06.28
若くしてスターダムにのし上がり、24歳で手術。女子ゴルフ・植竹希望が、レジェンド大山志保からもらった言葉
かすかな頭痛とともに、意識が現実の世界に戻ってくる。
上体を起こそうとして、ようやく思い出す。
身体の各所から、管がいくつも伸びている。
そうか、終わったんだ。
2024年4月。プロゴルファー植竹希望は、右股関節の手術をした。包帯で固定された右足は、まったく動かない。
当時24歳の人気選手。ほんの2週間前まで、国内女子ツアー戦でプレーしていた。
術後の写真。病室で。あの華やかな会場の喧騒がうそのようだ。病室はただただ静かだった。ぼんやりと天井をながめながら、ぽつりとつぶやく。
「もうやっちゃったから、こっから頑張んなきゃいけないんだな」
15歳でツアー優勝を果たした勝みなみと同じ「黄金世代」の一員。
実はそれより1年前、14歳の時点でツアー戦での優勝争いを演じ、話題になっていた。
「美しすぎるスイング」も絶賛された。
だがその裏で、見えざる「負債」のようなものが、彼女の身体を静かに蝕んでいた。
2022年にはツアー優勝。さらなる活躍が期待されていた10年間気づかなかった「異変」
最初に異変を感じたのは、ツアー初優勝を果たした2022年頃だった。
結果が出始めた裏で、痛みと重だるさが徐々に輪郭を帯びていった。だが当時は原因が分からず放置してしまった。
気にしすぎていたのはスイングの方だった。
打ちに行くときに右ひざが前に出て、前傾が崩れてしまう。そんな「クセ」を直そうとした。
より効率的で、飛距離やショット精度と身体への負担軽減をともに実現する。
そんな狙いの取り組みだった。だが、やればやるほど、なぜか腰痛が強まった。
2023年はトップ10に一度も入れないままに終わった。
すがるように、他競技の知人から紹介された理学療法士に相談してみた。検査したところ、驚きの結果が出た。
治療に当たってくれた医師、医学療法士らと右の股関節の外転角度、わずか2度。知らぬ間に、まったく動かなくなっていた。
「右ひざが外に全く動いていなかったんですよ。その中でスイングするために、右ひざを前に出す動きが無意識に入ってしまっていた」
精密検査の結果、股関節の関節唇が完全に損傷していることが分かった。
「10年くらい前から、この状態は続いていると思います」。そう告げられた。
いつ脱臼してもおかしくない状況。それがジュニア時代から長く続いていた。
小学校5年生の頃の植竹選手骨が抜けなかったのは、周囲の筋肉が関節を補強していたからだ。だがその結果として、可動域が極端に減ってしまったのだ。
あぐらがかけないほどだったが、それも「身体が硬いから」だとして、必死にストレッチをした。
無理をして、さらに症状を悪化させる。ストイックに競技に取り組むアスリートほど、かえって陥りがちなスパイラルに、植竹もはまってしまっていた。
手術への決断。応援のありがたみ
植竹は右股関節の内視鏡手術に踏み切った。
福岡の専門病院で、股関節治療の権威による執刀だった。
「決断自体はすぐにしました。毎週毎週、痛み止めの注射を打ちながら試合に出ていて…このストレスを抱えながら続けるのは正直厳しいなと思っていたので」
手術直後1か月間の入院をへて、理学療法士が拠点を置く三重県でのリハビリ生活を開始した。
ウィークリーマンションでの一人暮らし。最も辛かったのがこの時期だった。
リハビリに取り組む植竹選手「やっぱ1人になる時間が多かったので、1人の時にこうすごい沈んじゃうというか。ちゃんと前よりいいパフォーマンスに持っていけるようになるのだろうかとか」
そんな植竹を支えたのは、リハビリ施設のスタッフや新たに出会った人々だった。
食事に誘ってくれたり、他のスポーツ選手を紹介してくれたり。地元の飲食店では常連客が応援してくれるようになった。
「応援していただくありがたみを、それまで以上に強く感じました。プロアスリートはひとりでは戦えないんだなと」
身体こそ資本。たどり着いた原点
ツアー離脱期間の気づきは、ほかにもあった。
入院中の病院では、力士、サッカー選手、野球選手など様々な競技のアスリートと共に過ごした。
フィールドは違えど、股関節唇を損傷し、手術を余儀なくされたのは一緒だった。
つまり、である。
身体を動かすという点で、ほかのスポーツと原理原則は変わらない。けがを避けたり、効率的にパワーを生み出すために、他競技の観点も取り入れながら身体の動きの連動性を見つめなおす必要があると感じた。
病院で交流したアスリートの競技を観戦する機会も増えた「勉強する時間が増えました。最初に原因を見つけてくださった理学療法士さんや、その方の紹介でバイオメカニクス(生体力学)を研究されている大学の教授などにお話を伺ったり、実際に専用の器具をつけてトレーニングをするうちに、こんなに身体の動きって変わるんだという実感が生まれました」
「以前はそういう骨の位置や関節の動かし方より、トレーニングの仕方、パワーアップする方に関心がいっていましたが…ケガという現実を突きつけられたことで、考えを変えることができました」
不慮の事故。再びの手術
手術前、最後のツアー戦。
会場で植竹は取材に対して、こう答えていた。
「憧れの大山志保さんのように、45、6歳ぐらいまでは絶対頑張ってやりたい。何なら、志保さんより長くやりたい。だから手術します」
だが、長いリハビリの中で、焦りが全くなかったといえば、うそになる。
「しばらく病んでいました」。苦笑いしながら、そう明かす。
遠い病院から見つめることになった国内女子ツアー。
その会場を、植竹よりもさらに若い、竹田麗央ら「ダイヤモンド世代」が席巻していた。
