2024
03.18

LGBTQ当事者を「便利使い」しないために。杉咲花さんと若林佑真さんらが映画『52ヘルツのクジラたち』で挑んだ課題と希望

国際ニュースまとめ

性的マイノリティを描いた作品が、マジョリティを感動させるための「便利使い」になっていないか――。

この問いに、スタッフ・キャスト全員で向き合った作品がある。映画『52ヘルツのクジラたち』だ。

中でも、主役の三島貴瑚を演じた俳優の杉咲花さんは、トランスジェンダー当事者を置き去りにしない作品にするため、制作から宣伝に至るまで心を砕いたという。  

本作では、志尊淳さんがトランスジェンダー男性の岡田安吾を演じている。監修を務め、自身もトランス男性で俳優の若林佑真さんは、杉咲さんに「助けられ、心を守られた」と話す。

杉咲花さんと若林佑真さん杉咲花さんと若林佑真さん

杉咲さんはなぜ、トランスジェンダー当事者が偏見なく描かれる作品にするために尽力したのか。若林さんとの対談で、作品にかけた思いを聞いた。 

監督、主演が「一人でも多くの観客に居場所を見つけてほしい」という願いから生まれた空気感

ーー今回の作品では、杉咲さん自らLGBTQ+インクルーシブディレクターのミヤタ廉さんを招き、脚本の推敲からPRに至るまですべてに関わったそうですね。

杉咲 実は、三島貴瑚役のオファーをいただいた時にお受けするかどうかとても迷っていたんです。

『52ヘルツのクジラたち』は、多くの痛みが描かれている作品で、見てくださる方の中には、きっとたくさんの同様の経験や困難に直面している当事者がいらっしゃると想像していました。

中でも性的マイノリティの方々は、これまで作られてきた映像作品の中で数々の痛みを背負わされてきたと思います。

そして本作においても、やはりとても繊細な領域に踏み込んだ表現があって。当事者をめぐる表現において、そういった歴史があることを踏まえたうえで、なぜこの時代にこの物語が届けられていくのか?そのことについて考えると、正直なところ、最初は自分の中に、オファーをお断りするという選択が浮かびました。

とても残念なことに、社会の性的マイノリティをとりまく状況は、同性婚や法的な性別変更の要件などにおいても、平等と言える制度はまだ用意されていないことが現実です。

けれども佑真くんをはじめ、さまざまなプラットフォーム等を通して私が触れている当事者の中には、自分と同じように目標に向かって歩んで、誰かを愛し、愛されて、日々を力強く営まれている方も少なくないように感じています。

しかしその反面、今現在もトランスジェンダー当事者をはじめとする性的マイノリティの方々が、日常生活のなかで、差別や偏見の眼差しを向けられてしまうことも現実にはあると思っていて。

そのことについて、私はやっぱり見過ごせない気持ちがありました。物語を通して、社会からいないものとされている存在を可視化することや、その人の尊厳を否定するような侮蔑的な行為をはじめとする、物語の中で描かれる悲劇描写に対してNOを表明することも、映画のひとつの役割なのではないかと思ったんです。

だからこそ、性的マイノリティの偏見を助長するような表現はあってはならないと、当事者や有識者といった多角的な視点からのご意見を大切にしながら、誠心誠意ものづくりをしていきたい気持ちがありました。

その率直な思いを、時間をかけて監督やプロデューサーに伝え、対話を重ねていきました。すると、ある日対話の過程で、成島監督が「作品をより深めていくために、思ったことを素直に共有していきましょう」と言ってくださったんです。

一人でも多くの方々の居場所が増えるきっかけになるような作品づくりを目指すことができるのなら、私にも、少しは力になれることがあるのかもしれないという祈りのような気持ちで、この映画への参加を決意しました。

そこから、監督だけでなく、制作、監修、俳優の垣根を超えて、多くの制作陣と何度も集まり、議論を重ねていきました。そういった場で佑真くん(若林)ともたくさん話し合いをしたんだよね。

