2025
01.13

タイ映画「今日の海が何色でも」監督インタビュー~環境問題やムスリム女性に寄り添うGLを超えた人間愛

国際ニュースまとめ

タイ映画「今日の海が何色でも」監督インタビュー~環境問題やムスリム女性に寄り添うGLを超えた人間愛

『今日の海が何色でも』パティパン・ブンタリク監督に独占インタビュー

『今日の海が何色でも』を見る前に、タイの南部の県の特別な事情を、知っておく必要がある。特にタイにそこまで興味がないという方が見る場合、地理的な事、宗教的な事情を把握しておいた方が、映画を見ている途中や、見終えた後の感情が大きく異なるはずだ。
映画の舞台はタイ南部の県、ソンクラー県のソンクラー市。
ソンクラー県は「タイ深南部」と呼ばれるマレー系ムスリムが8割を占めるヤラー県・ナラーティワート県・パッターニー県の手前。実はソンクラー県の一部も「タイ深南部」とされているが、中心部のソンクラー市内はそこから離れており、思想も異なる。
「タイ深南部」は、日本の外務省から「タイからの分離独立を掲げるイスラム武装勢力による襲撃や爆発事件が頻発する」として渡航中止勧告が継続され続けているエリアだ。
ソンクラー市内は、シノポルトギー様式(中国建築とポルトガル建築が融合した様式)の建物が目立ち、パステルカラーの家や商店など、町のかわいらしい雰囲気が魅力的。2024年12月31日にタイ天然資源環境省公害管理局が発表した「タイで水質が最も高い海岸の第1位」に輝いたサミラー・ビーチを有する。観光資源も豊富な魅力的な都市だが「タイ深南部」に近いという場所から、旅行で日本人が訪れる機会は少ない。タイ渡航を数十回重ねている筆者にとっても、まだ未知の都市の一つだった。
しかし『今日の海が何色でも』を見て、その印象は大きく変わった。
カラフルで可愛らしい町並み、女性の付けるヒジャブの色や柄の魅力、ヒジャブ装着スタイルの凛々しさなど、ムスリムの暮らしの慎ましさにも興味がわき、そしてタイで最も水質が高いという海の色に魅せられた。この映画を見ると、ソンクラー市を訪れたいという気持ちが湧き上がってしまうのだ。
ワンシーン、ワンシーンがアート写真集のように美しく、小物やインテリアに至るまで計算されつくされた美しさがある。ソンクラーに注がれた制作チームの愛情の深さを感じずにはいられない。

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ソンクラー市の海岸は、高潮による浸食が深刻で、護岸壁で守られている。この護岸壁は更に浸食を強める一因になっており、他の方法はないかと様々な論争が行われ、かつては護岸壁に反対する市長が暗殺されるという事件が起こった。
そんな町の敬虔なムスリムの家庭に生まれ育ったシャティは、親から再三、結婚話を勧められ、疑問を抱きながら暮らしていた。ある日、シャティが仕事をしているアトリエに、この町でアートを作り展示会を開きたいというフォンがやって来る。金髪で煙草を吸い、アート制作に打ち込むフォンは、自分の周囲にいないタイプの人間で、憧れのような気持を抱くシャティ。2人は共に過ごす時間が増えていき、親友となっていくが…

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『今日の海が何色でも』には派手なシーンはない。ただ淡々とムスリムの女性の生活と、誰かの存在を乗り越えるためにアートに打ち込む女性の生活、そして2人が語り合い、悩み、時に遊びに出かけ、徐々に距離が近付いていく自然な姿が描かれている。
しかし、実はこの映画の真の醍醐味はそこではない。
静かで美しい風景がひたすら続く中で、シャティの婚約者が登場し、フォンが追い越したいと願っている男性が登場する。
彼女たちにとって「この異性の存在はどのような存在なのか?彼らとはどう向き合ったのか?」という重大なことを、観客自身が決めていかなければならないという、宿題を渡されてしまう。最後の結末ですら、自分の中の経験や考えに基づいて答え合わせをしなければならない。
また、最近のタイGL・BLドラマは、恋愛対象が異性でも同性でも楽しめるエンターテイメント性の高い作品が世に出され、好評を得ている。この作品にはそれはない。
環境破壊という町が抱える問題と、ムスリムの方の生活というこの町の真実の日常がバックボーンにあるため、まるでドキュメンタリーをみているようなリアル感がある。
2人の動きや会話が自然過ぎて、丁寧に丁寧に信頼関係が築かれていく。だからこそ、性別を超えた「人間愛」は確かに存在するのだということを納得させてくれる。これも大きなポイントだ。
このような作品作りができるのは、社会問題に取り組んできたドキュメンタリー作品監督だからこそ。ノンフィクションとフィクションのバランス感覚が絶妙なのだと感じる。