2024年10月-11月の日米共催「TOTOジャパンクラシック」でLPGAツアー初優勝を果たした竹田麗央選手。この大会で2024年シーズンの賞金女王をほぼ確実にした。自らも一員に数えられる「黄金世代」以降、レギュラーツアーの若年齢化は加速するばかりだ。
手術という回り道を選び、20代の貴重な数年を復帰のために費やすのは、果たして正解だったのか。
不運も襲った。
レギュラーツアー復帰も見えてきた2025年1月。トレーニング合宿の最中に、右手首を骨折してしまった。
股関節の可動域が広がり、より効率的なスイングを目指せる手応えがあった。
何より、バイオメカニクスを学び、ケガしにくい身体を手に入れつつあるという自信を手にしていた。
だが、不意の事故による負傷ばかりは、避けることができなかった。
再度の手術を強いられ、右手首にはボルトを入れられた。それ以上に、精神的なダメージが大きかった。
痛みに耐える背中。言葉に追いつく本心
救ってくれたのは「憧れの存在」だった。
2度目の手術からようやく競技復帰後した後の、2025年5月。
国内女子ツアー「アース・モンダミンカップ」の予選会で、植竹は大山志保と同組になった。
まさかの骨折で、深く落ち込んでいたことを、つい打ち明けてしまった。
すると大山からは、こんな言葉が返ってきた。
「私ももう辞めようと思っていたんだけど、Yahoo!かなんかで見た記事で、どこかの誰かが『志保さんより長くやりたい』って言っているから、50歳までやることにして今日ここに来たの」
ツアー通算18勝の大山だが、40歳を過ぎてから全身の激しい痛みに襲われるようになった。
治療の効果も現れず、ただ耐える日々と聞いていた。
大山志保選手。2020年8月のニトリ女子ゴルフで。それにも関わらず、大山は植竹に笑いかけてくれた。
「どこかの誰かさんに負けたくないじゃん」。そんな言葉とともに。
「本当にこの人は強いなと思いました」
植竹はしみじみと、そう振り返る。
「かっこいい。私もそういう人間でありたいと、心から思いました。超えることはできないかもしれないですけど、まだ追いかけさせてくれるということだったので、見習って頑張ろうかなと」
長く現役を続けたい。だから焦らず、身体を万全の状態にする。
手術前の自分の言葉に、ようやく本心が追いついた。
回り道だからこそ得られるもの
2025年6月。植竹はU-NEXTからオファーを受け、新しい挑戦をすることになった。
6月28、29日の2日間、DP Worldツアー(欧州男子ツアー)のイタリアン・オープン決勝ラウンドの配信で、解説を担当する。
6月28日(土) 19:25配信開始 イタリアン・オープン DAY3
6月29日(日) 18:55配信開始 イタリアン・オープン DAY4
現役のツアープレーヤーが解説をする事例は多くはない。
女子選手による男子ツアー戦の解説、となればさらに珍しい。
「勉強になるから、というのが一番です」
オファーを受けた理由をそう説明する。
「クラブセッティングや練習方法、試合の攻め方、アプローチやバンカーの打ち方など、詳細に見れる機会をいただけるということなので、必ず自分のプラスになることが何かあるなと思って。自分と比較しながら見ていきたいと思っています」
一日も早くレギュラーツアーに復帰したい。
そんな焦りが強かったとすれば、とにかくプレーに集中するといって、このオファーは受けなかったかもしれない。
入院中やリハビリ中に、多くの出会いに恵まれた。
そして、さまざまな気付きを得た。そんな「成功体験」も、植竹の考え方を変えた。
回り道には、そこを歩まなければ決して得られない貴重な学びがある。
そう思えるようになったからこそ、解説のオファーも「いい機会」として受け入れることができた。
私が長く活躍し続けたい理由
ツアー戦の現場に戻って以来、周囲の選手から身体のことについて相談を受ける機会が増えた。
医師を紹介すると、かつての植竹のように股関節に問題が見つかり、手術に至るケースが次々と出てきた。
ジュニアのころから一生懸命練習に取り組んできたアスリートほど、プロという夢をかなえたあとに「負債」に苦しんでしまう。そんな不条理が、スポーツの世界には現実としてある。
ゴルフを始めたばかりのころ、仲のよいお友達と。植竹選手は4歳からずっとゴルフに取り組んできた植竹の脳裏に、手術が終わって目覚めた当時のことが蘇る。
この先、どうなってしまうのか。不安にかられそうになったとき、枕元に置かれた紙の束に気付いた。
その枚数、およそ50枚。
植竹がNPO団体を通じて支援しているジュニアゴルファーたちから送られてきた、お見舞いと応援のメッセージだった。
NPO法人で支援するジュニアゴルファーたちと強く励まされたあの日のことを、今も鮮明に覚えている。
そして、思いを強くする。ジュニアゴルファーたちには、同じ不条理を味わわせるわけにはいかない。
「痛みが出たら、まずは病院に行く。そんな基本的なことでいいと思うんです。鍼灸院でのマッサージなどの対処療法を優先してしまう。あるいは、我慢できると判断して練習を続ける。そっちが近道のような気がしてしまうのも分かるのですが、とにかく最初に科学的な診断を仰ぐべきだと思います」
そうしたメッセージを、より広く伝えるために。
長く一線で活躍したいと願う理由が、またひとつ加わった。
「やっぱり、レギュラーツアーには戻りたいです。できれば、夢であるアメリカツアーでのプレー、海外メジャーへの出場も実現したい。ただ、それが何年先でもかまわないと、今は思っています。海外メジャーで言えば、50歳以上が出場できる全米シニア女子オープンだってあるわけですから」
Source: HuffPost




