04.17
泣きそうな日に受け取った「手紙」とカイロ。「こんなことがあるなんて」異国の地でミャンマー人新聞配達員を支えた、感謝と応援の言葉
いてつく寒さの夜明け前、朝刊を届けた際に郵便受けにあった「ありがとう」との手紙とカイローー。
ミャンマー人新聞配達員と読者の新聞配達を通じた「交流」が、朝日新聞投書欄への寄稿をきっかけに話題を呼んでいる。
奈良県在住の井口久美子さん(70)と、ミャンマー人留学生のシンテンさん(25)は、新聞配達を通じた不思議な縁で出会い、手紙のやり取りを重ねた。井口さんはシンテンさんが日本語学校を卒業する際、卒業式にも出席した。
シンテンさんは「こんなことが起きるなんてと驚きました」と話す。
「配達員さんへ」綴られた感謝の言葉
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午前1時半ごろ。人々が眠っている間に、朝刊の配達はスタートする。
シンテンさんは日本語学校に通っていた2年間、「新聞奨学生」として朝刊と夕刊の配達をしていた。
朝刊の配達時、郵便受けに「配達員さんへ」と書かれた手紙を見つけたのは、2024年の元旦だった。
人々が正月休みを取っている元日にも、配達員たちは暗いうちから新聞を届ける。感謝の思いを込めて、井口さんはカイロにメッセージを添えた。
《朝日新聞配達員さんへ あけましておめでとうございます。暑い日も寒い日も大雨の日も、配達ありがとうございました。本年もよろしくお願いいたします。これからが寒さ本番の時期です。カイロ使ってください》
シンテンさんが新聞を入れようと郵便受けに手を伸ばした時、メッセージが目に入った。
「元旦の配達は1年で一番大変。そんな中で、知らない人からの親切に本当に感動しました」
顔を見たこともない読者からの気遣いに、シンテンさんはとても驚いたという。
新聞配達員にとって、正月号の配達は1年で最も困難な仕事だ。新年特集や膨大な量の織り込みチラシで、分厚さや重さは普段の何倍にもなる。
一度で全ての担当分を運べないために、販売店と配達担当区域を二、三度往復する。
その日、元旦の配達を初めて経験したシンテンさん。大変さに泣きそうになっていたところ、カイロと手紙を受け取り、「カイロの温かさと共に、手紙の言葉に心が温かくなりました」と話す。
元旦に、シンテンさんが井口さんから受け取った手紙とカイロ重ねた手紙のやり取り。応援の言葉がつらい時の「支え」に
販売店に戻り、カイロと手紙を受け取ってお礼をしてもいいかと所長に確認した上で、シンテンさんはお礼の手紙を書いた。
母親が送ってくれたミャンマーのお菓子とミルクティーを添えて、郵便受けに入れた。
お礼の手紙を受け取り、初めて配達員が外国人留学生だと知った井口さん。「たまにバイクの音だけ聞いていましたが、まさか外国人留学生が配達を担当してくれていたとは」と驚いた。
そのやり取りから1年余りにわたり、2人は手紙での交流を続けた。
夏には、「猛暑の中の配達は大変だろう」と井口さんは冷却スプレーを贈り、「熱中症には気をつけてください」と手紙を添えた。
お菓子作りが好きなシンテンさんは、手作りのお菓子を贈ることもあった。
異国の地で頑張るシンテンさんを「孫のような思いで」見守り、文通を続けた。
真夏に井口さんがシンテンさんに送った冷却スプレーと手紙シンテンさんは2023年、「新聞奨学生」として来日。新聞の販売店が寮費と日本語学校の学費を補助する制度で、2年間、日本語学校に通いながら新聞を配達した。
寮では、ミャンマーやベトナムから来た奨学生たちと共に暮らした。
ミャンマー南部にある米の産地、エーヤワディー出身のシンテンさん。母親は米の販売店、父親は食堂を営む。父親の店を手伝いながら通信制の大学に通ったが、地方では卒業後も両親の仕事を手伝うくらいしか選択肢がなかった。
日本のアニメやゲームが好きな兄の影響で日本に興味を持ち、日本に留学したいとの夢を抱いた。両親に金銭的な負担をかけたくないと、新聞奨学生に応募。将来を切り開く思いで、日本への片道切符を手に入れた。
朝夕の配達の間に日本語学校に通い、課題をこなしながら進学に向けての準備もし、睡眠時間を確保するのは至難の業だった。
