08.14
「なぜ死なずに逃げたのか」ラバウルで生還した水木しげるさんに上官は言った【戦後77年】
日本の誰もが知っている妖怪漫画の傑作『ゲゲゲの鬼太郎』。作者の故・水木しげるさんは太平洋戦争に徴兵された際に、南太平洋の最前線で襲撃を受けた経験がある。
十数人いた部隊は水木さんを残して全滅。ふんどし姿で海を泳ぎ、ジャングルを駆け抜けて、5日間かけて日本軍の陣地に生還した水木さん。彼を待っていたのは「なぜ死なずに逃げたのか」という上官の冷たい言葉だった。
戦後77年を迎えるにあたり、水木さんの強烈な戦争体験を「水木しげるのラバウル戦記」(ちくま文庫)などの著書から振り返ろう。
■水木さんが送られた「ラバウル」とは?
オーストラリアの信託統治領だったニューブリテン島を日本軍が占領したのは1942年のことだった。東端のラバウルに航空隊の基地が作られ、陸海軍合わせて約10万人の兵士が配置された。難攻不落が予想されることから、連合軍側からは「ラバウル要塞」と呼ばれた。
しかし1943年2月、同じく南太平洋のガダルカナル島では激戦の末に日本軍が撤退。戦況は日本にとって不利になっていた。水木さんが陸軍の二等兵としてラバウルに送られたのは、その8カ月後のこと。旧日本軍ではニューブリテン島全体を「ラバウル」と呼んでいた。
翌1944年2月中旬にはニューブリテン島の西半分は連合軍の手に落ちたが、アメリカ軍のマッカーサー大将が率いる連合国軍は、堅固なラバウルを敢えて攻略せず、周辺の島々を制圧してラバウルを孤立させることにした。
ラバウルの日本軍は補給路を断たれるも、自給自足の生活を送りながら、連合軍との決戦を待っていたが、終戦まで大規模な戦いは起きなかった。
■バイエン分遣隊は水木さん1人を残して全滅
足立倫行さんの「妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる」 (文春文庫)を元に、水木さんの足取りを辿ろう。
水木さんはラバウルよりも前線に近いズンゲンの陣地にいたが、1944年5月ごろ、ズンゲンから100キロ離れたバイエンに送られた。わずか十数人の分遣隊だった。連合軍の支配地域に近い「陸の孤島」のような場所だったという。
5月下旬の早朝のことだった。分遣隊は、水木さん1人を残して全滅する。オーストラリア軍の指揮を受けた現地人の兵隊の襲撃を受けたのだ。水木さんは当時、兵舎から50メートルほど晴れた海岸線で見張り番の担当をしていた。
「水木サンの幸福論 」(角川文庫)の中で、当時の様子を以下のように振り返っている。
耳元をかすめるピュン、ピュンという音に慌てて身を伏せ、海を見たら水煙が盛大に上がっていた。小銃で反撃すると、バリバリッとすさまじい音を立てて自動小銃の連写が襲いかかってくる。
起床直前、熟睡中の攻撃だったから、ひとたまりもない。ちょびひげを生やした分隊長と同年兵が兵舎からふらふらと出て来て、どさっと地面に倒れ込んだ。辺りにはたちまち硝煙と血のにおいが立ちこめた。とたんに心臓がぎゅっと縮んだように感じ、視界がぐらぐらと揺れた。気が付くと、海沿いを猛然と逃げていた。
■中隊長は「死に場所は見つけてやるぞ」と言ったまま黙り込んだ
水木さんは、サンゴが群生する海岸線を逃げた。軍靴の底はなくなり、足の裏から血が出ていた。海を泳ぎ、ジャングルを駆け抜け、現地人の集落をびくびくしながら通りすぎた。川で水をすすり、やせたエビを食べる程度で、ほぼ飲まず食わずの逃避行だった。銃も軍服もなくし、ふんどし姿で5日後にズンゲンの陣地にたどり着いた。
しかし、水木さんを待っていたのは、上官の冷たい言葉だった。再び「水木サンの幸福論」から引こう。
「なぜ、死なずに逃げたのか」。これが第一声だった。不機嫌きわまりない表情、硬い声だった。「ご苦労」の言葉も、戦況に関するご下問もまったくなかった。何も言えずに呆然としたまま突っ立っていると、中隊長は「死に場所は見つけてやるぞ」と言ったまま、それきりむっつりと黙り込んだ。
戦死で部隊が全滅することを「玉砕」と呼んで美化していた日本軍では、一人だけ生き残ることは「恥」だったのだ。
■爆撃で左腕切断もラバウルで終戦を迎えて帰国
水木さんはその後、マラリアに感染。42度の高熱を出して療養していたところ、敵機の爆撃で左腕に重傷を負う。化膿して命の危険があったため、麻酔がない状態で左腕の切断手術を受ける。
野戦病院で過ごした後、1945年8月15日を迎え、まもなく敗戦を知らされた。兵士の間では落胆と虚脱感が広がったが、「水木サンの幸福論」の中で水木さんは「生き延びた!」と思ったと振り返っている。同じく太平洋戦争を生き延びた駆逐艦「雪風」で日本に帰還した。
もし、上官の言う通り、バイエンで水木さんが戦死していたら、『ゲゲゲの鬼太郎』も『悪魔くん』も『河童の三平』も、この世に生まれなかった。戦後日本のマンガ文化は、水木さんが生還したことで大きく花開いたのだ。
Source: HuffPost