若林 うん、そうだったね。今の言葉で花ちゃんがいかに監修として入った僕やミヤタさんの立場を尊重してくださっていたかは、感じていただけたかと思います。僕の場合は脚本を仕上げる初期の頃から監修として関わっているのですが、監督も対話を大切にしてくださる方でした。

例えば、最初の脚本では、トランスジェンダー男性であるにもかかわらず、あえて「レズビアン」といった女性同士と誤認させ、ミスジェンダリングするようなワードが出てきている部分もありました。

監督にセリフカットや変更を打診した際、最初は意識をすり合わせるのが難しく、すれ違いもありました。ただ、監督ですから、僕の提案を取り入れないことも選択できる立場ですが、僕がカットが必要だと思う理由に耳を傾けてくれたのはすごく大きかったです。

それでも、時には監修としての意見を理解してもらうのが難しい時もありました。

そういう時に、主演の花ちゃんが「何でも言ってください、全部共有してください」と率先して声をかけてくれたことが何より大きく感じました。

僕は監修ですが、周りが「その修正は必要ある?」という反応だと、強く言いにくい立場でもあります。

そういう時に、花ちゃんが言いやすい環境を作ってくれたことで心が守られたし、その姿勢があったから、色々な人が「それならば」とついてきてくださったと感じています。

淳ちゃん(志尊淳さん)も僕に「遠慮しないで気になることは全部伝えて」と言ってくれましたし、僕も彼に疑問点をとことんぶつけてもらい、彼の言葉を借りるならば「二人三脚」で安吾を作り上げました。

監修として入ったこの現場に2人のような、強力な「アライ」がいてくれたことは、本当にすごく心強かったです。

「トランスジェンダー」というアイデンティティはネタバレ要素ではない

――作品を作っていく中で、志尊さん演じる安吾がトランスジェンダー男性であることをどの段階で伝えるべきかという議論もあったそうですね。

若林 最初の脚本では、安吾がトランスジェンダーであることは最後の方にわかる展開でした。

ただそれだと、マジョリティが驚くための「トリック」になってしまうという懸念がありました。映画化されるにあたって、当事者として、淳ちゃんが演じた安吾という生身の人間の心情に注目していただきたいという思いがありました。

それに、みんなで丁寧に作り上げてきた作品なので、早い段階で伝えても作品の魅力が損なわれるとはまったく思いませんでした。

ただ、映画は最初の動員数がとても大事です。「たくさんの人たちに見てもらうために、トランスジェンダーであることを最初に伝えない方がいいのでは」という意見が出た時、なんとも言えない悲しい気持ちになりました。世の中でトランスジェンダーという属性がノイズと捉えられてしまう現状を目の当たりにして、自分の意見を主張することにもためらいを感じてしまいました。

その時に、花ちゃんや淳ちゃんが「最初から伝えたほうがいい」と後押しをしてくれたのが、とても大きかったです。

印象的だったのは、花ちゃんがただ「絶対その方がいいです。それでいきましょう」と言うのではなく、監督やプロデューサー、宣伝部や俳優のみんなで「対話をしましょう」って言ってくれたんです。

改めて、花ちゃんはあの時、どうして「対話しましょう」って言ってくれたの?

杉咲 批判や炎上を恐れて、対処するのではなくて、作り手の一人一人が「なぜその選択を取った方がいいのか」を腑に落としていかなければいけないと思ったんです。そうじゃないと価値観のアップデートはできないし、この先の物作りに気付きを反映していくことができないと思ったから。

みんなそれぞれの立場で、この映画をより多くの人に届けたいと思っているわけです。

だからこそ、お互いに「自分はこう思うけれど、相手はなぜそこを懸念してるのか」と相手の意見にも耳を傾けて、ベストな落とし所を見つけていく時間を大事にしたかったんです。

脚本が更新されていく度に、原作の町田そのこさんにもチェックをして頂きました。

若林 町田さんにも「私では想像しきれない部分を作ってくれて良かった」と言っていただき、とてもありがたかったです。

当事者役は当事者が演じるべき?

