03.01
<ニカラグア写真報告>裏切られた革命(6)コスタリカに逃れた人々その2…元政府軍兵士までオルテガに叛旗
反政府運動に参加した後にニカラグアを去った難民たちとコスタリカの首都サンホセで、出会った。オルテガ政権は、活動を米国の支援を受ける反体制勢力のクーデターとみなしているが、難民たちの話からは、政府の主張とは異なることが分かった。
(文・写真 柴田大輔)
◆立ち上がる若者たちはSNSで繋がる
ニカラグア全土に拡大した2018年の抗議のきっかけを作った学生の一人が、当時、大学で社会メディアを専攻し、学生記者としても活動していたマキシミリアーノ・メヒアさんだ。
2019年8月、コスタリカで避難生活を送るメヒアさんに話を聞いた。メヒアさんは「以前から全国の学生同士が通信アプリのワッツアップ(WatsApp)のグループで日常的に情報交換していた」という。そのグループが抗議活動の基礎となっていったのだ。
大規模デモが始まる6日前、ニカラグア南西部にある中米最大規模の森林保護区で大規模火災がおきた。これに政府の対応が遅れると、社会問題に敏感なメヒアさんら学生がSNS で呼びかけあい、首都マナグアでデモを行った。音楽を流し、メッセージボードを掲げる平和的なものだった。これに機動隊が駆けつけ揉み合いになり、力ずくでその場から押し出された。
メヒアさんらは政府の暴力的な対応に強い反発を覚えた。間もなく起きたのが、年金減額、保険料引き上げなどの社会保障改革問題だった。メヒアさんらは、国民の声を無視した政府の対応に対して声を上げようと話し合った。
4月18日、大統領令による社会保険法改正令が公布されると、翌19日、首都マナグアと
その北西約80 キロのレオン市で同時に学生たちがデモを決行した。火消しに走る政府はすぐさま治安部隊を投入し実弾で応じた。人権団体によると、デモ開始から4日間で死者は50名以上。
惨状は、瞬く間にインターネットで拡散し、抗議のうねりは国民を巻き込み全国へ拡大した。怒りの矛先は、汚職や不正、独裁的な政権運営など、国を私物化するオルテガ大統領夫妻へ向けられた。
◆FSLNの元ゲリラ、右派コントラの元兵士が手を携えて
ダビ・ロペスさんは、専制的なオルテガ政権に不満を持っていたが、当初は学生中心のデモを静観して眺めていた。参加する住民が増え、治安部隊の攻撃が激しくなるのを見て黙っていられず抗議に加わった。
ロペスさんは、1970年代の革命戦に参加した元サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のゲリラ兵士だ。1980年代は政府軍兵士として内戦を戦った。ニカラグアでは社会主義革命の拡大を疎む米国が反政府勢力を支援し内戦が勃発した。反革命勢力を「コントラ」と呼ぶことから「コントラ戦争」という。1989 年の停戦までに、約4 万人の死者と100 万人あまりの避難民を出した。
ロペスさんが暮らした同じマサヤ市で抗議に参加したホセ・エスピノさんは、内戦時代に政府軍と戦った元コントラ兵士だ。「デモ参加者は若者が多く闘い方を知らなかった」というエスピノさんは、率先してデモの前線に立ち、コンクリートブロックを積み上げ治安部隊の侵入を食い止めた。
治安部隊と対峙するための「武器」を供給したのは町の人だった。サンホセで出会った自動車整備工を営む男性は、自宅の作業場で鉄パイプを切った手製の「迫撃砲」を作りデモ隊に配った。マサヤでは、かつて左右で対立する立場にいた市民が反オルテガで一つになり、国内で最も長く治安部隊に抵抗した町となった。
◆「サンディニスタだがオルテギスタ(オルテガ支持者)ではない」
抗議活動には、革命に賛同し政府を支持する「サンディニスタ」を自認する人も数多く参加した。
カルロス・ゴンサレスさんは、サンディニスタの下部組織「サンディニスタ青年部」に所属し政府の活動をサポートしていたが、近年のオルテガの独裁的な統治に疑問を持ち始めていた。「テレビで見ていたデモが、自分の街でも始まり心が揺れた」と2018年を振り返る。
迷いを持ちつつデモに混ざった。すると後日、警察が自宅へ押しかけ、室内を荒らした。恐怖を感じた家族は町を離れバラバラになった。「もう私はどこの政党の人間でもない」と、FSLN政権に振るわれた暴力への悔しさを滲ませる。
フアン・ガルシアさんは、「私はサンディニスタだが、オルテギスタ(オルテガ大統領支持者)ではない」と言い切る。革命が掲げる自由と平等の精神を支持しつつ、それを蔑ろにするオルテガを非難する。
「私の街では政府の暴力に反発し、サンディニスタ派の住民の大部分がデモに参加した」と話す。
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