05.21
「座る場所なくなった」東京を問い直す。渋谷キャスト7周年が提示した、都市の「余韻と余白」から生まれるもの。
渋谷キャストの広場には、いわゆる「意地悪ベンチ」がない。そのことに筆者は、広報の一部として関わった「7周年祭」(4/28、29開催)で改めて気付かされた。
「意地悪ベンチ」とは、仕切りがついていて寝そべることができなかったり、形がアーティスティックすぎて座り心地が悪かったり、長居させないような意図を感じる都市のベンチのことを指す言葉だ。「排除ベンチ」と呼ばれることもある。
東京都心は、疲れた時に安心して腰掛け、休憩できるような場所がなくなりつつある。ある地点からある地点へ、最短ルートを効率的に移動したい人に最適化されて設計されているのだと、つくづく感じる。
だから今回、渋谷キャスト7周年祭で、東急株式会社の丹野暁江さんから次のような言葉を聞いた時は驚いてしまった。
「渋谷キャストの広場は、公園ではないですが、お金を全く使わなくてもゆったり過ごせるようにしてるんです。なんの理由もなく『ここにいていいよ』という空間が、今ちょっと東京には少ないですよね。特にグランドレベル(建物の1階)で」
周年祭では、キッチンカーや古着のポップアップショップが並び、傍でアーティストが演奏する、穏やかな時間が流れていた。この唯一無二の空間の背景にあるものを解き明かすべく、丹野さん、そして、今回の周年イベントで総合ディレクターを務めた熊井晃史さんにお話を伺った。
「余韻と余白」がなぜ大事なのか?
渋谷キャストの建築デザインコンセプトは「不揃いの調和」だ。
この言葉の生みの親は、CMFデザイナー(※)の玉井美由紀さん。さまざまな建築家やデザイナーなどが参画するプロジェクトの中で、方向性にまとまりがつかなかった時に出てきた言葉だという。そのコンセプトを、7周年祭ではテーマとして大きく打ち出し、加えて、建築コミュニケーター・田中元子さんの口ぐせから引用し「頼まれなくたってやっちゃうことを祝う」を並べた。
(※)Color(色)、 Material(素材)、 Finish(加工)の頭文字。CMFは産業デザインにおいて製品の表面を構成する要素。
「不揃いの調和」と、「頼まれなくたってやっちゃうことを祝う」。
このテーマのもと組み上げられた周年祭のプログラムは……若林恵さんとtofubeatsさんの「『発注向上委員会』立ち上げ!? 記念トークイベント」、集合写真ワークショップ、空瓶を吹いて鳴らす「アキビンオオケストラ」、ダジャレ100連発、石の魅力を競う「石すもう」などなど、好奇心に駆られ「それって何?」と思わず聞き返したくなるような字面が並んだ。大手ディベロッパーの複合施設にしては商業色が薄いというか、これまでにない感じがする。
周年祭のディレクションを務めた熊井さんに、この二つのテーマの背景にある思いを聞いてみると、「余韻や余白というものが、たぶん、今回の取り組みのけっこう大きなキーワードだと感じています」と語った。どういうことだろうか?
