2025
08.05

『宇野書店』とVC・ANRIの「1万円の雑誌」。意外な角度から「本」に光を当てる取り組みが誕生した。

国際ニュースまとめ

8月1日、東京に「本」にまつわる二つの場所が誕生した。ひとつは、批評家・宇野常寛さんが手がけた『宇野書店』。もうひとつは、ベンチャーキャピタルANRIが創刊した雑誌『FASTFORWARD』の販売所。

それぞれ、関係のない別々のプロジェクトで、日付が同じなのはただの偶然だ。

しかし、本を読む人が減り、書店が街から消えたというニュースが頻繁に聞こえてくる2025年に、本の新しい側面に光を当て、新しい場所と議論を作って行こうという野心的な取り組みが共通している。

同日、2つの場所を訪ねた。

「ひとり」になり世界と触れるための本屋

一つ目は、大塚駅北口にある東邦レオ東京支社ビル。

緑化事業・空間プロデュースなどを手がける同社のビル内にオープンした『宇野書店』だ。批評家・宇野常寛さんが自らの名前を冠し、自身の選書で構成した約6000冊が並ぶ。

店に入ると、まず足元に人工芝。靴を脱いで入る空間は、公園のように居心地が良く、別のテナントの人や、お客さんも読書や仕事も自由にできるという、不思議な空間。

この書店が目指しているのは、「公共性の再構築」だという。宇野さんは、この本屋を著書『庭の話』(講談社)で提案した、「私的に公共空間を作る試み(作庭)」の実践だと語る。

批評家・宇野常寛さん批評家・宇野常寛さん

一方、東邦レオ側にとっては、オフィスビルの価値や、大塚という街全体の魅力の向上を目指すエリアマネジメントの一環という面も大きい。地域の人々が集い、新たな知識や視点に触れることができる場所を目指していくという。

8月1日の夜には、オープニングイベントが行われ、立ち見も含めて100人が殺到する熱気に包まれていた。ゲストにはブックコーディネーターの内沼晋太郎さん、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)で旋風を巻き起こした文芸評論家の三宅香帆さん、エール取締役、元ほぼ日取締役の篠田真貴子さんが登壇した。

「本や出版文化がどうあるべきかを考えている3人と一緒に宇野書店の今後を考えたい」と宇野さん。

トークの中では、本をライフスタイルに組み込むアイデアを語った。

「本を読む習慣をアシストしたい。例えばこのビルや近所に勤めている人が、朝に寄って毎日30分読書する、といった使い方を提案したい。本を読む生活習慣の楽しさを、僕らは仕事で経験的に知っていますけれど、多くの人が知らない。その楽しさを自然に覚えてもらえる場所にしたいんです」

(左から)批評家・宇野常寛さんと語り合う、ブックコーディネーターの内沼晋太郎さん、文芸評論家の三宅香帆さん、エール株式会社取締役の篠田真貴子さん(左から)批評家・宇野常寛さんと語り合う、ブックコーディネーターの内沼晋太郎さん、文芸評論家の三宅香帆さん、エール株式会社取締役の篠田真貴子さん

さらに、宇野さんが大学受験の浪人生時代に予備校に行かずに朝から晩まで、札幌の立ち読みができる本屋から本屋を渡り歩いていたという過去にも触れて、書店という場所と訪れる人との関係についてこう話した。

「あの頃本屋だけが僕の居場所だったんですよ。本屋だけが何者でもない、社会から完全に見捨てられた人間にとって札幌の街での居場所であり、そして自分が何に拗ねているのかも分からない青年に、思考の手がかりを与えてくれる場所だった。だから、誰かに話を聞いてもらえるとか、友達ができるということとは全く違う価値が、本屋にあるんだっていう風にずっと思ってきたんですよね。本屋では誰にも出会わなくていい。ただ、人々が残した言葉の記録だけがあって、たまたま目に入ったものを手に取った時に刺さったり、刺さらなかったりする。そういうったものだけが救える魂ってあるんですよ」

