2021
06.03

奇妙な脚色のアニメ版よりはるかに面白い、「黒人の侍」弥助の数奇な人生

国際ニュースまとめ

<ネットフリックス作品の主人公「黒いサムライ」は実在した人物。呪術やメカの要素を加えなくても想像力を刺激してやまない> ネットフリックスが配信を開始したオリジナルアニメ『YASUKE-ヤスケ-』は、空想の産物の寄せ集めだ。16世紀の日本を舞台にロボット、呪術師、邪悪な宣教師、ゾンビの武士、時空を超えた怪奇な悪役などが入り乱れる。多くの血が流れ、珍妙な解釈の武士道が説かれたりもする。歴史物というより、生煮えのごった煮のような作品だ。 タイトルにもなったヤスケは戦国の世を生きた「黒いサムライ」で、実在した人物。その生涯は実に数奇で興味深い。制作総指揮のラション・トーマスと日本のアニメスタジオMAPPAが、なぜわざわざ呪術やメカの要素を加えたのか、首をかしげたくなる。 話を盛って脚色したのは苦肉の策かもしれない。弥助はこれまでも小説やアニメに登場したが、いずれも比較的乏しい史料を基に作者が想像を膨らませたものだった。 実際の弥助は1550年代に東アフリカで生まれたようだ。幼少時に誘拐され奴隷として売られたが、後に武術の訓練を受け、イエズス会のイタリア人宣教師の護衛として1579年に日本に渡った。 1581年、弥助は天下統一を目指す武将・織田信長に引き合わされた。南蛮文化好みの信長は弥助の黒い肌にいたく興味をそそられた。墨を塗ったのだろうと疑って、こすり落とさせようとしたという逸話も伝えられている。 弥助を気に入った信長は自分の従者とし、やがて屋敷と家臣を与えて正式な武士にした。「本能寺の変」で信長を裏切り、切腹させた明智光秀は、なぜか弥助を殺さず宣教師に返した。おそらくヨーロッパ勢を味方に付けようとしたのだろう。記録に残る弥助の足跡はここで途絶える。 日米の大衆文化に登場 記録は乏しいが、何人かのイエズス会士が日本見聞記で弥助に言及している。信長に仕えていた太田牛一が著した『信長公記』も弥助の存在に触れているが、好奇心旺盛で寛大な信長のイメージを際立たせるための脇役として登場する程度だ。 その後300年ほど、日本では弥助の物語はほとんど忘れられていた。現代の読者に弥助を紹介したのは、来栖良夫が著し、箕田源二郎が挿絵を手掛けた1968年刊行の児童書『くろ助』だ。 来栖は同時代のアフリカの民族解放運動に触発され、あとがきでアフリカを分割したヨーロッパ諸国の帝国主義を批判している。作中の弥助が祖国を懐かしむ気持ちは、芽生えたばかりのアフリカの民族主義と重なる(ちなみにアメリカでも弥助は児童書の登場人物として、子供たちに親しまれてきた)。 ===== もう1つ、弥助を取り上げた重要な作品がある。遠藤周作の71年の小説『黒ん坊』だ。来栖と違って、弥助に向ける遠藤のまなざしには温かみが感じられない。遠藤はステレオタイプの黒人像を差別的に描いた欧米の作品に影響を受けていたのかもしれない。小説のタイトル自体、黒人に対する蔑称だ。 アフリカ系アメリカ人作家マーク・オールデンの74年の小説『ブラック・サムライ』の主人公は、遠藤が描くドジで混乱した弥助とは対極を成す現代のサムライだ。ただしオールデンが弥助にインスピレーションを得て、この主人公を造形したかどうかは分からない。小説の舞台は70年代で、主人公は米軍の黒人兵士。偶然に知り合った日本人の老師に武士道を教わる。 映画化もされたこの小説は、70年代前半の「ブラックスプロイテーション」と呼ばれる黒人観客向け映画と、ブラックパワー運動の影響を受けた大衆スリラーだ。主人公は痛快なアクションで白人至上主義者をたたきのめす。弥助がモデルなら、オールデンは歴史の脚注に記された黒い武士をブラックパワー運動のアイコンに仕立てたことになる。 NETFLIX 常識的な理解を超える 90年代以降、弥助はさまざまな形で日本の大衆文化に登場するようになった。2011年にアニメ化された漫画『へうげもの』や17年発売のゲームソフト『仁王』にも顔を出している。 英語で書かれた文献としては、19年刊行のトーマス・ロックリーとジェフリー・ジラードの共著『アフリカ人サムライ』が参考になる。アフリカからおそらくはインド経由でヨーロッパ、そして東アジアに向かった旅をたどり、弥助をグローバルな文脈に置いたノンフィクションだ。この本が描く弥助は十数の言語を自在に操る国際人であり、旅を通じて優れた砲術を身に付けた屈強な戦士だ。 ネットフリックス作品も「グローバルな弥助」を描いていると言えなくもない。アニメにはイエズス会士やアフリカの呪術師、果てはロシアの狼女など多様な異邦人が登場する。弥助もその1人だ。アニメでは、弥助を武士に昇格させる信長の決断は「古いしきたり」に反するとして物議を醸し、多様性を嫌う光秀は反乱を企てる。 「排外主義者と戦う弥助」という設定はなかなか面白いが、残念ながらストーリーはそこからそれて、超能力少女の咲希を中心に展開する。謎のパワーを秘めた咲希が宿命のヒロインとなり、いつの間にか弥助は彼女を助ける脇役に追いやられてしまう。 弥助の物語のはずなのに彼が脇に退く展開には納得がいかない。だが考えてみれば弥助は過去も今も、アメリカ人にも日本人にとっても、常識的な理解を超えた存在なのかもしれない。 黒いサムライは日本に来てから約400年間、人々を驚かせ、興味をそそり、魅了してきた。これからも100年、いや500年にわたってクリエーターをてこずらせ、触発し続けてほしい。 From Foreign Policy Magazine

Source:Newsweek
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