タイは95パーセントが仏教徒で、大半の都市ではムスリムは少数派。しかし南部ではムスリムが多数派となる。
なぜ監督はこの地を映画の舞台に選んだのか。
そしてなぜ監督は「映画の結末は監督が決めてくれる…」という当たり前の概念を覆す作品を世に送り出したのか?
パティパン・ブンタリク監督本人にお話を伺った。

 

ドキュメンタリー作品の監督になった現実的な理由とは?

ーー『今日の海が何色でも』を拝見しました。まだ行ったことがないソンクラーの町の魅力に取りつかれました。町のかわいらしさや、浸食されつつも、タイで最も海水がきれいな海や、大きな湖があって、まだまだタイという美しい国を訪れなければいけないなー…と、再認識しました。

パティパン・ブンタリク監督:ありがとうございます(照笑)。

ーー監督は映画デビューはこの作品が初めてで、ドキュメンタリーを制作していたそうですね。映画ではなくドキュメンタリーから映像の世界に入った理由は何だったんですか?

パティパン・ブンタリク監督:もともとフィクションの長編映画から制作に入りたいと思っていたんですが、そのためには大変な資金が必要です。その点、ドキュメンタリー作品は、そこまで資金がかからないし、自分たちのやりたいことが、少ない人数で実現できるという環境があるので、ドキュメンタリー作品から入りました。

 

海洋浸食のための護岸壁取材がこの映画の大本に

ーーこの映画の背景になっている護岸壁の環境破壊問題や市長の暗殺の話ですが、タイで実際に起こったことで、ソンクラーの護岸壁についてはドキュメンタリー作品の取材をしていたそうですね。詳しくお聞かせいただけますか?

パティパン・ブンタリク監督:僕は護岸壁がさらに海洋浸食を引き起こしているという環境破壊問題について、興味を持っていました。それで2011年ごろ、この護岸壁に関するドキュメンタリーを作ったんですが、丁度編集をしている時に、市長が撃たれて亡くなったんです。
護岸壁を作るプロジェクトには政府や企業の様々な利権が絡んでいます。ソンクラーの市長は「海洋浸食の問題であれば、護岸壁を作らなくても他のことで解決できる」と、護岸壁を作ることに反対していました。実際に取材もさせていただいたので、とてもショックでしたね。
実は同時に環境破壊について市長に取材していたもう一組のチームがいまして、そちらのチームは、目の前で市長が暗殺されるところを目撃してしまったんです。

ーーそれはもう言葉では言い表せない衝撃でしたでしょうね。監督の身に危険は及ばなかったですか?

パティパン・ブンタリク監督:市長の事は大きなニュースとなって、新聞の一面に報道されました。本当にショックなできごとでした。
市長暗殺の際、側にいたチームからも連絡があって「お互い安全でいられるようにしましょうね。」と話し合いました。
僕も彼女たちも、反対運動に参加しているわけではなく、どちらかに肩入れをした取材を行っていたわけではありません。僕はもうソンクラーから離れていたので、危険が及ぶことはありませんでした。

ーー映画を見たタイ人は、この映画の中に、その事件が反映されていることに気付くのではないですか?

