05.11
「生きたまま燃やす」家族に脅された同性愛者の男性が難民認定。入管庁の「手引」は生かされたのか【検証】
「国際基準に基づく難民認定を」などと訴える市民団体のデモ(東京・上野恩賜公園付近、2025年1月19日撮影)性的マイノリティは、難民条約上の迫害理由にいう「特定の社会集団の構成員」に該当し得る━。
出入国在留管理庁(入管庁)の「難民該当性判断の手引」には、そう明記されている。しかし、北アフリカ出身で同性愛者の男性Aさんは、母国での迫害を入管に訴えたが不認定に。裁判を起こし一、二審でいずれも勝訴した結果、2025年4月にようやく難民と認定された。「手引」は生かされたのか。検証する。
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「性的指向に関することは、当事者にとって極めてセンシティブで、それを理由に迫害を受けたと裏付ける証拠を母国から持ち出すのは大変なこと。それでも一審判決は立証責任が果たされたとしてAさんを難民と認めた。ところが国は控訴した。国は何も新しい証拠を出せずに裁判は終わった。8カ月引き延ばされたことで、Aさんはどん底の生活を強いられた」
いま、代理人の松本亜土弁護士は憤りを込めて振り返る。
「Aさんは母国で迫害を受けて難民となったが、保護を求めた日本の国によっても尊厳を踏みにじられた」
「家族が乗った車にひき殺されかけた」
Aさんは30代。母国の刑法は、同性同士の性的な行為に対して最高懲役3年の刑事罰を規定している。また同性愛そのものに対しても、「倫理及び公衆道徳の侵害」が適用されると懲役6カ月と罰金刑に処せられる。
イスラム教徒が大半の国で、性的マイノリティの人たちは嫌悪の対象とされ、差別や暴力を受けてきた。
Aさんは母国にいた頃、友人を介して知り合った男性と交際していた。周囲に気づかれないよう人前での振る舞いには注意していたが、2018年ごろ、肩を組んで歩いている姿を知人が目撃し、家族が知るところとなった。
父や弟らによって自宅の部屋に監禁された。暴言を浴び、顔や肩、胸、背中などを殴ったり蹴ったりされ、プラスチック製のホースで打たれた。
10日以上たったころ、「男性とは別れて、女性と付き合う」と言って解放されたが、再び隠れて交際。実家を離れて別の町で暮らしていた2019年秋、家族に見つかり、道路を2人で歩いていた際に父や弟が乗った車でひかれそうになった。Aさんと相手の男性は警察に保護を求めたが、同性愛が理由で狙われた旨を話すと、警官は態度を変え「投獄する」などと脅した。
この時初めて、Aさんは母国に同性愛を処罰する法律があることを知ったという。恐怖を覚えて出国を決意し、同性愛に対する刑罰がなく短期滞在できる国を探した。同年の大晦日に来日し、年が明けてすぐに難民認定を申請した。
性的マイノリティと「難民該当性判断の手引」
入管庁は2023年3月、「難民該当性判断の手引」を公表した。有識者会議が9年も前に「保護対象、手続き、認定判断の明確化を」と提言したことを受けて、ようやく形にしたものだ。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の協力も得てまとめたとされる。
「手引」には「性的マイノリティであることに関連する迫害」の項目があり、「性的マイノリティは、難民条約上の迫害理由にいう『特定の社会集団の構成員』に該当し得る」とはっきりうたわれている。
そのうえで「審査時の留意点」として、まず「判断において必要な視点」が次のように記載されている。
「一定の外見や振る舞いをするといった固定観念や憶測に依拠し、それに相当しない外見や立ち居振る舞いをしていることのみをもって、性的マイノリティではないと判断するべきではない」
「難民認定申請した者であっても、自らの事情を公然と明らかにすることに羞恥心や恐怖を抱いていることがあり得る。…難民認定申請手続きの初期段階において、自らの事情を明らかにしなかったり、これを理由とした迫害を受けるおそれについて主張していなかったとしても…申し立ての信ぴょう性を否定することは適当ではない」
続いて「具体的な判断のあり方」が以下のように示されている。一部を引用する。
