2022
01.21

【韓国】「佐渡鉱山の価値を認められたいのなら、歴史歪曲を止めるべきだ」

国際ニュースまとめ

1: ハニィみるく(17歳) ★ 2022/01/20(木) 10:59:48.88 ID:CAP_USER
┃『佐渡鉱山』の強制動員を証言したイム・テホの子女
┃イム・ガンランさん、イム・ギョンスクさんインタビュー

「日本の佐渡鉱山がユネスコ世界文化遺産としてその価値を認められたいのなら、まずは歴史の前に率直でなければなりません。鉱山の最も深い坑道で、悲惨に働いていた朝鮮人がいたという事実を明らかにしてほしいです」。

(写真)
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▲ 日本の佐渡鉱山の強制動員被害者、故イム・テホさんの娘であるイム・ガンランさん(右)、・イム・ギョンスクさんが去る17日、日本の川崎市にある父親が住んでいた家で父親の写真を持っている。

日本が朝鮮人労働者の強制動員現場である新潟県の佐渡鉱山のユネスコ世界文化遺産への登録を推進すると、すぐさま佐渡鉱山の強制動員被害者である故イム・テホさんの娘、イム・ガンランさん(82歳)とイム・ギョンスクさん(77歳)が反対の声を上げた。去る17日に神奈川県 川崎市で対面した2人は、「佐渡鉱山の価値を無条件に否定するのではなく、誇れる歴史だけを取り上げて恥ずかしい内容は隠蔽して歪曲する、日本の態度を問題視している」と声を高めた。

イム・テホさんは、亡くなる4か月前の1997年5月に朝鮮人強制連行真相調査団の記録事業に参加して、強制動員の被害事実を語った唯一の佐渡鉱山の生存被害者である。21歳だった1940年11月に忠南(チュンナム)論山(ノンサン)から日本の佐渡鉱山に渡って以降、解放直前に日本軍の召集令状を受けて1人で佐渡島を脱出し、後に家族と再会した。彼は佐渡島に到着して、後から『強制動員』であることを悟ったという。炭鉱(書いてあります)の最も深い坑道で危険な鉱石採掘を強いられ、地下坑道に出勤する度に、「今日は生きていけるのだろうか」と考えたという記録を残した。

イムさんの長女であるガンランさんは1940年に論山で生まれ、父親に付いて佐渡島に渡った。彼女は、「幼かったけど佐渡島の宿所に座っていると、遠くから “トゥン、トゥン(どーん、どーん)” と坑道が爆発する音がいつも鳴っていた記憶が鮮明だ」とし、「怪我を負った父が病院も行くこともできず、部屋にクンクン(うーん、うーん=唸る様子)と横になっていた姿を思い出す」と話した。佐渡相川の人里離れた山の高台には、主に忠南一帯から動員された朝鮮人が集まって住む社宅があった。 朝鮮人の逃亡を防ぐため、家族も団体で移住させていたという。

佐渡島で生まれた三女のギョンスクさんも、「父が坑道の足場から落ちて足に怪我をしたが、その傷跡が死ぬまで消えなかった」とし、「その頃に坑道で吸った炭鉱(書いてあります)の粉塵のせいで、父の肺の中には生涯、玉のような塊が残っていた」と話した。ガンランさんは、「お金をたくさん払うと朝鮮の青年を募集したが、全てが嘘で思い通りに辞めることもできなかった」とし、「佐渡島を脱出した後はお金がなく、川崎市の馬小屋で両親と幼い3人の娘が暮らしていた」と話した。その後イムさん夫婦は果物とマッコリ行商、古物商と、手あたり次第に働いて6人の子どもを育てた。 1980年代に母親と一緒に佐渡島を再び訪ねたが、50年が過ぎても母の傷は変わらなかった。「苦労した父の姿を思い出すことが辛く(つらく)、二度と来たくない」と話した。

イムさん姉妹は昨年末にテレビのニュースを見て、佐渡鉱山のユネスコ世界文化遺産登録推進の動きを知った。佐渡の記憶を依然と傷跡として残してきた彼女たちは、日本が『江戸時代の佐渡鉱山』と時期を限定して世界文化遺産登録を試みていることに憤怒した。「無条件に反対するわけではない。 佐渡鉱山の歴史的価値を世界に認められたいのなら、朝鮮の人たちがなぜ佐渡島に渡り、どのように働いて生活していたのか、恥ずかしい歴史を認め、公開することから出発すべきではないだろうか?」

東京=チェ・ウンギョン特派員
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ソース:NAVER/朝鮮日報(韓国語)
https://news.naver.com/main/read.naver?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=023&aid=0003667477


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Source:脱亜論
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