パティパン・ブンタリク監督:その点に気付いた方はごくわずかだったようです。ただソンクラーや、付近の地域の方が見た場合は、その事件を思い出すかもしれませんね。

ーー海洋浸食による環境破壊はソンクラーだけではなく世界的な問題ですよね。護岸壁のドキュメンタリー以降、この映画の制作に入るまで、監督はずっとこの問題を追い続けてきたのでしょうか。

パティパン・ブンタリク監督:そうですね。護岸壁と砂浜の浸食については、この映画のためにさらにリサーチを続けました。ソンクラーだけではなく、タイだけではなく、他の地域や国の状況もリサーチして、本当はこんなものが必要のない場所もありました。
例えば、モンスーンシーズンだけ竹で砂浜を保護するような工夫もできる。砂浜の保護の観点では、道路をもっと内側に移すことも選択肢の一つです。ほかにもっと選択肢があるのに、一つの方法しか取っていないことが悔しい。
残念ですが、護岸壁には企業や政府の利権が絡みます。政府から企業へ大金が動くということは、多くの利益を得ている企業がある。本来必要のない場所にも利権のために護岸壁を造り、さらに利益を得ようとする。その繰り返しが政府の腐敗なんじゃないかと。

 

マジョリティとマイノリティの境目を描きたかったから、ソンクラーが舞台に

ーーこの映画を見て、初めてソンクラーの町の美しさや魅力を知ったのですが、舞台としてソンクラーを選んだ理由は、やはりドキュメンタリー作品を制作した時の思いがあったのでしょうか?

パティパン・ブンタリク監督:護岸壁がタイで最初に作られた場所がソンクラーだったんですよ。それがモデルとなりタイ全土に展開していった。
それから、ソンクラーはタイにとっても、特別な場所です。
僕は今回、少数派のストーリーを作りたくて、ソンクラーを選びました。
タイ全土ではマジョリティが仏教徒でタイ全土ではムスリムは、マイノリティです。でも、タイ深南部と呼ばれるエリアは、ムスリムがマジョリティなんです。その中でもムスリムの女性が声を上げることは、とても大変なこと。
このソンクラーという町がマジョリティとマイノリティの分岐点で、両方の立場から見ることができる場所だし、どちらにも寄らない目線で、ムスリムの女性の声を伝えるには最適の場所だと感じて、ソンクラーをロケ地として決めました。

ーー何度かプーケットに行った時、想像以上にタイのムスリムの女性が、カラフルなヒジャブを着ていることに驚いたんです。タイの場合は中東と比較すると、戒律は緩和されているのかな?と感じていました。

パティパン・ブンタリク監督:タイの場合も、ソンクラーより先の深南部は、黒や暗い色のヒジャブを着用している場合が多いです。ただ、プーケットもそうですが、ソンクラーもそこまで厳しくない。カラフルなヒジャブを身に着けている人は多いですね。

 

ヒジャブの柄や色合いも美しい。1シーン1シーンがアート作品のよう

ーーシャティがヒジャブを身に着けるシーンは凛々しいですね。とてもかっこよく、また美しく感じました。

パティパン・ブンタリク監督:最初のシーンにはその狙いがありました。シャティが外出するときには髪の毛を覆わなければいけない。そういったムスリムの凛とした厳しさも含めて表現したいなって思ったんですよね。

ーーまるでアート作品集のようにワンシーン、ワンシーンが重ねられていく印象だったんですが、監督自身も美術に携わってきたのでしょうか?

パティパン・ブンタリク監督:自分もアーティストとしてこの地域で展示会をしたことがあります。

ーーだから展示会までの行程がリアルで、フォンの行動も自然だったんですね。

パティパン・ブンタリク監督:「美しい」とよくほめていただく映像に関しては、主に撮影を担当する監督がタイ人とドイツ人のハーフの女性で、彼女と共同作業で作り上げたということもあり、彼女ならではのアート感覚や、色彩感覚が取り入れられているシーンがたくさんあります。
ポスプロ(post productionの略。撮影後の素材を加工したり、色彩を調整する行程)では特にカラーグレーディングに力を入れましたね。とにかく海をきれいに見せたくて、その海に行ってみたいと思わせたくて。

ーーあっ!まんまとその思いに引っかかりました!すぐにソンクラーに行きたくなりましたもん!

