05.25
外国人を犯罪者予備軍とみなす日本の入管の許されざる実態
<性善説で成り立つ日本の社会で、なぜ白人以外の外国人は性悪説をもって扱われるのか> しばらく前から「お悔やみ申し上げます」「ごめんなさい」「申し訳ない」や「日本を嫌いにならないでね」と、心優しい日本の人々からメッセージが届いている。 今日本で「スリランカ」が最も話題の国の一つになった。私の出身地でもあるスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさん(享年33才)が、今年3月6日に名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)の収容施設に収容中に亡くなった。入管収容所で命を落とした人間は2007年以降だけでも21人となる。この手の話は今まであまりニュースとして取り上げられることがなかった。ある意味珍しく収容施設内での死亡が全国ニュースとなった。 今回は難民申請に関するルールの見直しを掲げた入管法改正が閣議決定され、国会で可決される予定となっていたタイミングで起きた事件で、改正入管法と彼女の死が重ねて扱われた。冷ややかな言い方をすれば、野党は存在感を示すために先月23日の衆院法務委員会で議題に挙げ、追及した。そして、支持率をこれ以上下げたくない与党は、今国会での法案可決を見送った。彼女の死が与野党に利用されたようにも見える。そして、廃案の見通しがたつと、彼女の死が、メディアで報道されることはほとんどなくなった。 彼女と私は共通点がある。出身地が同じこと、来日にあたり親が家を抵当にして金を借り、送り出してもらっている点などだが、似ていないことも多い。男と女の違いもあるが、何よりも高校の途中で日本に来た私などと違って、彼女は超がつくほど優秀な人材だった。難関中の難関の国立大学を卒業してスリランカで英語の教員として務めていた。日本で英語の教員として働いている幼馴染のようになりたいという志をもって2017年の6月に来日。それから4年も経たぬうち変わり果てた姿で、恋い焦がれた日本で息を引き取った。 遺族は、収容所の故人の姿が映された映像を強く求めているが、ビデオ映像の公開は保安上の理由から入管側に拒否された。とてもではないが見せられないような悲惨な状況で息を引き取ったに違いない。映像を見せられない理由はそれ以外にありえない。もしも彼女の初心が叶えられたなら自らの人生も輝き、日本にとっても貴重な人材になったに違いない。そしてもう一つ、思うところがある。一歩間違えれば、死んだのは私だったかも知れないということだ。 担当警察官の余りにひどい態度 話は変わるが、日本で入国管理局や警察関係で通訳という仕事がある。ギャランティーも良い。実は今から25年前、大学院生だった頃の私は2つの案件で通訳をしたことがある。一人目は超過滞在の罪で捕まえられていたAさん。彼はスリランカの少数民族のタミル人だった。スリランカ人が捕まったということでスリランカ人の私が呼ばれたが、私はスリランカの多数派のシンハラ人だ。日本の行政に母語の概念が欠落していることに気づいたのはおそらくその場にいた私と彼だけだったが、運よく彼がシンハラ語に合わせてくれたのでなんとか成立した。 2件目はBさんで、容疑は不法就労助長罪だった。Bさんは在日歴が長い。そんな彼の元に新参者のスリランカ人Cさんが生活苦を訴えて仕事を求めてやって来たようだ。B氏は、頼ってやって来た若者にかつての自分の姿を重ね、御飯を食べさせ仕事をさせたようだ。そんな中Cさんが警察に捕まった。粗大ゴミとして道端に出ていた使えそうな椅子をもったい無いと思ってもって帰ろうとしていた時に怪しい外国人と110番があったようだ。やって来た警察に在留資格を確認され、超過滞在であることが発覚。本人もそして雇い主だったBさんも逮捕された。 私は警察の事情聴取の部屋で腰紐を付けられたBさんと会ったのだが、彼とは初対面ではなかった。彼と私はかつて日本語学校の同級生だった。来日した当初、2人で机を並べて勉強していたが、しばらくして彼が姿を消した。その後、自動車解体の仕事に就いて成功しているとの噂は聞いていが、会うのは久しぶりだった。お互いの過去の接点についても触れることもなく私は淡々と通訳に徹した。 通訳の途中から、私はひどい気持ち悪さを覚えた。他でもない、担当警察の言葉が私をそうさせた。彼は私を「先生」と呼び、B君を「アホ」「ボケ」「カス」と呼んでいた。私は通訳しながらなぜ2人の扱いがこんなにも違うのかを考えた。理由は考えるまでもなかった。私は日本で法律を守っていて、彼は法律を破っていた。それが理由だ。 実はB君と私はスリランカの地元も一緒だった。そして地元では、彼と私は真逆の評価を受けていた。私などは日本での自分の生活のことで精一杯で、長年、親孝行一つ出来ていなかった。その点、B君は地元ではヒーローだった。親孝行はもちろん、地元では多くの人を幸せにし、社会貢献し、日本のイメージを上げていた。日本に行っておきながらスリランカに対して何一つ出来ていない僕が地元では「アホ」扱いされていた。それはおそらく今でも変わらない。 ===== 私はここで法を犯すことをすすめている訳でも肯定しているわけでもない。法律は守るべきだ。だが、国家の物差しでは罪人でも、グローバルに見れば超がつくほど善人であることも大いにあり得る。人格評価をする際は、国家の枠組みはもちろんだが、我々は想像力をはたらかせ広い視野で人を見る目をもち、弱者に温かい言葉や手を差し伸べるべきではないか。 ウィシュマさんは高い志をもって日本に来たが、なんらかの事情で道を踏み外したのかもしれない。