06.03
「狂信者」アハマディネジャドが、まさかの民主派に転身して復活
<大統領選への再立候補の失格判定はアハマディネジャドの読みどおり。今やリベラルを自称する策略家の狙いは> 狂信的イデオロギーや強硬な外交政策、激しい対米・対イスラエル批判──マフムード・アハマディネジャド前大統領時代のイランといえば、そんな特徴が記憶に残る。 だが2013年に大統領を退任して以来、ポピュリスト的扇動にたけたアハマディネジャドは、もっぱらイランの統治システムを攻撃対象にしてきた。そうした動きが頂点に達したのは今年5月。6月18日に予定される大統領選への再立候補を届け出たのだ。 イラン大統領選の立候補には、護憲評議会による資格審査を通る必要がある。予想どおり、アハマディネジャドの出馬は認められなかったが、これこそ「勝利」だった。 アハマディネジャドの真の狙いは、大統領選に勝利する機会を奪われることにあった。自らを不当な体制の犠牲者とアピールするには、そのほうが都合がいい。 あなたたちが思うアハマディネジャドではない 大統領選への立候補を届け出た際、護憲評議会が自分を失格にするなら選挙をボイコットすると、アハマディネジャドは脅しをかけた。ほかの候補を支持することはないとも明言した。 保守派は直ちに反発し、アハマディネジャドが異を唱えているのは、自らが大統領になるために利用した選挙制度にほかならないと批判した。それでも、アハマディネジャドの挑発は続いた。あるインタビューでは、自らを「リベラル派民主主義者」と形容。これはイランの強硬派が、反対派の信用失墜のためによく用いる呼称だ。 さらに「私はあなたたちが思っているアハマディネジャドではない」とも語っている。この発言こそ、彼のメッセージを理解するカギだ。そう、もはやアハマディネジャドはかつての彼ではない。 実際、その変貌は10年ほど前から始まっていた。政府内保守派との関係にひびが入ったきっかけは、不正疑惑が指摘された09年大統領選で、アハマディネジャド再選という結果を後押しした最高指導者アリ・ハメネイの支持を拡大解釈したことだった。 アハマディネジャドはハメネイの支持を「自由裁量」の許可証と受け止めたらしい。その結果、司法府や議会、イラン革命防衛隊、ハメネイ自身も含めたほぼ全ての権力機構と深刻な対立に陥った。 ===== 当時のアハマディネジャドはおそらく、ある点を見逃していた。自分に味方をしてくれて、09年大統領選後に起きた大規模抗議運動「グリーン革命」を抑え込んだ保守派は、トラブルメーカーになりそうな存在なら、誰であれ同じようにつぶすということだ。 大統領退任を控えたアハマディネジャドが後釜に据えようとした最側近のエスファンディヤル・ラヒム・モシャイは保守派に嫌われ、大統領選立候補を認められなかった。モシャイは「国家安全保障への脅威」や「反体制プロパガンダ」を理由に、18年に懲役刑を言い渡されている。 17年大統領選では、ハメネイの助言に逆らってアハマディネジャドが立候補を届け出たが、このときも失格になった。本人も仲間も国家の重職に就く見込みがないのは、もはや明らかだった。 システムの枠内で権力の座に返り咲く手段はないと判断したアハマディネジャドは、別の道を開拓することに決めた。この4年間、国内政治における一線をいくつも踏み越え、反政府デモを支持したりイランの「構造的腐敗」を指摘したり、シリア内戦への介入を批判してきた。 今年の大統領選への再立候補は、長期的イメージ刷新作戦の最新段階と見なすべきだ。 現体制の崩壊を視野に 出馬は認められないだろうと承知していたアハマディネジャドにとって、失格判定は望みどおりの結果だ。おかげで、変革を求めてひたすら戦い、支配層との直接対決も辞さない人物とのイメージを打ち出すことができる。 再び大統領になる可能性がほぼないのは、本人も分かっているに違いない。だがその野望の対象は、大統領府をはるかに超えた次元にある。 アハマディネジャドは、82歳になったハメネイの死去後に訪れるはずの権力の空白を待っているふしがある。国内にも国外にも確固たる反体制勢力が存在しない現状で、目指すは全国的な「抵抗勢力」のリーダーという役割だ。 アハマディネジャドの元顧問で、現在は徹底した批判派であるアブドルレザ・ダバリによれば、ハメネイの死とともに現体制は崩壊するというのがアハマディネジャドの考えだ。だが、リベラル派民主主義者という自称とは裏腹に、アハマディネジャドが理想的な代替制度として描くのは、最高指導者抜きのイスラム国家という在り方だろう。 アハマディネジャドの野望の実現には、政治的基盤の拡大が必要になる。 ===== 改革派の伝統的基盤である高学歴の中流層はハサン・ロウハニ大統領の失政や、強硬派や治安部門の権力増大を受けて、政治制度を通じた取り組みに失望しているようだ。法的正義や自由、反汚職というレトリックを繰り出してより所得の低い層を取り込み、願わくは、自身の大統領時代とグリーン革命を直接体験していない若年層の支持を取り付けることが、アハマディネジャドの狙いではないか。 歴史が参考になるなら、アハマディネジャドのイメージ刷新は成功する可能性がある。故ハシェミ・ラフサンジャニはイラン大統領を退任した97年当時、改革を求める反対運動にさらされていたが、05年を迎える頃には改革支持派として再生を遂げ、17年に死去した際には改革派の指導者にすらなっていた。 アハマディネジャドの言葉は正しい。彼はもう、かつて世界が知っていた人物と同じではない。狂信的イデオロギーを掲げた未熟な大統領は、今や長期的視野を持つ策略にたけた政治家になった。彼が権力の頂点をつかむチャンスへの機運は熟したのか。答えはじきに分かるはずだ。 From Foreign Policy Magazine
Source:Newsweek
「狂信者」アハマディネジャドが、まさかの民主派に転身して復活