パティパン・ブンタリク監督:(笑)…良かった!

 

偶然も味方に?猫のしっぽが横切るシーンが印象的

ーー個人的に特に気に入っているシーンが、2人が屋外でロティを食べるシーンがありますよね。遠目に2人を映しているんですが、猫のしっぽが最高のタイミングで横切るシーンがあるんです。あれは偶然だったんですか?

パティパン・ブンタリク監督:(笑)…。実はたまたま猫が通ったんです。邪魔にはならないからと、OKにしたんですよ。
猫もそうなんですが、ソンクラーに住む鳥や猫、犬、猿とか、全ての動物が映画を通して重要だと思って、カメラの担当者には町の物撮りをする際、なるべく動物を撮影してほしいとお願いしていました。

ーー動物って自由で気まぐれだから、宗教や家族、地域、祖母の教えを守るシャティ―と比較すると、考えさせられますね。とても効果的だと思いました。

 

観客の経験がこの映画を完成させる。議論自体も楽しんでほしい

ーーこの映画の面白さは、観客が途中で考えたり、選択しなければいけないシーンが多いという事。もともと、それが狙いだったんですか? 映画を見て、もう何日も経過するのですが、映画は監督がストーリーや結末を決めてくれるものだと思っていたので、未だにモヤモヤしています(笑)。

パティパン・ブンタリク監督:ははは。そうです。意図的に観客が違う解釈をするような作り方をしています。

ーー例えば、フォンは冒頭から、1人の男性のことを考えているのですが、悔しさだったり、懐かしさだったり、表情でしか彼女と男性の関係は伝わってきません。過去に一緒にアートを制作していた、ということだけはわかるのですが、彼女の口から恋人だったのか、片思いだったのか、それともどちらでもないのか、最後まで聞くことはありませんでしたよね?

パティパン・ブンタリク監督:人はそれぞれ過去の経験が異なるじゃないですか。観客それぞれの過去の経験と映像が繋がって、解釈してくれれば良いなあ、と思って。
特にエンディングは人によって2つの見方ができると思っています。ちなみに、ラストはどちらだったと思いますか(笑)?

ーー逆質問ですか(爆笑)!?
あー、実は私は、途中から出てくるシャティのムスリムである婚約者が、とても優しく、可愛らしい素敵な方だったので、シャティは彼と結婚しても、十分幸せになれるんじゃないかなー、なんて、日本版の映画のポスターとは全く違うことを考えて見ていたんですよね(笑)。

パティパン・ブンタリク監督:なるほど(笑)。
実は、上映した時のQ&Aには必ず「結極、エンディングはどうなるんですか?」って聞かれるので、僕は今と同じように逆質問するようにしています。そうすると、答えが半々に分かれるんですよ。
友達や恋人と一緒に映画を見に行ったら、絶対にその議論になります。それがお互いの過去の経験によって変わってくるので、その会話自体が面白いんじゃないかな(笑)?

 

まるでドキュメンタリー?自然な演技の2人の主演女優はどう決めた?

ーーシャティ役のIlada Pitsuwanさんの控えめな感情表現は、本当に自然で、演技をしているとは思えなかったです。こんなに才能ある女優さんを、どのように見つけたんでしょうか。

パティパン・ブンタリク監督:僕は実際にムスリムの方にシャティを演じてほしかったんです。ただそれはとても難しいことです。役を決めるのも大変な事だろうなと感じていたので、最初にシャティ役のオーディションを始めました。
それで彼女が良い、と思ったんですけど、彼女自身も最初は「自分のコミュニティーから何と言われるだろうか?」…と、心配していたそうなんです。でも、彼女自身がシャティを演じることで、ムスリムの女性のリアルな現状を世界に伝えることが大事なんじゃないかな?って思ってくれて、決定しました。

