2024
03.31

改名し、胸を切除して、やっと「自分」になれた。今、彼が語ること

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「しあわせ」という漢字一文字で「幸(こう)」。それが彼の名前だ。

しかし彼は「幸」になる前、人生の半分以上を「美幸(みゆき)」として過ごしてきた。

「自分に素直に生きる」ため、学校でも男子生徒用のスラックスの制服を着られるよう掛け合い、改名し、胸を切除した。 

現在は都内で立ち飲み屋の店主を務め、パートナーと共に暮らす彼は、「今が一番、幸せ」と話す。

(初出:BuzzFeed Japan News 2020年6月27日)

店主を務める立ち飲み屋でインタビューに応じた浜松幸さん店主を務める立ち飲み屋でインタビューに応じた浜松幸さん

「幼稚園の頃から、女性が好きだとやんわり自覚はありました」

浜松幸さん(39)は、幼い頃の記憶をたどり、そう話す。

1984年に東京都・文京区に生まれ、姉と一緒に育った。スカートが嫌いで、幼稚園時代もリカちゃん人形で遊んだことがなかった。

小学校にあがると、「女子は赤、男子は黒や青」と何かと性別で色分けされた。

当たり前のように与えられたランドセルも赤色。「赤いランドセルが嫌で、黒く塗りつぶそうとした」と話す。

周りの女子と違うという「違和感」はあったが、小学生や中学生の時はインターネットもまだ一般に普及しておらず、今のようにLGBTQに関する情報もなかった。その違和感が何なのかがわからなかったという。

「高校生で本格的に自覚するまでは、情報もなかったし、相談相手も本当にいなかった。高校生で自覚した時も、最初は自分はボーイッシュなレズビアンだと思っていました。トランスジェンダーというものの存在さえ知らなかったんです」

自分がトランスジェンダー男性だと気付く前の、当時16才の幸さん(右)自分がトランスジェンダー男性だと気付く前の、当時16才の幸さん(右)

初めて知った「トランスジェンダー」という言葉

転機が訪れたのは高校の時。その頃から、インターネットが一般的にも使われはじめ、掲示板などが流行っていた。そこで他のLGBTQの人たちとつながった。

掲示板には、実際に対面で会う「オフ会」もあり、参加者の大半がレズビアンのオフ会に幸さんも参加した。

そしてその日、1人のトランスジェンダー男性がそのオフ会に参加していた。

高校生だった幸さんはその人物について理解できず、周りの参加者に尋ねた。その時、参加者の説明の中で、人生で初めてトランスジェンダーという言葉を知った。

「『俺、これじゃん』って思いました。だから自分は(当時女性のものだと色分けされていた)赤いランドセルもスカートも嫌だったんだって、今までのことが全部分かった感じでした。自分はボーイッシュなレズビアンじゃなくて、トランスジェンダーなんだって思いました」

浜松幸さん浜松幸さん

当時通っていた高校では女子生徒用のスカートの制服を嫌々着ていたが、「自分は男だ」と気づいてからは、教員に怒られながらもジャージなどで登校していた。

担任教員に「男子生徒用の制服を着たい」と話し、校内のほとんどの教員や教育委員会とも面談し、掛け合ったという。

校長が「もしこれが受け入れられなかったらどうしますか」と幸さんに尋ねた時、幸さんは「学校を辞めます」と答えた。それくらい、本気だった。

数カ月のやり取りの末、「異装届け」という形で書面を提出し、高校3年の夏、男子生徒用の制服で登校することがやっと認められた。

自分で貯めたアルバイト代で新しい制服を買い、男子生徒用制服のスラックスで学校に通い始めた。

友人へのカミングアウトは「人生で一番がんばった日」

浜松幸さん浜松幸さん

高校では、制服について学校と掛け合うなど、行動的だった幸さんだが、中学時代は女子生徒用の制服を着て登校していた。高校でも、友人らにすぐに打ち明けられた訳ではなかったという。

幸さんは、クラスメイトにカミングアウトした日について「人生で一番がんばった日」と話す。

「すごく批判されると思っていた。当時の世の中の情報ではカミングアウトすれば『友達をなくす』と言われていたし、掲示板で知り合った当事者の先輩にも『高校にいる間はカミングアウトしない方がいい』と言われていました」

「誰も『やりなよ』とは言ってくれなかった。でも、うまくいくってどっかで思っていたんです。カミングアウトする日はすごく怖かったし、今いる友達がゼロになってもいいやって思って言ったんです」

すると友人らから返ってきた反応は、幸さんが驚くほどに「超普通だった」という。

「『話したいことってそれ?もうバイトいっていい?』くらいのノリで。こっちは人生をかけて話したのに…と思ったけど『浜松は浜松じゃん』って言ってくれたんです」

幸さんがカミングアウトし、学校でも男性として生活するようになった後、レズビアンやバイセクシュアルだとカミングアウトする生徒もいた。

父親は「お前の人生だから」と受け止めてくれ、家族からも「否定されることはなかった」。

俺は「幸」。高校生で決意した”改名”

