03.17
「お前は無能」「死ね」と毎日罵られた。元陸上選手がフォローされた350の誹謗中傷アカウント
トップレベルで活躍するアスリートへのSNSでの誹謗中傷が後を絶たない。
2月にあった北京冬季五輪の前には、スポーツ庁の室伏広治長官がSNSなどで選手たちを誹謗中傷しないよう異例の呼びかけを行った。大きな舞台に立つアスリートは注目が高まり、同時に誹謗中傷を受けやすい立場にも置かれてしまう。
200mハードルのアジア最高記録・元保持者で、プロ野球やJリーグでスプリントコーチを務める秋本真吾さんもかつて、SNSでの誹謗中傷に悩まされた。精神的に追い込まれた時期をどのような思考で乗り越えたのか。自身の経験や誹謗中傷に対する考え方を聞いた。
朝起きると大量の誹謗中傷「お前の指導に価値はない」
プロ陸上ハードル選手だった秋本さんは2012年のロンドン五輪の選考会後に、自身のSNSで現役引退を発表した。アスリートらに走りの指導を行う「スプリントコーチ」へと転身し、阪神タイガースや西武ライオンズ、浦和レッズの選手らのトレーニングを指導してきた。現在は地元・福島のJ3「いわきFC」でスプリントコーチを務めている。
当時は物珍しかったスプリントコーチという生業。引退から徐々に業界内で立ち位置を確立し、書籍やメディア出演のオファーが増えていった。知名度が上がり始めた2014年、Twitterでの誹謗中傷が始まったのはその頃だった。
「お前は無能」「死ね」「お前の指導に価値はない」「お前ほど頭の悪いやつはいない」ー。
携帯を開くたび、自身への中傷が目につくように。突然の出来事に「何が起きたか分からなかった」と振り返る。
「僕を中傷する言葉をアカウント名にしたフォロワーが毎日増えていきました。一日に10件、20件と連発してフォローされるんですね。おそらく嫉妬によるものだと思うのですが、アンチがいることを周りに知られるのが一番の苦痛でした。当時はSNSで誹謗中傷を受けた人が亡くなるといった社会問題が目立っていなかったので、自分の中でどう咀嚼すべきなのかとても悩みました」
毎朝Twitterを開き、フォロワーを見る。いわれのない誹謗中傷の羅列にうんざりして、一つ一つブロックしていった。寝る前にアカウントを非公開にして、起きたら解除する日々は2カ月以上続いたという。
アカウント名を悪用した誹謗中傷は350件以上に上った。ちょうど同じ時期、仲が良かったはずの友人が悪口を言っていたとの噂も重なり、さらに精神的に追い詰められたという。
そんな中でも秋本さんは自分なりの乗り越え方を見出した、と振り返る。
「そもそもよく分からない人の攻撃で自分の人生を左右されたくない、という思いは根底にありました。『お前みたいなやつがコーチするな』なんて、顔も名前も知らない人に言われても、じゃあ辞めようなんて思うわけないんですよね。誹謗中傷を受けたとしても、僕のやるべきことは変わらない。そのスタンスに完全に傾いた時、アンチコメントが全く気にならなくなりました」
「非難と批判を見極めるのが大事」
アスリートへの誹謗中傷が話題になると、「気にしないようにすればいい」との声も出てくる。秋本さんのように気に留めないメンタルを持てる選手もいるかもしれないが、アスリートも一人の人間だ。ましてや、被害実態や影響を知らないまま「気にするな」というだけでは、いささか無責任のように感じる。
また、被害者側は攻撃され、評判を貶められたまま、誹謗中傷した側は咎められないというジレンマもある。
オリンピックに出場するようなトップ選手やプロスポーツ選手の中には、何十万人ものフォロワーを抱えている人も少なくはない。多くの称賛コメントの裏で、言葉のナイフを向けられることも想像に容易い。結果の良し悪しで手のひらを返したように叩かれることもある。
秋本さんは自身の体験を踏まえ「非難と批判を見極めることが大事」だと言う。
「僕のためを思って言ってくれた言葉と、感情に任せて投げられた言葉は明確に分けて受け止めるようにしています。例えば『秋本の指導はサッカーはわかりやすいけれど野球だと分かりにくい』というのは批判です。『野球でもわかりやすくしよう』と改善点を見いだせるから。一方で『キモい』『つまらない』といった一方通行のコメントなら、それは非難です。改善点のない、一方通行のコメントは『価値観が違う』と相手にしません。
例えば北京五輪では高梨沙羅さんのメイクへの非難が話題になりました。これは『メイクに興味がなかった幼くて健気な少女に戻ってほしい』という勝手な理想の押し付けだと思うんです。自分の描く『高梨沙羅像』とのギャップで攻撃している。かつて僕に向けられた『お前みたいなやつがコーチをするな』という非難も同じことだと思います。でもそれは一方通行の思いであって、アスリートの考えやスタンスとイコールではない。僕はそのギャップを埋めるために、自分のスタンスや考えを発信するようにしています」
東京五輪ではスケートボードで10代前半の選手が活躍するなど、近年は一部の競技でトップアスリートの低年齢化の傾向が見られる。SNS発信が積極的なアスリートも多く、心を守る術を持たないまま、誹謗中傷が起きたら全身で受け止めてしまうかもしれない。また、野球やサッカーなど試合でヤジが飛び交うプロスポーツとは異なり「陸上競技や水泳、マイナースポーツは特にアンチへの耐性がない」と秋本さんは指摘する。
「レベルが上がって人に見られる機会が増える分、同時にアンチが増えていくのは現状として防ぎようがありません。未然に防止できないからこそ、具体例を出しながらアンチから誹謗中傷を受けた時の心構えをさせておくことを、メンタルケアの一つとして取り組んでほしい。しかし競技連盟の役員やコーチの世代はSNS慣れしていないので、アドバイスのしようがない点は否めません。アンチの誹謗中傷を体験したアスリートなどを招き、対処法や気持ちの持ち方を学ぶ環境を作ってあげてほしいです」
「僕自身はあるサッカー選手から誹謗中傷を受けた時、走りの指導をしていた槙野智章さんや宇賀神友弥さんに相談しました。そしたら『アッキー、それは有名になってきた証拠じゃん!』って言われたんですね。彼らは僕なんかよりたくさんのバッシングを受けている。そもそもの発想が違って、心が軽くなりました。他競技のアスリートから『こういうふうに考えよう』と学ぶのも有りだと思います」
東京五輪では卓球の水谷隼人さんや体操の橋本大輝さんらが誹謗中傷を受けたと訴えた。北京五輪でも中国代表の女子フィギュアスケーター、ジュ・イー(朱易)さんがバッシングの的となったのは記憶に新しい。
スポーツ界では、殺害予告や誹謗中傷の被害を告白したプロ野球中日の福敬登投手が、警察に被害届を提出し、受理されたと報じられた。投稿者の法的責任を問う動きも、少しずつだが進んでいる。
それでも現状は、アスリートのメンタルケアや投稿者のモラルに懸かっている部分が大きい。軽はずみにタップしたツイートボタンが、誰かの人生を崩す「スイッチ」になりかねないことに、無自覚な人々があまりにも多くないだろうか。
「僕自身は世の中に対して批判的なコメントをする時は、一回寝かせるようにしています。書いていることが本人に直接言えることなのか、投稿する前に冷静に見極めてほしい。顔出しでリスクを背負っているテレビのコメンテーターと、匿名の投稿は違う。実名で顔を出しても言える言葉なのかどうかを考えてほしいです」
Source: HuffPost