ーーフォン役のRawipa Srisanguanさんも、とってもチャーミングでしたね。

パティパン・ブンタリク監督:フォン役のオーディションは、すでにシャティ役が決まっている状態だったので、オーディションの際にも立ち会ってもらっています。シャティ役の「彼女となら友達になれる」という観点を入れて、一緒にフォン役を決めてもらいました。
その後は、ワークショップで脚本を何度も読んでもらって、2人の声もたくさん聞きました。彼女たちの「こうあるべきじゃないか」というアドバイスも脚本に採用したり、「今日は脚本にないことをやってみよう!」と、好きに演じてもらったり。
そうしているうちに、彼女たちの過去の経験や感情も取り入れられていって、自然な親友同士になっていきました。
脚本については、僕ともう一人の共同脚本家がいるんですけど、それだけじゃない。主演の2人の意見やアドバイスも入っている作品なんですよ。

 

恋愛対象が異性でも同性でも理解できる「人を愛する」自然な導入

 ーー恋愛対象が異性の場合、作品のストーリーが同性である作品を理解することが難しい場合があります。でもこの映画は「性別は関係ない。人間として魅力がある人を愛する」瞬間が自然に入ってきます。よくここまで丁寧に描けるなあ、と、そこにも感動しました。

パティパン・ブンタリク監督:ありがとう(笑顔)。
ワークショップとリハーサルがうまくいった結果だと考えているんです。
一つひとつの出来事で生じる感情を、ワークショップで考えるようにしてもらっていました。
例えば、シャティの家族がお見合いをさせようとしている…その時のフォンの感情は、どうだったんだろうか?シャティの亡くなった祖母の話が出てくる、その時、フォンはどんな思いでシャティの話を聞いていたんだろうか?フォンが泣いている時、2人は既に親友になっている状態なので、親友ならどのように声をかけるのか、というように、本当に少しずつ、少しずつ、小さな感情の動きに注力するようにワークショップを行ってきたんです。
その「少しずつ」の積み重ねがリアリティを生んだっていうことかな?

 

気になるムスリムの方の反応は?

ーーシャティ役のIlada Pitsuwanさんが当初気にしていたように、ムスリムの方の恋愛、特に同性に惹かれる話を描くのは、とても難しいことだと思います。ムスリムの方のリアクションが気になります。

パティパン・ブンタリク監督:この映画を見るムスリムの方たちは、敬虔なムスリムではなく、むしろニュージェネレーションの方が見に来る場合が多いんです。
もし今後、世界中で配信されるようになったら、また違う厳しい意見もあるかもしれませんね。今のところは、ポジティブなフィードバックしかないんですよ。
シャティ役のIladaさんのコミュニティの中でも、とても好評だったそうです。
というのも、ムスリムの女性が声を上げるのは難しいことである、という事実は描いていますが、特にムスリムの方に対し批判的なことは一切描いていません。宗教にとらわれない方と、ムスリムの方、両方の観点から描いているということが、結果として良かったのだと思います。

ーー確かに、ムスリムの方の生活も忠実に描かれていて、魅力的に感じるシーンも多かったです。タイのムスリムの方の生活を覗いたような気持ちになりました。

 

日本で「雪」をテーマの映画を撮ってみたい

ーー監督は、もう次の作品の構想はあるんですか?

パティパン・ブンタリク監督:まだ撮影はしていませんが、プロジェクトは進んでいて、資金集め中です。

ーー大阪アジアン映画祭2024で来日していますが、監督は日本はお好きですか?

パティパン・ブンタリク監督:(満面の笑顔)僕は日本を愛してるんですよ!何度も日本に行っています。特に和食が大好き。
今回の映画について、釜山映画祭で「まるで日本の映画のような雰囲気がある」っていう声をいただいたんです。それもあって『今日の海が何色でも』が日本で公開された時、日本ではどんな反応をいただけるかすごく興味があり、楽しみでもあります。
前回は大阪で上映されたんですが、今回は東京で公開された後、日本全国で公開されるようなので、日本全国の皆さんの声を聞かせてほしいですね。

ーーもし、監督が日本で映画を制作するとしたら、どんな映画でしょう?