「伝わる / 伝わらない」の手前にある、大事にしたいこと
「渋谷キャストに『意地悪ベンチ』がないことって、すごく使う人への信頼が表れていますよね。夜になると施錠される公園もある一方で、ここは民間の広場ではあるものの、ひらかれつづけている。トイレもつかえるようになっている。朝なんてけっこうゴミが多いし、トイレに粗大ゴミが捨てられていたこともあったそうなんです。この空間をつくり、維持するためにかなり心が注がれているけれど、渋谷キャストははそれも織り込み済みながら運営しているんです。それって素朴にスゴイことですよね」
「今回の周年祭は、『よくわからないテーマだ』という人がいるかもしれないけれど、伝えたいことを一方的に押し付けるのは、あんまり意味がないと思っていて。広場のあり方と一緒で、委ねたいんです。これは、インフォメーションとインスピレーションの違いと似ていて、インフォメーションは『伝わった / 伝わらなかった』のどちらかで評価されるけど、僕らがやりたいのはインスピレーション(を与えること)のほう」
「『問い』を投げかけているような感じなので、それをどう受け取るかは当然人によって違います。その余韻や余白を大切にすることが『不揃いの調和』だと思う」
わからない、という前提に立つ人たちの姿
熊井さんは多くのクリエイターたちに声をかけ、そのクリエイターがさらに多くのクリエイターたちを連れてきた。今回、会場で思い思いの創造性を発揮する彼ら・彼女らを見ていて感じたのは、みな答えのない「問い」に向き合ってるのではないかということ。
出店しているショップから服を選んで身につけ、みんなで集合写真を撮る企画の杉田聖司さん(「apartment」主宰)は、「ファッション業界は今、気候危機などの問題に対してネガティブなイメージで語られることも多いのはわかっているけれど、それでも自分は服に魅入られてしまう。それが何故なのかということを、参加者との交流を通じて、みんなで考えたかった」と教えてくれた。
「『発注向上委員会』立ち上げ!? 記念トークイベント」で、若林さんは、働く人誰しもに関係する仕事の「発注」というものを、実は誰もちゃんと理解していないのでは?という仮説から、新しいメディアの立ち上げを予告した。
いわゆる、「発注あるある」として、感動した発注、その逆のブルシット発注の事例などで盛り上がりながら、最終的には、労働と金銭の交換で成り立つ資本主義の問い直し、経済学、コミュニケーション、文明論にまで話は広がる。発注とは何か、正解はまだ誰にも分からないという前提に立ちながら、既存の社会の枠組みを解体する指摘にハッとさせられたトークイベントだった。
今、この社会では、ビジネスでも日常生活の中でも、最短距離で最大の効果を上げることが常識となっている。「問い」に向き合う時間の余裕も、心の余裕もないのは、日本の経済状況の悪さや、不寛容な空気感も影響しているだろう。熊井さんの言う「余韻と余白」が、どんどん失われていっているのだ。周年イベント全体を通じて、そんな現代の状況に一石を投じんとする意志を感じた。
建物の「水やり」を怠ってはいけない
日々刻々と姿を変える渋谷の街は、都市開発を中心とした経済活動の象徴のようでもあり、負の側面も指摘されている。渋谷キャストのベンチだけが「意地悪じゃない」からといって、全体に与える影響はわずかだと思う。
けれども、ここに人が集まることから生まれる変化は、小さくても確かにあるのかもしれない。
熊井さんは語る。「新しい感性や、新しい意味の捉え方、いろんな試行錯誤が持ち込まれる場所っていうのが、都市の中には絶対必要」「そういう場所に渋谷キャストはなった方がいいし、もっと言うと、渋谷全体がなった方がいい。試行錯誤が持ち込まれなくなった瞬間に、都市文化というものは終わると思う」
東急株式会社では、何年もかけ地域での合意形成を担う開発のチーム、そして丹野さんが所属するような運営を担うチームなど、一つの建築物をめぐっていくつもの部門が携わる。建物を作って終わりではなく、「その中でどんな文化を育むか長期的な視野で検討し続けるのがミッション」だと丹野さんは言う。
渋谷キャストを訪れる人々、入居している企業や住民、関わるクリエイター、そして地域の町会など、丹野さんたち運営部門が巻き込んでいかなければならない人たちは多様だ。
「やっぱり、ちゃんと(建物を)育てていかないといけない。でも、エネルギーもコストがかかるし、『水やり』を怠りがちなディベロッパーさんは多いと思います。渋谷キャストが東京都から預かっている運営期間は70年。7周年ですから、まだまだ10分の1です。今回の周年祭は、プロジェクトに参加してくださった皆さんの『頼まれなくたってやっちゃう』勢いが想像以上で、本当にありがたかった。感動の連続でした」
「託し、託され、互いの想いや願いに呼応する形でそれぞれが想像し、創造した。その集大成が今回の周年祭であったと考えます。時に漏れ出てしまうくらいの熱い想いと創造力を最大限に引き出し、生かすことが出来れば本望です。運営する私たちは引き続き勉強して、『水やり』を継続しないと。そんな決意をまた新たにしました」
(取材・文:清藤千秋 編集:泉谷由梨子)
Source: HuffPost