そして、今回のコロナという想定外の事情も重なった。だがいかなる理由があろうとも人間の命を奪う権利は誰にもない。日本は文明国家なのだ。そのようなことが起きていいはずがない。 私はこの国、日本が好きだ。だからこそ国籍も頂いてこの地で骨を埋める決意でいる。日本の一番好きなところはと聞かれたら、迷わず「性善説の上で成り立っている日本という国と日本人」と答えたい。日本人は人を疑わない。「無人販売」の文化が成立する国はおそらく世界どこを探してもない。人を善人と信じている分かりやすい例だ。 だが、この国の入国管理局と警察は、外国人を基本的に犯罪者予備軍として見ている。外国人を性悪説で見ている。国民の中にも、特定の人種、ありていに言えば白人以外の外国人を、そのように見る傾向があることは否定できない。スリランカの彼女が亡くなったのもまさに日本の入管と警察が性悪説に立脚して彼女を扱った結果だ。出頭しDVを相談した彼女を守るべき対象として、警察はシェルターに保護を依頼すべきところを入国管理局につなげた背景も、入管収容施設で彼女が命乞いするも仮病と決めつけて放置し、死なせたのも性悪説に立脚した決めつけがもたらしたものだ。 日本の警察と入国管理局において、外国人が犯罪者予備軍として管理の対象となっている以上、外国人を人間として、いわば人権を重視した対応は不可能だ。一般的な日本人の皆さんには想像しづらいと思うが、一度騙されたと思って外国人の友人とともに入管に行ってみれば分かる。そこには見慣れた日本人の笑顔も丁寧語もない。表情は険しく、言葉も基本的に乱暴だ。入管や警察にとっての任務である「管理」と「人道」は相容れない。「人道に基づいた管理」が望ましいが現状の体制では期待が出来ない。 管理と人道を両立させる欧州 先日アフリカの北端のスペイン領セウタに隣のモロッコから2日で8000人を超える大量の難民が流入したというニュースがあった。ニュースを見ているとスペイン側で戦車が導入され難民の入国を防ぐために警棒のようなものを使って不法入国者を誘導している映像が映っている。だがそれと同時に医療チームが国境を渡る際に弱りきっている者に対して医療処置を行なっている姿があった。そこでは管理と人道が同居していた。入国管理は大事だが、命を守る義務を最優先に考えている姿が垣間見えた瞬間だった。 他所の国の例をあげてくるまでもない。そもそも日本は人道を重んじる国ではないか。第二次対戦中にナチスドイツに迫害によって発生した2000人を超える難民に対して命のビザを発行した東洋のシンドラーこと杉原千畝を忘れてはなるまい。国家よりも命を優先した彼が残した「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」という千畝の言葉の意味を、この際、改めて噛み締めたい。人の道を生きた日本人らしさを探せばきりがない。その中でも印象に残るものと言えば、第一次世界大戦期、徳島県鳴門市の俘虜収容所にいた約1000名の捕虜と日本人の人間味あふれる交流の物語などが思い浮かぶ。 このご時世に「なぜ難民を受け入れる必要があるのか」と私は素朴な質問を受けることがある。簡単にいえば、日本は難民条約に批准しているからだ。しかし先進国と比べた場合、日本の受け入れはあまりにも少なすぎる。申請者の約半分を受け入れているカナダやイギリス、3割近く受け入れているアメリカやドイツなどと比べ日本はわずか0.2%だ。受け入れ割合の低さもさることながら、世界的に認められる女性性器切除(FGM)やDV被害などは日本では難民認定の理由として見なされていない。 難民認定申請が認められない理由も明らかにされていなければ、審査に際して費やす時間も長い日本で、いわば制度側の原因で生活や精神的に不安定な長期滞在を余儀なくされている者も多い。司法や第三者機関の関与もない日本の現状では、とてもではないが難民側に責任があるとは言えない。国連の人権条約機関からは再三にわたる勧告を受けている。 ===== 「難民を受け入れたら日本で犯罪が増えるのではないか」との不安を覚えている日本人も少なくない。かつてこの国は1万1000人を超えるインドシナ難民を受け入れた歴史はあるが、それによって犯罪が増えたという事実はない。 「国が守ってくれない人を、国際社会で助けよう」というのが、難民保護の基本的な考え方だ。基本的には、難民は情けで受け入れるものというイメージだと思うが、東京にある栄鋳造という会社は、下請けから脱却すべく難民を戦略的に雇用している。彼らの能力が活かされた結果、この会社は縮小の一途をたどる国内における下請けの現状を打破し、過去のデーターにはなるが、2011年0%だった海外売上が、その2年後には70%まで拡張した。「情けは人のためにあらず」ということが数字としても証明されている。 最後に、今回の事件を受けて法務大臣が矢面に立たされたが、法務省の組織図を確認してもらいたい。法務省の中に、今回の出入国在留管理庁もだが人権擁護局もある。法務局は日本の人権全般を中心となって担っている組織だ。この際、入国在留管理庁内の人権教育はもちろん、自ら人権を語るに相応しい組織になるよう期待したい。 ウィシュマさんのご冥福をお祈りいたします。 【筆者:にしゃんた】 セイロン(現スリランカ)生まれ。高校生の時に初めて日本を訪れ、その後に再来日して立命館大学を卒業。日本国籍を取得。現在は大学で教壇に立ち、テレビ・ラジオへの出演、執筆などのほか各地でダイバーシティ スピーカー(多様性の語り部)としても活躍している。
Source:Newsweek
外国人を犯罪者予備軍とみなす日本の入管の許されざる実態