10.02
テニスコーチの「グルーミング」暗示するカンヌ受賞作、日本でも公開。被害の実態より、少女の“沈黙”を描いた理由
第97回アカデミー賞国際長編映画賞のベルギー代表作品であり、第77回カンヌ国際映画祭で批評家週間SACD賞に選ばれた『ジュリーは沈黙したままで』が10月3日、新宿シネマカリテなどで公開される。
物語の主人公は、将来を嘱望される若いテニスプレーヤーであるジュリー。ある日、担当コーチのジェレミーが指導停止となりクラブから姿を消すと、彼の教え子が自ら命を絶った事件について“不穏な噂”が立ち始める――。
その事件の背景に透けて見えるのは、コーチという特権的な立場を利用して、教え子を心身ともに支配する「グルーミング」。物語は、ジュリーの“沈黙”を通じて、この社会問題の根深さや当事者に与える影響の大きさを訴えかける。
監督は、本作が長編デビューであるレオナルド・ヴァン・デイル。作品で描きたかったことを聞いた。
レオナルド・ヴァン・デイル監督/映画『ジュリーは沈黙したままで』のポスター口を開くまでの「ジレンマ」を描きたかった
ベルギーのテニスクラブに所属する15歳のジュリーは、その実力によって奨学金を獲得し、将来を有望視されているプレーヤーだ。ところがある日、担当コーチのジェレミーが指導停止となりクラブから姿を消す。その影には、同じく将来を期待されていたプレーヤーが自ら命を断つという痛ましい事件があった。
事件をきっかけに、クラブに所属する全選手を対象にジェレミーについてのヒアリングが行われることに。ベルギー・テニス協会の選抜入りテストを間近に控える中、彼と最も近しい関係だったジュリーには大きな負担がのしかかる。クラブ関係者に「話してもらえないか」と説得されても、なぜかジェレミーに関する調査には”沈黙”を続け……といったあらすじだ。
物語は、指導者がその立場や経験・知識の差を利用して信頼関係を構築し、幼い選手の性的搾取に至る「グルーミング」をテーマに据えている。しかし、ジュリーたちが実際にどんな被害を受けたのかは描かれていない。
レオナルド監督は「こうしたテーマの場合、どういう虐待が行われていたのか、口を開いた先にどんな代償が待ち受けていたのかを描くのだと思います。しかし、今回はジュリーが口を開くまでに至る経緯を描きたかったのです」と語る。
「シェイクスピアの『生きるべきか死ぬべきか』ではありませんが、『口を開くべきか開かざるべきか』というジレンマを描いたつもりです。自身の身に起きたことについて沈黙を貫くことは、自己感覚を侵食していく辛いものです。
一方で、口を開けばさまざまな分析・非難の的となり、とんでもない危険を伴うでしょう。当事者は『何を失うことになるのだろう』という怯えの中で、ようやく口を開くわけですよね。つまり、みんな口を開くまでにそうしたジレンマを抱えながら、その地点に立っているということを描きたかったのです」
ジュリーは、クラブの仲間たちに「話して」とせがまれても、家族やクラブの関係者が寄り添っても、頑なに沈黙を守る。作品は、そんな彼女の日常と心の小さな揺れ動きを丁寧にすくい上げている。
主人公ジュリーは、現役のテニスプレーヤーであるテッサ・ヴァン・デン・ブルックが演じた。レオナルド監督は「テニスプレーヤーとして、確固たるスキルを持っているという“本物性”を持たせたかった」と語る幼いアスリートが「大人」として扱われる違和感
レオナルド監督は2020年、怪我を隠して競技を続ける12歳の体操少女を描いた短編『STEPHANIE』を制作。今回の作品でも、スポーツ界において子どもが「小さな大人」として扱われる現状にクエスチョンを投げかけている。
「常々、未来の世代に渡せるより良い世の中を作るにはどうしたらよいのかと考えていて、それが作品にも反映されています。今回の作品で言えば、どうすればジュリーのような子どもを、有害な大人から守れるのかということ、作品を通じて、『これが解決策だ』と提示しているつもりはありませんが、子どもたちが自由に、イノセンスを失わずに行きていける環境を作ってあげたいのです」