改名した後の「幸」という名前の命名書改名した後の「幸」という名前の命名書

学校でカミングアウトし、自分がトランスジェンダー男性だと気付いてからは、「美幸(みゆき)」という名前も「変えたい」と思い始めた。

「元の名前と全く違う名前も考えていたけど、名前は人生で最初にもらうプレゼント。おばあちゃんや両親が考えてくれた名前から『幸』の漢字をもらって、『コウ』と名乗ることにしました」

「学校でも幸と名乗っていて、親もそう呼んでくれました。親戚にも、親が『これから幸なので』と言ってくれていたのを覚えています」

そのようにして高校生から「幸」の名前を使い始め、2009年、24才で正式に戸籍の名前を「幸」に変更した。

戸籍での名前を変更した日のことを、幸さんは「リ・バースデー(Re Birthday)」と呼ぶ。

「幸」という名の自分が、戸籍上でも改名をして、公的な手続きを通して改めて生まれた日、という意味だ。

「改名したことをSNSに書き込むと、コメントが止まらず、メールや電話をくれる人もたくさんいて。自分よりも喜んで、代わりに泣いてくれた人がいました」

その日は、友人らが自宅に花束やケーキを持って集まり、一緒にお祝いをした。

それ以来、幸さんは毎年、自分が生まれた日と「幸として生まれ変わった」2つの誕生日を祝っているという。

「自分は幸」。決意した乳房の切除手術

改名をした後、さらに「自分は幸なんだ」という自覚が高まっていき、学生時代からずっと悩んできた乳房の切除手術を決意した。

「それまで毎日、胸を目出させなくするベストのようなものを着て生活していました。胸がEカップと大きくて、胸をつぶして生きていました。白いTシャツも着れなかった」

当時働いていた飲食店で、オペのために1カ月の有給休暇を取りたいと申し出たが、叶わなかったので、その仕事も辞めて手術に挑んだ。

病院にも頼み、オペ中の様子を友人のカメラマンに撮影してもらった。

友人のカメラマンは、幸さんが悩み抜いてやっと決意した手術に立ち会い、その瞬間を撮影する時には「カメラを持つ手が震えた」と言っていたという。

オペ中の幸さんオペ中の幸さん

全身麻酔をしてのオペ。術後は、とにかく痛みがひどく、胸だけでなく腕を動かす動作など全てに痛みが伴うため、食事も自分でまともにとれないほどだった。

しかし、ずっと悩んできた胸がなくなったことは、嬉しくてたまらなかった。

戸籍の性別を変えない理由

現在、幸さんはパートナーの美樹さんと一緒に暮らしている。

美樹さんと知り合ったのは、参加していたミュージカル。公募で集まった年齢や職業、性別、国籍など、異なるバックグラウンドをもつ100人が、100日間でミュージカルを作るという、NPO法人「コモンビート」での活動で出会った。

交際を経て2016年10月に「プロポーズ」。その場に呼んだ友人70人に祝われ、「もうその場が結婚式みたいだった」と振り返る。

パートナーの美樹さんと幸さんパートナーの美樹さんと幸さん

幸さんは戸籍上の性別を男性に変えていない。背景には、「性同一性障害特例法」に定められている、性別変更のための要件があった。

生殖能力をなくす手術を受ける必要があるとする「生殖不能要件」というものだ(最高裁は2023年10月、「生殖不能要件」は憲法に違反すると判断)。

幸さんは「手術にもお金がかかるし、痛いのも嫌だった」と話す。

20代でホルモン治療もしたが、幸さんの場合は副作用が強く、2週間に一度、通院するのも大変で数カ月で辞めた。

「一般社会に『普通に』いることが役割」

カウンターに立ち、接客する幸さんカウンターに立ち、接客する幸さん

幸さんはこれまでにも、講演会や出張授業でトランスジェンダー男性としての経験を話す機会が多くあった。

しかし、最近はそういった活動からは遠のいている。「需要があるみたいだから、またトークライブでもやろうかな」と言う一方で、「一般社会に普通にいることが、自分の役割」とも話す。

「自分は普通にみんなの周りにいることが役割だと思っています」

接客をする幸さん接客をする幸さん

2019年10月には、杉並区阿佐谷に立ち飲み居酒屋をオープンし、店長として日々カウンターに立つ。

「講演とかの活動をしている時は、LGBTQに興味がある人に出会う方が多い。『役割』の違いだけど、一般社会の中に普通にいたら、トランスジェンダー男性が近くにいることが普通になるかなと思っています」

取材後、立ち飲み店にやってきた常連客に幸さんは「俺以外に周りでLGBTQの人っている?」と尋ね、常連客は「いないかも」「いるのかもしれないけど幸さんしか知らない」と答えていた。

幸さんは、語る。

「友人にとって、自分は初めて出会うセクシュアルマイノリティかもしれない。だから、その時に『普通じゃん』って思ってもらうことが大事。それが自分の役割だと思うし。そうしたら、LGBTQに対する差別や偏見とかもなくなるかなと思っています」

(取材・文=冨田すみれ子)

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Source: HuffPost