ーーそうやって全員が参加することで、次へとつながる道をつくったのですね。今回の作品作りで気づいたことや、今後への課題があれば教えて下さい。

若林 まず、トランスジェンダーなどクィアな人物が登場する作品は、作中の当事者たちが悲劇に見舞われることが圧倒的に多いという点です。

性的マイノリティの当事者たちも、他の多くの人と同じように、つらいこともあれば幸せなこともたくさんあります。不幸だけじゃない、色んな生き様が描かれた作品が出てきたらいいなと思います。

あとは、トランスジェンダー役を、当事者が演じる機会が少ないという問題です。

僕は2022年にテレビ東京のドラマ『チェイサーゲーム』にトランスジェンダー男性役で出演しました。

そのドラマを見た当事者の人から、自分も「俳優になりたかったけどなれないと思っていました」という声をいただいたんです。「自分はトランスジェンダーで、できる役がないから役者はできないと諦めていたけれど、トランス男性役として出演している僕を見て、驚きました」というものでした。

そのメッセージを見て、「目指すことさえ諦めてしまっているんだ」と驚くとともに、当事者役として出演することの意義も強く感じました。

杉咲 私も当事者が活躍できる場が、なぜこうも少ないのかということを、映像作品に関わってきた一人として見つめ直したいと考えています。

今回、まだ安吾役が決まる前、制作チームに「当事者が演じることは視野に入っているのでしょうか」とお聞きしたことがありました。その回答は「大きな規模で上映されるものだから、キャリアや実績がとても大切になってくるんです」というものでした。

確かに配役は動員につながることでもあると思うので、理解もできたんです。しかしそれならば、なぜ“キャリアや実績のある俳優”のなかに当事者が含まれていないのかということについて、私たちは考えなければいけない。

それは当事者に実力がないからではなく、当事者が活躍できる場が用意されてこなかったからで、映像業界や社会の側の問題だと痛感するんです。

そのことを無視して「キャリアや実績が大事」と言い続けていたら、いつまでも活躍できる場なんて増えていかないですよね。だからこそ、当事者の俳優がより活躍できる場を積極的に増やしていくことを強く願っていますし、この先も自分にできることを探していきたいです。

しかし、本作で志尊さんが演じた安吾は本当に素敵でした。

それはやっぱり、佑真くんと二人三脚で安吾という人物造形を深く掘り下げていったからだと身に沁みて感じます。

そして、批判を受けることも覚悟したうえで、自分が演じる意味について葛藤した末に、安吾という役を引き受けた志尊さんに対して、敬意を抱いています。

当事者の声を反映していくことは本当に⼤事なことで、⾃分たちが作品を作る上で重要な視点を⾒落とさないためにこそ、関わっていただくことを怠ってはいけないと私は思います。

そしてもう一つお伝えしたいのは、先ほどもお話したように、本作では人の痛みを描くなかでとても繊細な領域に踏み込んでいて、センシティブな表現も含まれているので、受け手がそれを把握したうえで映画を見る/見ないの選択をできる環境づくりを目指しています。

本作をなるべく安全な形で観ていただくために、オフィシャルサイトではトリガーウォーニングのページが設置されていますので、気になる方は、そちらもチェックしていただけたら幸いです。

若林 このトリガーウォーニングの他にもパンフレットに性的マイノリティの用語集があるのですが、どちらも花ちゃんの発信で作られたものです。

なぜ花ちゃんはここまで寄り添ってくれたり、色々考えたりしてくれるんだろうって思っていたのですが、ある時「今まで作品で傷つけられた経験がある人に、もう少しだけ作り手のことを信じて欲しいと思っている」と言われて、その姿勢にすごく感銘を受けました。こういう思いを持った人がエンタメ界にいらっしゃるのが希望だと感じています。

杉咲 当事者が映画館の扉を閉められた感覚になってしまうような物作りを避けたい一心でした。今の自分たちにできる、力の限りを尽くしてきたつもりです。それでも、本作に対するご意見はさまざまにあるはずで、議論が生まれることも想像しています。

