08.24
継母は「ボーナスママ」。LiLiCoが考える「血のつながり」だけではない家族のかたち
幼い頃に両親が別れてから母と弟の3人で暮らしていたLiLiCoさん。現在はスウェーデンに住む父の新しいパートナー一家、そして夫であるタレントの小田井涼平さん一家ともつながりを持ったことで、大切な家族が増えたといいます。
世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、LiLiCoさんがホンネで語り尽くす本連載の今回のテーマは「家族」。養子縁組制度が普及し、継父や継母を「ボーナスパパ、ママ」と呼ぶ習慣があるというスウェーデンで生まれたLiLiCoさんが、53歳になった現在の家族観を語りました。
「明るく楽しく、時に厳しい」おばでいたい
両親が別れた9歳以降、子ども時代の私の家族は母と弟のみでした。母は日本人なので、スウェーデンには親戚がいなかったんですよね。私が18歳で日本に渡ってからは、母方の祖母と暮らしていました。
2012年に母が亡くなったあと、父と現在のパートナー一家と出会い、47歳で小田井と結婚。今、私の家族は少しだけ大きなものになりました。
結婚して7年経ち、夫婦関係が変化していくのは面白いですね。嬉しい驚きだったのは、小田井が家で「あのシャンパン冷えてる?」と聞いてきたこと。ほとんどお酒を飲まなかった小田井が、自分から飲みたいと誘ってくれるなんて、信じられなくて、でもすごく嬉しかった。こんなふうに一緒に過ごせる時間がもっと増えたらいいな。
40歳を過ぎて、家族がどれだけ大切なものかがわかるようになりました。さらにコロナ禍を経て、家族と顔を合わせる機会を大切にしたいという気持ちが強まり、今年はすでに2度、兵庫県に住む小田井の家族に会いに行っています。
5月には、小田井と大阪で仕事があるタイミングで食事会をしました。そのとき、フルーツ好きの小田井の母に、母の日のプレゼントとして、めったに行かないような高級店のフルーツを贈ったんです。そうしたら「フルーツよりLiLiCoさんに会える方が嬉しかった」と言ってくれて…家族なんだなと改めて実感しました。
出会った頃に比べて、姪っ子と甥っ子も大きくなりました。18歳の姪っ子は頼もしくなり、今「一年間海外に行きたい」と話しています。
ただ、13歳の甥っ子はまだまだ子どもで、自分の意見をはっきりと言いません。例えばお店で「何を飲む?」と聞いても、ママの顔を見るのです。そんな時、私は彼に「ママに聞いてないよ。あなたに聞いてるんだから、意見を言わないと」と促すことにしています。また普段から「自分の意見を言う練習をしておくと社会に出た時に必ず役に立つ」とも伝えています。
日常的な振る舞いの中から子どもの自立を促すような接し方は、弟から学んだこと。弟家族が日本に来た時、姪っ子が「言葉が分かんないから全然遊べない!」と駄々をこねていたら、弟が「分かろうとしてないから分からないんだよ」と諭していたのです。弟もかっこいいお父さんになったな、と思いましたね。
確かに、言葉を知らない土地でも一生懸命コミュニケーションすれば、徐々に話が通じるようになるもの。私もそうでした。子どもの頃にそれを教えないでいると、海外に行っても「言葉がわからないから」と人とのコミュニケーションを拒む大人になってしまうかもしれません。
だから、私は甥っ子、姪っ子たちにとって、明るく楽しく、そして時に厳しいおばさんでいたいんです。甥っ子、姪っ子たちには自分から話しかけたり、LINEをしたりしています。返事は素っ気ないですけどね(笑)。
「最悪の状況でも楽しもう」
今年は、スウェーデンにもすでに2度帰っています。テレビ番組に出演するなど、現地で芸能活動を始めたこともありますが、一番の理由は、ここのところ具合が悪い父に会うためです。
3月に心筋梗塞で病院に運ばれ、そのまま手術をした父。今は、リハビリをしながら過ごしています。心筋梗塞が起きたことは父自身もショックだったようですが、父は最悪の状況でも楽しく生きようとする人です。私が会いに行ったときも、「見て見て」と楽しそうにハート型の薬を見せてくれました。
