2022
02.04

【韓国】我々は『(韓国)国内』の強制徴用を登録しよう

国際ニュースまとめ

1: ハニィみるく(17歳) ★ 2022/02/04(金) 09:50:08.12 ID:CAP_USER
(写真)
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日帝の『強制徴用』は悪辣だった。ハナから『軍隊式』だった。1日に3回も点呼を受けなければならなかった。朝起きた時、作業に入る時、夜寝る時に点呼を受けさせたのである。

炭鉱の坑内に入る時は、「○○分隊分隊長以下○○人、今日の目標○○トン」と叫ばせた。目標量に達するまで、坑外には出られなかった。

さらに『増産運動』も頻繁に行われた。すると、食い逸れていた朝鮮の労働者は、1日に12~13時間も作業をしなければならなかった。公休日も例外ではなかった。

増産するための『決死隊』が組織されたりもした。時に西暦1944年1月、三菱美唄炭鉱では、106人の『採炭決死隊』が結成された。監督官はこのように訓示していた。

「倒れても掘り続ける “自爆精神” で率先垂範し、立派に死ぬ覚悟で身を捧げてほしい」

『神風特攻隊』も作った。『神風』という文字が書かれた腕章をつけ、『肉体が死んでも必ず炭鉱を死守し、上官の命令には絶対に従うこと』を誓わせたのである。

北海道のある飛行場の建設工事では、責任者である『下士官』の下に朝鮮人が20人ずつ1つのクラスを構成し、軍隊式で統制していた。1日に15~16時間の労働時間で、休息はわずか30分程度だった。休日は当然なく、雨が降っても働かせた。

作業中には監視人が棒を振り回すのだが、通常1日に50回以上叩かれていた。仕事が終わって宿舎に戻る時は、『軍歌と行進曲』を叫ばせた。<奪われた祖国、連れて行かれた人々:韓日問題研究院>

朝鮮の人たちは残酷な徴用に連行されないよう、自ら性病に感染したり、無傷の手足を壊す『自傷行為』をした。竹槍と鎌などで武装して抵抗もした。

連行されては脱出を試みた。すると日帝は合宿所の窓に格子を設置し、出入り口は外から閉ざした。 それでも足りなくて鈴を付け、犬まで放して守っていた。『脱出防止用』である。

朝鮮の人たちは、日本でだけ扱き使われていたのではなかった。国内でも強制労働で苦しんでいたのだ。

日帝は、いわゆる『国家総動員法』が公布された1938年4月から、1945年の光復(8月15日)前まで、国内6,956か所で様々な作業場を運営していた。平安北道(ピョンアンプクド)877件、咸鏡南道(ハムギョンナムド)657件、ソウル・仁川(インチョン)を含む京畿道(キョンギド)712件、江原道(カンウォンド)661件などである。その期間中に強制動員された朝鮮の人たちは『延べ人員』648万8,000人に達したという。強制労働の場所は、それより前にも少なくはなかったはずだ。

日本政府が強制労働の現場である佐渡鉱山を世界文化遺産に登録するため、ユネスコに推薦書を提出したという。『歴史戦争チーム』という、タスクフォースも構成したらしい。両国関係は改めてギクシャクしている。

それなら我々も国内の強制徴用の現場を、ユネスコの世界遺産に登録したらどうだろうか。日本の『過去史』を世界に改めて知らせ、これ以上『オリバル(すっとぼけ)』をさせなくするのだ。

(ムン・ヂュヨン編集委員)
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ソース:ニュースクレイム(韓国語)
https://www.newsclaim.co.kr/news/articleView.html?idxno=3004213


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