私は、この映画が時代が進むなかで“乗り越えられていく”映画になってほしいと思っていて。いつの日か見返した時に「まだここで悩んでいた時代があったのか」と人々に思われてほしいんです。このような悲劇が語られることのないように。本作は、そのために作られた映画なのだと信じています。

そして本音を言うならば、作品を通して一人でも多くの生活者たちに物語を届けたいという願いがあって。できることなら、この先はもっと、すべての人の人生が祝福されるような物語がつくられていくことを願っています。

その過渡期にある作品として作られた本作が、見る人それぞれに、自分の姿を投影できるような作品になっていたとしたら。

それはやっぱり、この映画が生まれた意味があったのではないかと思います。

(取材・文=吉野和保、写真=川村直子、編集=安田聡子)

【用語集】

トランスジェンダー:出生時に割り当てられた性別と性自認が異なる人

トランスジェンダー男性:出生時に割り当てられた性別が女性で、性自認が男性の人

レズビアン:出生時に割り当てられた性別または性自認が女性で、性的指向が女性に向いている人

出生時に割り当てられた性別:生まれた時に医師やそれに準じる職業の人が、その子どもの外性器を主な基準に男女どちらかにカテゴリー分けした性別のこと

性自認:ジェンダー・アイデンティティ(gender identity)の日本語訳で性同一性と訳されることもある。自分がどのような性別の存在で生きていくか、自分自身がどのような性別であるか自己認識する中で形成されていく性に関するアイデンティティ

性的指向:セクシュアル・オリエンテーション(sexual orientation)の日本語訳。恋愛、性愛の対象がどのような性別に向いているかを示す概念

ミスジェンダリング:本人が自認する性と異なる取り扱い、接し方をすること

アライ:英語の「同盟、支援」を意味するアライ(ally)が語源。性的マイノリティへの理解、支援する人を指す言葉で、どんなジェンダーやセクシャリティの人でも表明できる

クィア:もともとの英語(Queer)は“奇妙な”“風変わりな”という意味で、かつては性的マイノリティへの蔑称として使われていたが、現在では「ふつう」とされる性のあり方に当てはまらない人を包括的に表す言葉として使われている

トリガーウォーニング:フラッシュバックに繋がる/ショックを受ける懸念の描写がある場合の事前の注意書き

アウティング:本人の性のあり方を、同意なく第三者に暴露すること

ヤングケアラ―:本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこども(こども家庭庁サイトより https://kodomoshien.cfa.go.jp/young-carer/about/

児童虐待:親や親に代わる教育者などが子どもに対して行う身体的・心理的・性的虐待及びネグレクト(認定NPO法人児童虐待防止協会サイトより https://www.apca.jp/about/childabuse.html )

DV(ドメスティックバイオレンス):配偶者や恋人など親密な関係にある、又はあった者から振るわれる暴力(男女共同参画局サイトより https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/dv/index.html

同性婚:法律上同性どうしのカップルの結婚。婚姻の平等

法的な性別変更:性同一性障害特例法にのっとり、法律上の性別を変更すること。2名以上の医師による診断に加え、5つの要件が課せられている

『52ヘルツのクジラたち』

【ストーリー】ある傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家に移り住んできた貴瑚。虐待され「ムシ」と呼ばれる少年との出会いが呼び覚ましたのは、貴瑚の声なきSOSを聴き救い出してくれた、今はもう会えないアンさんとの日々だったー。

出演:杉咲花 志尊淳 宮沢氷魚 小野花梨 桑名桃李/余貴美子 倍賞美津子
監督:成島出/原作:町田そのこ「52ヘルツのクジラたち」(中央公論新社)
主題歌:「この長い旅の中で」Saucy Dog(A-Sketch)
2024年|日本|カラー|ビスタ|5.1chデジタル|136分|配給:ギャガ
©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会
公式ホームページ:https://gaga.ne.jp/52hz-movie/

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Source: HuffPost