それでも父に会うと、つい「あと何回会えるのかな」と考えてしまいますね。知人に父の話をしたら、「私の父も心筋梗塞で倒れたけど、手術してすごく元気になった」と言っていたので、父もそうなればいいなと願っています。
最悪の状況でも楽しもうとするというのは、スウェーデン的な考え方なのかもしれません。例えば、『“さよなら”する時まで』(原題:Live Till I Die/スウェーデン・スイス/2022年)というスウェーデンの公的な老人介護施設の様子を描いたドキュメンタリー映画のなかでは、老人介護施設は「新しい家族を作る場所」「新しいチャレンジをする場所」と表現されていました。
映画の中心人物である99歳の女性の生き方が感動的で、彼女はよりよく生きるため、血行不良で痛む足を切断する選択をするのです。「もうちょっとで寿命なのだから我慢しよう」と考えるのではなく、残り少ないからこそ積極的に生きようとする生き方もあっていいんですよね。
先日、私の好きなスウェーデンのインフルエンサー、ビアンカ・イングロッソさんの祖父が亡くなりました。彼は最期、自宅のベッドで、子どもや孫たちの歌う子守唄が流れる中で息を引き取ったそうです。その子守歌は、彼自身が子どもや孫たちに歌ってあげていたもの。その様子を収めたビアンカさんのインスタグラムの動画を見て、その美しさに大号泣してしまいました。
イングロッソ家は毎年テレビでドキュメンタリー番組が放送されるほどの国民的芸能一家。祖父のハンス・ワーグレンさんも有名俳優ですが、家族をずっと温かく見守っていて、テレビでもインスタでも嫌な顔をしているのを見たことがありません。死に際を美しくできる人は、美しい生き方をした人なのだと思います。
血のつながりだけが家族のつながりではない
父が心筋梗塞で倒れたとき、病院に運んでくれたのは父のパートナーのブリットでした。ブリットと初めて出会ったのは、2012年。父と離婚してスウェーデンで一人暮らしをしていた母が亡くなった後、葬儀で再会した父が現在のパートナーだと紹介してくれました。最初に会った時に「なんて素敵な人だろう」と感激したことは、今でも鮮明に思い出すことができます。
ブリットは、血はつながってないけど大事な家族。彼女が来てから、うちの家族は雰囲気ががらりと変わりました。血がつながっているのは父と弟のみですが、父のパートナーのブリット、その子どもたちとパートナーたち、ブリットの元夫のペッレさんも含め、みんな私の大切なファミリーです。たとえいつか父が亡くなってしまったとしても、ブリットたちとはつながり続けるでしょう。
スウェーデンではいわゆる「継母」のことを、ボーナスママと呼びます。特別に加わったお母さんというような意味で、ポジティブな考え方が表れていて素敵ですよね。
日本にいて不思議だなと思うのは、血のつながりこそが家族のつながりだという考え方があまりに強固なこと。養子縁組制度が広まりにくいのも、その影響でしょうか。制度設計をする人の考え方が古すぎるのかもしれませんね。スウェーデンでは国のサポート体制も手厚く、養子縁組は珍しいことではありません。移民も多いので、親子で肌の色が異なる家族も、幼い頃からよく見かけました。
例えば、誰かが育てられなくなり児童養護施設で暮らす子どもや、親が事故で亡くなった子どもも、家族ができたほうがいいでしょう。一方で子どもを授かれないことで悩んでいる人たちもいるのだから、養子縁組という選択肢が日本でももっと広がってほしいと思います。
現在の家族との関係や仕事の仕方などをあらためて見つめてみると、私は50代になってやっと自分らしく生きられるようになったのかもしれません。
来日した頃の私は、自分に自信がなく暗いスウェーデンの少女でした。でも、憧れていた「明るい女性」を芸能人として演じ続けた結果、本当の意味で自分に自信が持てるようになった。「私は私でしかなく、誰も私の代わりはできない」と思えるようになったからこそ、仕事でもプライベートでも自分らしく人生を歩めるようになった気がするのです。
今年はもう一度、冬に小田井とスウェーデンに帰る予定でいます。すばらしいスウェーデンのクリスマスを家族でめいっぱい楽しんで、2024年を締めくくるつもりです。
(取材・文=有馬ゆえ、写真=川しまゆうこ、編集=若田悠希)
Source: HuffPost