【宇野書店】
東京都豊島区北大塚1-15-5 東邦レオ東京支社ビル2階
平日10~21時、土日・祝日12~20時

1万円の雑誌が問いかける、「濃度」と「変化」

二つ目は、六本木で、8月1〜7日の夜だけオープンするという不思議な本屋「ANRI書店」。しかし、販売しているのはただ一冊だけ、1万円の雑誌『FASTFORWARD』のみなのだという。

VCが雑誌を作って販売する。販売員はベンチャーキャピタル所属の投資家で、しかもほぼ「手売り」のような形態だ。

FASTFORWARDFASTFORWARD

この不思議すぎる雑誌を編集長として手掛けたのは中路隼輔さん。ANRIに所属し、本業はスタートアップ企業への投資だ。しかし、決して、これは遊びではないのだという。

「日本のスタートアップは今、様々な意味で分水嶺にある」と中路さんは狙いを話す。

「今まで、正直に言って、海外で流行っているものをどう日本に取り入れ、現地化するか。そこに勝ち筋がありました。しかし、世界がさらにフラットになり、OpenAIのように海外発のスタートアップが一瞬で日本を含む世界中で勝てるようになる。その中で、日本のスタートアップはどう勝負できるのか」

「グローバルで勝てるものを考えるなら、日本という『閉じた世界』で進化したものを大きく広げる必要が出てくる。だからこそ保守や排外主義ではない形で、日本にしかないものを考える。そんなVCとしての思想を表現する必要がある時代だと感じています」

創刊号のテーマは「HIGH-CONTEXT」。暗黙の了解や前提知識に依存した「日本らしい」とされるコミュニケーション様式に着目し、それを「閉じたまま大きくなる文化」として多角的に読み解こうとしている。

テーマを象徴するように、寄稿者のラインナップも幅広い。VTuber、HIPHOP、ポストフェミニズム、作文教育にいたるまで──サブカルチャーと社会制度の狭間を行き来する記事が並ぶ。

訪れたお客さんに雑誌の狙いを話す中路さん(中央)訪れたお客さんに雑誌の狙いを話す中路さん(中央)

中路さんの「本業」でも、ホラー映画を手がける気鋭の映画制作会社「NOTHING NEW」の投資などがこの流れにあるという。

SNSで情報が拡散され、分断と対立が煽られる時代に、あえて「届きにくく、深く刺さる」メディアを作る。

テクノロジーによって変化を加速させるはずだった社会が、「加速主義」で速度自体が目的化し自暴自棄に陥っていないか。真に必要なのは「変化」の方だったのではないか?そんな問いが、この雑誌には込められている。

今後は、半年から1年単位で出版を重ねる構想。書店での販売期間が終わった後は、「手売り」が中心となるという。

【ANRI書店】
東京都港区西麻布1-1-3-10
8月7日までの期間限定、18時〜22時オープン

読むことの再起動が始まっている

確かに、近頃本当に忙しい。手軽な暇つぶしと娯楽は常に手の中のスマホに入っている。2024年の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が問いかけたように、働いて疲れ、さらに「成長」に駆り立てられる現代は、本に触れることなく暮らす日常をあっという間に連れてくる。

宇野書店は無人販売。訪れた人が自由に本を読むことができる宇野書店は無人販売。訪れた人が自由に本を読むことができる

一方で、オフィスビルやVCという意外な角度からの模索が、本を思考の拠点や、街と人とをつなぐインフラとして捉える新たな変化を生み出す営みに繋がっている。

「本だけが救える魂がある」と訴える宇野さんや、VCという資本主義のど真ん中だからこそ、新たな哲学・思想で変化を生み出すことが必要だと考える中路さん。そしてそれが支持される2025年には、確かに今の暮らしへの「反動」をとして、「読むこと」から新しい何かを再起動させる、そんな意思を感じた。

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Source: HuffPost