雨の日の配達では、視界も悪く、レインコートの袖口から雨が入り込みびしょ濡れになってしまう。「もう辞めたい」とつらくなった時は、井口さんからの手紙を読み返して乗り越えた。
取材に応じたシンテンさんスマホからもニュースを手軽に読める時代だが、井口さんにとって1日2回届く紙の新聞を読むことは楽しみの一つでもある。「ネットニュースは自分の関心があるテーマばかり読んでしまいますが、新聞だとそれ以外のニュースも目に入ります。新しいことを学べるので、新聞が好きなんです」。
井口さんは、新聞を社会を知るための「教科書の一つ」だと話す。気になった記事は切り抜き、マーカーを引いてファイリングしている。
日本語学校の卒業式に招待。二度の投書が話題に
新聞配達をしながら日本語を2年間学び、2025年3月にシンテンさんは日本語学校を卒業した。
4月からは東京の大学への進学も決まっていたため、新聞配達の仕事も辞め、奈良を離れる。
「会える最後のチャンスかも」と思い、勇気を出して卒業式に井口さんを招待した。
卒業生の代表スピーチにも選ばれ、井口さんから手紙を通じて教えてもらった「花丸」のエピソードを紹介した。
「子どもの時はテストなどで『花丸』をもらう機会があるけど、大人になったらなかなかない。でも、頑張っている自分にはいつも花丸をあげてくださいね、と教えてもらいました。その話を皆にも伝えたくて、スピーチで話しました」
日本語で堂々とスピーチをするシンテンさんの姿を見て、「涙が出た」と井口さんは話す。
「代表スピーチに選ばれ、立派に日本語で話す姿を誇りに思いました」
卒業式で記念撮影をした井口久美子さんとシンテンさん井口さんは、最初にシンテンさんとの手紙のやり取りがあった2024年1月、そして卒業式に出席した2025年3月に計2度、朝日新聞の投書欄に交流について寄稿した。
投書欄に寄稿した思いについて、「嬉しさと驚きを共有したかった」と井口さんは語る。
井口さんは10年間、地元の日本語教室でボランティアを続けている。日本語教室には、シンテンさんのような若者たちが集まる。
ミャンマーをはじめ、ベトナムやインドネシアなどから働きにきた若者たちに日本語を教える中で、生徒たちから「生き方を学び、エネルギーをもらう」という。
生徒たちは昼間は働き、週末に日本語を学びにくる。日本人が敬遠する人手不足の職種で働く生徒も少なくない。
「見えないところで、私たちの生活を支えてくれている外国人の人たちに尊敬の思いを抱いています。教室では、いつも私が学ばさせてもらっています」
人手不足の新聞配達。ミャンマーなど海外からの奨学生が活躍
シンテンさんが働いていた朝日新聞の西和販売店の壽克史(ことぶき かつふみ)所長は、シンテンさんについて「とにかく真面目で明るい。2年間で日本も驚くほど上達しました」と話す。
どの新聞社も配達員の人手不足に悩まされており、西和販売店では5年ほど前から、海外から新聞奨学生を迎えてきた。
近年は、ミャンマーでの軍事クーデターの影響などもあり、海外に出て働きたいというミャンマー人の若者が増えている。
西和販売店でもここ数年は毎年のようにミャンマー人の奨学生を受け入れいて、今年は5人が在籍している。皆、日本での就職を目標に、2年間にわたり配達員の仕事をしながら日本語学校に通い、日本での大学進学を目指す。
所長の壽さんもシンテンさんの卒業式に出席。これまでもたくさんの外国人新聞奨学生の卒業を見届けてきた。壽さんは、新聞配達の仕事は「言わば通過点」とし、「卒業してこれから先が大変やで」と奨学生たちを励ますという。
夢は「国際協力」の舞台
シンテンさん4月から東洋大学(東京都文京区)に進学し、国際関係を学ぶシンテンさん。
授業料や寮費が免除となる大学の奨学生にも選ばれ、新生活をスタートした。
卒業後は、国際NGOなど国際協力の世界で働くことを目標にしている。
奈良とは違う大都会に少し寂しさを感じながらも、これからの学校生活に向けて希望でいっぱいだ。
奈良から応援してくれている井口さんや所長の壽さんのエールを受け取り、夢に向かって「大学生活では色々なことに挑戦したい」と笑顔を見せる。
(取材・文=冨田すみれ子)
Source: HuffPost