・性的マイノリティとしての特定の行為を処罰する法令が存在する場合、単に法令が存在するという抽象的な危険が認められるだけでは足りず、具体的な適用状況や同様の事情にある人が実際に処罰などの迫害を受けているかどうかに鑑みて、申請者が法令を適用され処罰などの迫害を受ける現実的な危険があると認められる必要がある。
・性的マイノリティという事情は、人間の尊厳にとって根源的なものであり、申請者が公然と明らかにしているか否かに関わらず、変更または放棄を強要されるべきではない。
・国籍国の都市部などで迫害または差別的な取り扱いの対象とされない地域への避難が合理的に期待できるときは、国内避難の可能性が認められる余地があり、(筆者注・難民性の判断に)消極的な事情となり得る。
・性的マイノリティを理由に(筆者注・家族などの)非国家主体から迫害が加えられる場合で、性的マイノリティの特定の行為を処罰する法令が存在するときは、一般的に国籍国の保護が受けられないことを推認させる事情となり得る。
こうした判断のあり方は、Aさんのケースでどのように反映されたのだろうか。
「主張が真実でも、何らの難民となる事由を包含していない」
2021年2月、Aさんは難民不認定となる。理由は次のように記されていた。
「家族及び警察が、あなたの生命、自由に重大な侵害に至る程度の危険を及ぼすような切迫した状況にあったとは認められない。むしろ国内の他所に待避が可能。本国政府が犯罪行為を放置、助長するような特別な事情があるとは認められない」
「手引」にある「迫害を受ける現実的な危険」「国内避難の可能性」「本国政府による保護」について、いずれもAさんを「難民とは認めない」方向で解釈していることがわかる。
Aさんはこれを不服として、第三者である難民審査参与員(以下、参与員)が関わる2次審査を申し立て、対面での意見陳述を求めた。「直接会って事情を訴えたい」という思いだったが、参与員は「(対面審査は)実施しない」と突き放した。驚いたのは、その理由だった。
「申述書に記載された事実その他の申立人の主張に係る事実が真実であっても、何らの難民となる事由を包含していない」
「手引」が公表される以前のことだが、入管庁は「新しく基準を作ったわけではない」としているので、考え方は当時も生かされていなければならないはずだ。
ということは、Aさんの主張が真実である場合、「手引」に従って判断するならば「難民となる事由を包含している」ことは明らかだ。
提言をした有識者会議の委員で、全国難民弁護団連絡会議代表の渡辺彰悟弁護士は、これをどう見るのか。
「有識者会議の報告は2014年12月なのに、『手引』の公表は2023年3月。難民認定判断の基準の適正化が遅れたために、現場の実務でも『手引』の考え方が適用されていなかったことを物語っている」
「手引」に示された考え方は、公表以前には生かされていなかったとの指摘だ。
そのうえで「手引」の意義をこう強調した。
「入管庁は、そもそも過去の現場での判断が間違っていたことを正面から認めるところから始めなければならないのに、“新しい基準を作ったわけではない”という。自己弁護に過ぎない。
『手引』がすべて的確かどうかの分析は必要だが、少なくともUNHCRのガイドラインなどで明確にされている国際基準に沿うものも多く、いままで入管庁が示してきた基準と異なっていることは明白。そのことをはっきりさせるべきだ」
結局、参与員は全員一致で「難民と認める理由はない」と意見を述べ、2次審査でも不認定とされた。
残された救済手段が裁判だった。Aさんは2022年、難民不認定処分の取り消しを求めて大阪地裁に提訴した。
「手引」の考え方に沿った地裁判決
大阪地方裁判所限られた証拠で、どう難民性を立証するのか。
裁判の途中で「手引」が公表されたが、国側は入管の審査を踏襲して、難民には当たらないとして、次のように主張した。
「原告が同性愛を理由に家族から迫害を受けたと主張する事実は立証されているとは言えない」
「仮に迫害の恐れがあるとしても、本国政府が同性愛を理由に私人間の違法行為を放置、助長しているような特別な事情があるとは言えないし、逮捕される現実的な恐れがあるとは認められない」
転換点となったのは、Aさんが日本から弟にかけたビデオ通話の録画だった。
