01.18
【韓国】済州・海女の抗日精神を忘れてはならない
▲済州(チェヂュ)特別自治道・海女(ヘニョ)文化遺産課 カン・グォンヨン学芸研究士(学芸員)
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今年は済州(チェヂュ)海女(ヘニョ)抗日運動90周年の年である。今から90年前、済州の海女の暮らしは困窮していた。19世紀末から済州に進出した西日本出身の潜水業者たちは、済州沿岸の海産物を収奪するなどの問題を起こしていた。これによって済州の水産資源は荒廃し、済州の海女は金(カネ)を稼ぐために郷里を離れて(海から)陸に出向いた。だがしかし、郷里を離れた済州島の海女たちの暮らしが悲惨なのは同じだった。客主(仲介人)たちは海女の採取量と値段を騙し、日本の業者たちは安値で買い取って海藻会社に引き渡すなど、海女が採取した海藻類は本来の価格を受け取ることができず、中間業者が横取りしていたのである。
このために郷里を離れた海女たちの厳しい生活の様子に接した済州島の有志たちは、郷里を離れた海女たちを保護するため、1920年に済州海女漁業組合を創立した。だがしかし、海女の権益の保護をするべき海女組合は、日本人の済州島司が組合長を兼任した1920年代後半から漁業化され始めた。この漁業組合は日本人の業者と結託し、自由販売を禁止して低い指定価格を設定するなど海女たちから収奪した。
これに対して海女たちは1932年1月7日、海苔やアワビ販売の正常販売と海女組合の不当性を撤廃するよう要求したが、日本当局は誠意のない対処をした。1932年1月12日のセファ市日(市が立つ日)、済州島司兼済州島海女漁業組合長であるタグチ・テイキ(田口禎熹)が旧左面(クジャミョン=現・旧左邑)を通るという消息を受け、下道(ハド)や細花(セファ)、終達(チョンダル)、演坪(ヨンピョン)、吾照(オヂョ)、始興里(シホンリ)などの海女は、ホミ(草取り鎌)とピチャン(アワビを獲る道具)を振り回しながらセファ市に押し寄せ、「我らの要求に刀をもって対応すれば、我々は死をもって対応する」と叫び、指定販売反対や組合費の免除などの8つの条項を要求して、最終的にタグチ・テイキは海女のデモに屈服した。
90年が過ぎた今年の1月12日も、いつものようにに冷たい風が引き荒れた。90年前に厳しい寒さも気にせず、死を覚悟した海女の決意を思えば、この寒さは何でもないのか知れない。不義と不当に正々堂々と対抗した済州海女の気概を、今を生きる我々は忘れてはならないと思う。
(カン・グォンヨン)
ソース:済民日報(韓国語)
http://www.jemin.com/news/articleView.html?idxno=730473
Source:脱亜論
【韓国】済州・海女の抗日精神を忘れてはならない