより大切なこと 7月25日に行われた予選でバイルズの演技は珍しく精彩を欠き、アメリカチームはロシアにリードを許した。翌26日、バイルズは自分の肩に世界がのしかかる重さを感じる、とソーシャルメディアに投稿した。 ストレスがバイルズの練習に影響を与えていた。自信にも影響を与えた。そして、バイルズが跳馬に向かって走り出したとき、ついにパフォーマンスの面でも足を引っ張った。 団体決勝の日、バイルズは跳馬で後転跳び後方伸身宙返りに2回半ひねりを加える「アマナール」という技を予定していた。だがひねりは1回半になり、着地で大きく前方に飛び出してしまった。演技後、バイルズは椅子に座わり、アメリカのチームドクターマルシア・ファウスティンと話した。その後、段違い平行棒に移動するアメリカの選手団と別れ、会場を後にした。 数分後に会場に戻ったバイルズはチームメイトを抱きしめ、ハンドグリップを脱いだ。そんなふうに突然に、バイルズは演技を終えた。 「こういう形で棄権するバイルズを見るのは、悲しい。私にとって、このオリンピックは、ある意味バイルズのものだから」と、チームメイトのリーは振り返る。 バイルズは29日の個人総合決勝でオリンピック2連覇に挑むことになっている。また、大会の後半に行われる種目別決勝の4種目に出場資格がある。残りの試合に出るかどうかは、28日に落ち着いて考えてから決める、とバイルズは語った。 団体の優勝はロシアにさらわれたが、チャイルズをはじめアメリカチームの選手たちはそれほど気にしていない。金メダルは消えたかもしれないが、そのかわり、もっと重要なことが起きたかもしれない。それは選手たちにとって、決して悪くないことだろう。 ===== この投稿をInstagramで見る Simone Biles(@simonebiles)がシェアした投稿
Source:Newsweek
バイルズの棄権で米女子体操が得た金メダルより大切なもの