06.25
「ウクライナ侵略を考える~『大国』の視線を超えて」著者、加藤直樹氏に聞く(2) 日本の平和運動の無自覚な「大国主義」
◆日本の平和運動の無自覚な「大国主義」と侵略されたウクライナ不在
ロシア軍の侵攻のなか、絶え間ないミサイル攻撃に直面するウクライナ市民。『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』(あけび書房)の著者、加藤直樹氏は、「侵略というテーマに日本の平和主義・反戦運動は向き合ってこなかった」と指摘する。何が問題なのか。加藤氏に聞く。インタビュー全4回 2/4 (聞き手:玉本英子)
<写真7点>「ウクライナ侵略を考える~『大国』の視線を超えて」著者、加藤直樹氏に聞く(1)「反侵略」の立場から
●「ウクライナ侵攻を招いたのはアメリカの介入やNATO拡大路線が原因」という論調が日本のリベラル系言論人や左翼系潮流によく見られます。加藤さんの著書には、リベラル系社会運動・平和運動が陥った「大国主義」という表現があります。そこでは、日本の近現代史においてアジア諸国に権益を広げるなかで植民地化していったことへの反省や認識不足、それを総括してこなかったとも指摘しています。日本の近現代史をめぐる歴史認識のなかで、何が欠如していたのでしょうか。
加藤直樹氏:
ウクライナ政府がNATO加盟に名乗りを上げたこと自体はもっと前ですが、ウクライナでNATO加盟を求める世論が大きくなり、本格的にNATOに接近し始めたのは2014年以降です。その理由は、ロシア軍を投入してウクライナの一部を切り取ったクリミア併合と、民兵や正規軍が送り込まれた東部への軍事介入です。ウクライナ初代大統領のクラフチュークは「私たちがNATO加盟を目指すのは、ロシアが侵略国だからだ。…力で勝るロシアからウクライナは逃れようとしている」と語っています(真野森作『ルポ・プーチンの戦争』・筑摩選書)。
要するに先に侵略被害があったのです。私は軍事同盟というものをいいとは思いませんが、大国に侵略された小国が軍事同盟に助けを求めることを、小国の側の外交の失敗、あるいは大国への「挑発」であるかのように非難するのは間違っています。圧倒的な強者による加害の原因を、弱者、被害者の対応のまずさに求めるべきではありません。
国際政治学者ミアシャイマーが一時期、左派リベラルといった位置の人たちの間でもてはやされたのも驚きました。ミアシャイマーは世界の各地域を牛耳る大国間の力学に純化して国際政治を理解する学者です。ウクライナはアメリカにとってのキューバと同じだ、ロシアの勢力圏なのだからアメリカは関わるな――という議論がなぜ歓迎されるのか。当惑しました。
「代理戦争」という懐かしい言葉も大手を振って復活しました。冷戦期には、たとえばベトナム戦争なども米ソの代理戦争として見られていたんですよね。そこにはベトナム民衆が求めた民族自決への思いへの理解は薄かった。ただ、ベトナムのときと違うのは、当時、「代理戦争」を強調していたのは主に保守派で、今回は進歩派だということですが。
「代理戦争」論は、一見、戦場となる小国の人びとに同情しているように見えて、じつは大国の視線に同化して、彼らののっぴきならない主体性を動因として見ようとしない議論です。「当事者であるウクライナの人たちは冷静にものが見えなくなっているだろうから、外から介入して停戦させるべきだ」といったSNSの書き込みもいくつも見ました。なんという傲慢さだろう、何事であれ、当事者の運命を当事者以外の誰が決められるというのかと怒りを覚えました。
こうした言説は、ロシアや欧米主要国、そして日本といった歴史的「大国」の人びとの間に根強く存在する無自覚な大国主義の表れだと思います。それは左右を問わないものです。また、日本の平和主義の危うさも露呈したと思っています。
侵略するロシアと、侵略に抵抗するウクライナを、いずれも鉄砲や大砲を撃っているからといって「戦争反対」でひとくくりに批判対象にしてしまう。また、「ロシアの侵略が悪いのは言うまでもないが~」などと、「侵略」という問題を軽くまたぎこして、「もっと大事な議論」に進んでしまう。これもとても問題だと思います。
「ジェノサイドが悪いのは言うまでもないが」「拷問が悪いのは言うまでもないが」と置き換えてみれば、こうした言説がいかに「侵略」という問題を軽く考えているかが分かります。あるいは、本音ではロシアの侵攻を侵略とは思っていない場合もあるでしょう。そうであればそう書かないのは不誠実です。
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