「おまえが私の前にいたら、生きたまま燃やす」
「もし国に戻ったら、私たち家族はおまえが死ぬまで叩きのめす」
弟の激しい言葉は、母国に帰れば命の危険にさらされるというAさんの主張を裏付けた。
それでも国側は、「相手が弟である客観的証拠がない。第三者でも(通話は)可能」などと反論した。
2024年7月の判決で、大阪地裁の徳地淳裁判長は「ビデオを殊更考慮しなくてもAさんの供述は全体として信用できる」としたうえで、ビデオ通話について「母国から家族写真などを送ってもらうのは難しいと思われ、客観的な証拠を提出できないのはやむを得ない面がある。通話には弁護士や通訳も立ち会っており、証拠のねつ造とも言うべき行為は考えにくい」と国側の主張を退けた。
さらに「手引」の考え方も引用して、Aさんを「特定の社会集団の構成員」と認め、「同性愛の性的指向は、それ自体人間の尊厳の根源をなすもので、放棄が要求されるべきではない」とし、「帰国した場合、家族から危害を加えられ、逮捕などの身体拘束や訴追を受ける現実的な恐れがある」「原告は難民に該当する」と判断した。
「手引」の考え方は、判決に生かされた。
だが、国は控訴した。
「国の控訴で生存が脅かされている」
「(国の控訴で私は)押しつぶされてしまった。暗黒の未来だ」
2024年8月に会った時、Aさんは打ちひしがれていた。
「(勝訴判決で)全部問題が終わって、普通に生きることができると思ったのに、何もできない、ただ家にいるだけ。毎日、夜になると泣いています」
仮放免の立場にあるため仕事は禁じられ、健康保険はない。医療費が300%請求される病院もある。
難民支援団体から保護費の支給を受けていたが、家賃と光熱費を払うと生活費は1日1回食べられるかどうかしか残らない。イスラム教徒が食べられるハラルフードを選ぶこともできず、弁護士や友人から送られたカップラーメンやカレーで日々をしのいでいた。
取材に同席した松本弁護士は、「控訴によってAさんの生存が脅かされている」と先行きを懸念した。
控訴審の第1回口頭弁論で国は、母国の弁護士に依頼して、性的マイノリティへの処罰の実情に関する意見書を提出する旨を主張していた。ところが11月、事情が変わって意見書は出されないという連絡がAさんの代理人弁護士に届き、2回目で結審した。
2025年2月、大阪高裁の三木素子裁判長は一審判決同様、逮捕などの身体拘束や訴追の現実的なおそれを認めたうえで、「単なる家族間のトラブルとして黙認すべき事案とは思われない」「本国政府が、非国家主体によるLGBTの人々への迫害に対して効果的な措置を講じているとは言い難く、放置しているとの評価を免れない」として、Aさんの難民不認定取り消しを認めた。
4月、Aさんはようやく日本で難民と認定された。
松本弁護士は「Aさんは冬に39度の熱が出たが病院に行けず、このまま上がり続けたらどうなってしまうのかと怖い思いをした。(難民と)認められないのではと思っていたようで、ほっとした表情だった。『働きたい』と言っているので仕事に就いて、今後、難民支援団体の日本語講座を受ける予定。不当な控訴がなければ、もっと早く人間らしい生活に踏み出せた」と語った。
渡辺弁護士は次のように語る。
「難民としての事情を抱えている人たちの不安定な地位を継続させることは、日々送還の危険に直面することで精神の平衡をも危うくし、結果として二重の迫害を引き起こす。人の尊厳を脅かす。
日本での保護を諦めて出国を選択させることにもなりかねず、難民条約にうたわれた『迫害の恐れがある国への送還禁止』という大原則をも揺るがすと考えなければならない」
そのうえで「入管庁は、自分たちの示す基準に沿って難民と判断されるべき人たちを積極的に受け入れなければならない。現場の難民調査官、参与員には、少なくとも『手引』で明らかにした内容を浸透させ、保護を必要とする人たちへの迅速な保護を実践することが求められている」と提言している。
「手引」を十分に生かさず「難民ではない」と判断するだけでなく、裁判を長引かせることで、保護を求める人の暮らしを極限へと追い詰める。
こうした不条理は、二度と繰り返されてはならない。
(取材・執筆=元TBSテレビ社会部長 神田和則、編集=國﨑万智)
Source: HuffPost




