03.08
「辛くてもやる必要があった」パリス・ヒルトンが22歳での中絶体験を赤裸々に語った
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1月に1児の母となったパリス・ヒルトンさんが、過去の中絶と当時の辛い思いについて赤裸々に語った。背景には、自分の体についての決定権は自分にあるべき、という信念を強調したいという思いがある。
TIME誌に3月7日に掲載された、彼女の回顧録本『Paris:The Memoir』の抜粋記事「なぜ私は今、中絶について語るのか」で彼女は、22歳の時に中絶ができたことがいかに幸運だったと感じているかについて綴った。
「20代前半にあの困難な決断をしていなかったら、私はこのような人生を歩むことはできませんでした」
「女性は自身の妊娠・出産などの運命をコントロールする必要があります。自分をよく知り、信頼し、自分に何が、そしていつが正しいのかを知り、自身でハンドルを握ることが重要です」
ヒルトンさんは本の中で明言はしていないものの、中絶したことをここまで率直に話すことにしたのは、50年近く女性が中絶する権利を認めてきた「ロー対ウェイド判決」が2022年に覆されたことが背景にあることをほのめかしている。
「私が今この話をしている唯一の理由は、非常に多くの女性がそれに直面しているからです」
「そして彼女たちはとても孤独で、批判され、見捨てられたと感じています。私は、彼女たちが1人ではないこと、そして誰にも説明する義務がないことを知ってほしいのです。正しい道がない時、残っているのはそこにある道しかないのです。自分がやらなければいけないと心でわかっていることです。そして、それがどれだけ辛くても、やるのです」
ヒルトンさんの妊娠が発覚したのは、自身のリアリティ番組『シンプルライフ』の放送が決まった時期だったという。まさに彼女がパーティーガール全盛期だった頃だ。
華やかな生活を送っていたヒルトンさん。妊娠が発覚した時は「恐怖で胸が張り裂けそうだった」と述べ、「この困難な選択の辛さは、自分自身が直面しない限り、誰にもわからない」と綴っている。
ヒルトンさんは当時、モデルのジェイソン・ショーさんと交際しており、彼は子どもと3人で一緒に住めるよう家も購入したという。しかしヒルトンさんは、過去に経験した虐待からのトラウマもあり、そのような責任を背負う準備はできていなかったという。
回顧録で彼女は、中絶は自身にとって「正しい決断だった」と述べているが、それを受け入れるのに長い時間がかかったことも認めている。
過去を振り返り、ヒルトンさんは「当時の身体的、精神的な問題を抱えたまま妊娠を続けていたら、関係者全員を大惨事に巻き込んでしまったでしょう」
「当時、私は母親になる能力は全くなかった。それを否定することは、将来、私が健康で癒された時に築きたいと望む家族を危険に晒すことになったでしょう」
ヒルトンさんは、1月に夫との間に代理出産で第一子フェニックスくんを授かったばかりだ。
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。
Source: HuffPost