07.08
<コロンビア写真報告>元左派ゲリラ大統領はなぜ誕生したのか? 武力紛争続く現地を行く
◆若者たちが殺し合う「もう、戦争はたくさんだ」
一時、国土の3分の1を実効支配したとされる左翼ゲリラFARCと政府が和平に合意したのが2016年。それまでリカウルテ市一帯は、1990年代後半からFARCの支配下にあった。2000年代に入り近隣で麻薬生産が活発化すると、それを資金源とする右派民兵組織が支配地を拡大しFARCと激しく対立した。政府軍、民兵組織、左翼ゲリラ間の戦闘で多くの住民が犠牲になった。
2006年、最初の危機的状況となった当時をヘンリさんが振り返る。
「あの日、政府軍が山に攻め込んでくると伝わってきました。住民は家を出て、食糧を持ち寄り学校に集まりました。FARCゲリラがこう叫んでいました。『地雷を撒く。山を出たい人は今のうちに出ていくこと』。翌日、政府軍が学校に押しかけました。彼らは私たちに銃を向け言い放ちました。『お前たちはゲリラだ。ここから出ることはできない』。
その夜、山に激しい銃声が響きました。早朝、私たちは山を降りたい人を募り、暗いうちに学校を出ました。100人あまりがはぐれないよう固まり、一列になって山を降りました。私は先頭に立ち、白いシーツを棒の先に括り付け掲げました。1日かけ街につくと、赤十字がスープを炊いて待っていてくれました。あの味は忘れられません」
「その後、戦争はさらに激化しました」と言うと、学生が写る写真を見せながら亡くなった若者たちを指差した。地雷を踏んだ女性、ゲリラに殺害された兄弟。「これだけじゃない。多くの若者がゲリラに入り、政府軍、民兵組織にも入っていった。教え子たちがこの山で殺し合ったんです。こんな経験は2度としたくない。もう、たくさんです」
2016年。4年に及んだ政府とFARCが和平合意に至ったことで、FARCは武装解除に応じ、政府軍も山を降りた。90年代後半以来、初めて日常から武器が消えた瞬間だった。
しかし、平和は長く続かなかった。今、一帯は別の左翼ゲリラや麻薬組織など、複数の武装組織が割拠する。山にはELN、麓には旧FARCをルーツとする再武装組織や、「マリワーノ」という麻薬を資金源とする組織が勢力を争っているという。2月には、支配地をめぐりELNと旧FARCが激しく交戦した。数十キロ離れた沿岸部では、国内有数のコカ栽培地であることから、他の武装組織が少なくとも3つ存在するとされている。
2018年、政府とFARCの和平合意後に大統領に就任した右派イバン・ドゥケ氏執政下の4年間で、最重要課題の一つであった治安問題が全く解決されなかったどころか、かつてFARCが活動した土地を政府が全く統治することが出来なかったことが明らかになった。
◆紛争地域で圧勝したペトロ氏
6月19日、大統領選決選投票の日、投票が締め切られて1時間後の17時、ペトロ氏の当選確実が報道された。雨が降るボゴタ市中心部では、濡れながら路地に溢れる支持者の歓声と、通りを走る車やバイクから喜びを表すクラクションが夜空に響き渡った。
全国の自治体ごとの投票結果を色分けした地図がある。コロンビアは、地図上の中心部分に、国の政治経済を支配する主要都市が集まっている。この地図からは、主要都市から離れた周縁地域の自治体で、ペトロ氏の優勢が強かったことがわかる。もう一つ、国連人道問題調整事務所(OCHA)が作成した2022年1月から4月にかけてコロンビア国内で発生した武力紛争による国内避難民が発生した地域を色付けした地図がある。約2万3500人が、この4ヶ月の間に避難民化した。この二つの地図を重ねると、地理的に周辺に位置する地域で危機的状況が続き、そこでペトロ氏が勝利したことがわかる。
コロンビアの山奥で聞いた「戦争はもうたくさんだ」と語る人々のように、コロンビアの広い地域に平和への期待を裏切られた人々が今も明日の命の危機を感じながら暮らしている。こうした人々の思いが、ペトロ氏を後押ししている。
<プロフィール>
柴田大輔(しばた だいすけ) 1980年茨城県出身。2006年よりニカラグアなど、ラテンアメリカの取材をはじめる。コロンビアにおける紛争、麻薬、和平プロセスを継続取材。国内では茨城を拠点に、土地と人の関係、障害福祉等をテーマに取材している。
Source: アジアプレス・ネットワーク
2