パティパン・ブンタリク監督:ふふふ(笑)。自分のコンセプトとして『今日の海が何色でも』のテーマは海、今回は川に関する企画を考えています。3つ目を考えると雪(笑)?これは今、ぱっと思いついたアイディアですけどね。日本で撮影するなら、どこかの山で、雪をテーマに撮影してみたいですねえ。

ーー監督の「雪」がテーマの作品、楽しみにしています(笑)!

パティパン・ブンタリク監督:僕のプロデューサーになってくれたら、ぜひ(笑)

ーーえっ(笑)?そんな大それたことはできませんが、次回作を楽しみにしています。ありがとうございました!

 

 

恵まれた環境で作られるタイ映画だけではない

日本では時々、日本国内での宣伝効果が功を奏し、タイ映画が爆発的に流行ることがある。
過去には『マッハ!!!!!!!!』や『アタック・ナンバー・ハーフ』が大成功例だ。そこまでとはいかなくとも『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』も日本国内で話題となった。
タイ映画は日本ではなく、他国での評価が高く、タイ映画史上初めてカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞した『ブンミおじさんの森』を始め、世界の映画祭に招致される作品や、賞を獲得する作品が多い。ちなみに、最新作でもタイ映画史上初となるアカデミー賞外国作品部門の最終15作品にノミネートされた(最終5作品に残れるかどうかは2025年1月17日に発表)『ラーンマー(英題:How to Make Millions Before Grandma Dies)』など、内容・レベルともに世界的な注目を集めている。

この作品『今日の海が何色でも』も、釜山国際映画祭ニューカレンツ部門で最優秀

アジア映画賞と LG OLED New Currents 賞をダブル受賞するという快挙を成し遂げた。

しかし、日本で全国公開され、そこそこ話題になる映画は、タイの大手制作会社が手掛けた作品で、タイ国内で大ヒットした作品か、エンターテイメント性が高い作品、そして既に日本で人気のある役者や、ベテランの役者が出演しているものがほとんどだろう。制作面の資金が潤沢で、恵まれた環境で制作された作品ばかりだ。
一方で、国際的に評価が高い映画を世に送り出している監督であっても、次作については「資金集めが…」と口にするようなシビアな面もある。
監督が共同監督や共同脚本家、主演の2人を含む俳優たちなどと苦労して制作したこの作品が、2025年1月17日(金)からヒューマントラストシネマ渋谷を皮切りに、日本で順次公開されることになっただけでも、大きな意義がある。
テーマに真摯に向き合い、丁寧な作品に仕上げていくパティパン・ブンタリク監督の作品が、日本で一人でも多くの人に見てもらえることを、願わずにはいられない。

ところで、筆者には資金はない(キッパリ)。誰か監督のプロデューサーになってあげてほしい。

取材・文:吉田彩緒莉(Saori Yoshida/Interview・text)

 

2025年1月17日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

 

今日の海が何色でも

監督・脚本:パティパン・ブンタリク(初長編監督作品)
出演:アイラダ・ピツワン、ラウィパ・スリサングアン
2023 年/タイ/タイ語・南部タイ方言/93 分/1.85:1/カラー/5.1ch/映倫区分「G」
原題:ทะเลของฉัน มคี ลืน่ เล็กนอ้ ยถงึปานกลาง /英題:Solids by the Seashore/日本語字幕:塩谷楽妥

製作:Diversion / 配給:Foggy / 配給協力:アークエンタテインメント

【STORY】
タイの南部の町ソンクラー。かつて美しい砂浜があったが、高潮によって侵食され、現在は護岸用の人工の岩に置き換えられている。その町の保守的なイスラム教徒の家庭で生まれ育ったシャティは親に結婚を急かされていた。しかしシャティは親が決めた相手と結婚させられることに疑問を感じていた。ある日シャティは、防波堤をテーマにした美術展のためにやって来たビジュアルアーティストのフォンと出会い、彼女のサポートをすることに。一見全く正反対に思えたふたりだったが、お互いを深く知れば知るほど惹かれ合っていき……。

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タイ映画「今日の海が何色でも」日本で2025年1月17日(金)より劇場公開

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