スポーツ界のグルーミングは、その種目において特権的な立場にある大人が、若年の女性アスリートに対して加害するケースが多く見られる。
例えば、2018年に報じられたアメリカの体操女子ナショナルチームドクターによる性的虐待事件。ドクターは20年以上にわたり、治療と称して250人以上の幼い女子選手たちに性的虐待を繰り返していたという。12歳の頃に被害を受けたという女性は、両親に訴えるもドクターが否定したことで、逆に謝るように促されたといい、「彼のせいで急いで大人になるしかなかった」「大したことじゃないと思っていたことが、成長して初めていかに卑劣な行為だったか気付いた」と話している。
子どもたちが、信頼していた大人からの行為を、「被害」と認識し、声を上げることがいかに難しいことか。また、競技の世界で成功するには権威者を敵にまわすわけにはいかず、沈黙せざるを得ないという葛藤もあるだろう。
「ジュリーのような子どもたちは限界知らずで野心を持っている分、『脆さ』もある。つまり、グルーミングの格好の餌食となってしまうのです。そういう子たちは『こういうことに気をつけなさい』と、大人としての振る舞いが求められがちなのですが、そうではなくて。子どもに接近させていけないのはどういう大人なのかを、大人側がきちんと特定して守らなければならないと思います」
初めは新コーチのバッキー(左)に反発するジュリーだが、徐々に打ち解けていく告発は「勇気ある行動」と称えられるべきことではない
この物語を通じて何を描きたかったのか。レオナルド監督は「彼女を取り巻く『社会』が失敗したのだということ」だと語る。
「コーチのジェレミーは明らかに有害な人物なのに、新しいクラブに移籍してコーチングを続けているわけですよね。最終的に、ジュリーが口を開かないと彼の有罪性を問えない。彼を堰き止めるのはジュリーしかいないのか?ということに疑問を感じているのです。我々は被害者に対してどうではなく、今・未来のジュリーに対して何ができるのかを問うべきだと思っています」
幼少期にグルーミングを受けた当事者は、自身に何が起きたかを受け入れ、語れるようになるまで長い時間を要する。一方で、レオナルド監督は、告発を「勇気ある行動」として称えることには違和感を覚えているという。
「我々が悩みを語るときは家族や友人、セラピストといった安全領域の中ですよね。しかし、ジュリーのような当事者は外界、スポーツにおける既存のシステムに対して告発しなければならない。それはとても危険なことであり、勇気ある行為として称えられるべきことではないと思います。反転させれば、口を開かないことが『臆病』であるかのようになるわけですから。いずれにせよ、周りが無理強いするものではなくて、その子の準備ができるまで待つべきであると思うのです」
「抹茶のような日本映画を作った」
最後に、日本の観客にメッセージを寄せてもらった。
「僕は朝に抹茶をよく飲んでいるんです。抹茶って、すごく繊細な飲み物ですよね。静けさの中に、ちょうど何かと何かのバランスがうまく噛み合ったときに出てくる味わいのようなものがあると思っていて。そういう、抹茶のような日本映画を作ったつもりです。つまり、そこまで明示的ではないし、派手さもないけれども、味わい深く、いろんな感情を内包した映画ということです。とにかく観に来てほしいですね。日本の皆さんがどのように反応するのか非常に興味深いです」
<公開情報>
10/3(金)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋ほか
監督:レオナルド・ヴァン・デイル
出演:テッサ・ヴァン・デン・ブルック、クレール・ボドソン、ピエール・ジェルヴェー、ローラン・カロン ほか
2024|ベルギー・スウェーデン合作|オランダ語・フランス語・ドイツ語|100分|カラー|5.1ch|1.85:1|原題:Julie zwijgt |
日本語字幕:橋本裕充 (C)2024, DE WERELDVREDE 配給:オデッサ・エンタテインメント
【あわせて読みたい】「性的グルーミング」とはどんな行為か? 子どもたちを守る方法は…
Source: HuffPost




