2021
08.25

経団連と文科省が動き、日本のSDGsが本格化し始めた

国際ニュースまとめ

<2015年に国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)だが、日本で潮目が変わったのは2017年。いま未来へ向けたさまざまな努力が重ねられており、世界をリードするような企業も生まれ始めている。Think the Earthの上田壮一理事に聞いた> ニューズウィーク日本版では、8月24日発売(8月31日号)の「日本を変えるSDGs」特集で、大企業から自治体、ベンチャーまで、日本のさまざまなSDGs事例を取り上げている。 最近話題に上ることの多いSDGs(持続可能な開発目標)だが、なぜ今、関心が高まっているのか。 2001年からサステナビリティー(持続可能性)分野のコミュニケーションを中心に活動してきた東京のNPO、Think the Earth(シンク・ジ・アース)の上田壮一理事に話を聞いた。 ――日本で今、SDGsへの関心が爆発的に高まっている。 SDGsは2015年に国連で採択されたが、2017年ぐらいまでは、日本ではあまり知られていなかった。 2017年に経団連が(企業の遵守するべき規定とする)企業行動憲章を改定してSDGsを盛り込み、日本企業の動きが本格化し始めた。 同じ2017年、文部科学省が「持続可能な社会の創り手」という文言を学習指導要領の改訂で前文に採用した。小学校では20年度から、中学校では今年度から、SDGsを扱う教育が実施されている。 副読本ではそれより前から採用されていたが、教科書ではこのタイミングから。国語、理科、社会、英語と、いろいろな教科にSDGsが出てくるようになった。 2015年に採択され、少しの遅れがあったが、今は多くの人に知られるようになった。朝日新聞などの調査で、SDGsの認知度はもう半数(50%)を超えている。特に若い人たちの間での認知度が上がっているが、学校で教えていることが大きい。 そもそも、2015年の国連での採択は「奇跡」だったと思っている。 石油ショックの頃、1972年に(シンクタンクの)ローマクラブから『成長の限界』という報告書が出て、このまま経済成長を続けたら人間社会は限界に達するという話になった。同年、国連が初めて人間環境会議という会議を開催した。 その後、92年に地球サミットがあり、97年に京都議定書、2010年には(第10回生物多様性条約締約国会議で合意された)愛知ターゲットが採択された。2002年、2012年にも地球サミットが開催された。 その間、地球温暖化がどんどん進み、2001年には(米同時多発)テロがあったり、先進国でも格差が広がってきたりと、社会的にも環境的にもこのままだとまずいんじゃないかと、ずっと言われてきた。 しかし、それは個々の専門家が言ってきたことで、一般の人には切実さが伝わっていたとは言い難い。2015年に「持続可能な開発」という概念が専門領域を超えて、一つの文書として、あらゆる国が合意したことが非常に大きい(注:国連の全加盟国193カ国が合意した)。 ===== 起点が違う、日本はヨーロッパと25年の差がある ――それから6年がたち、日本でもついにSDGsが動き始めたと。ヨーロッパなどに比べて遅れているという声もあるが、その差はどこにあるのか。 以前にヨーロッパを取材したときに感じたのは、特にエネルギーと環境に関しては、1986年のチェルノブイリ(原子力発電所事故)が大きいということだ。 言ってみれば、すぐ隣でメルトダウンが起きた。今後、原発に頼っている社会はまずいぞという感覚。取材に行くと、86年を起点に話す人がとても多かった。 あれ以来、ヨーロッパでは環境(問題の議論)が活発になったようだ。市民が起ち上げた「緑の党」をメディアがすごく応援したという話も、ドイツの研究者から聞いた。 チェルノブイリ事故があったとき、僕は学生だった。日本でも大ニュースだったと記憶しているが、直接何かが降りかかってくるわけではないし、やはり距離が遠い。 そういう意味で言えば、再生可能エネルギーに日本が関心を持ち始めたのは、(東日本大震災のあった)2011年以降だ。ヨーロッパとは25年の差がある。 ――人々の行動を変えるという意味では、政策の影響力も大きいように思う。日本では例えば、昨年7月のレジ袋有料化が大きかったのではないか。 やはり、お金に関わることほど大きな影響を与える。それでみんながちゃんと考える、選択するようになる。 以前、スウェーデンを視察した際、あらゆることで選択肢を示され、非常にうまいなと感心した。選挙も選択行動の1つだが、例えばスウェーデンでは投票率が90%近くあり、合理的な選択ができる社会だ。 それだけでなく、魚など食品に「持続可能な方法で作られている」と示す認証のマークがあり、スーパーマーケットでは認証付き食品はコーナーが分かれて陳列されていたりする。持続可能かどうか、価格はどうか、それを比較して(消費者は)選ぶ。 スウェーデンにあるMAXハンバーガーというファストフードに行くと、ハンバーガー1つ1つに、価格とカロリーとCO2(二酸化炭素)排出量が書いてあった。カロリーを気にする人はカロリーで選べばいいし、価格を気にする人は価格で選べばいいし、環境を気にする人はCO2で選べばいい、という考えだ。 スーパーには瓶や缶を(リサイクルのため)返却できるボックスがあって、そこに瓶をごろりと入れると、日本円でおそらく20円程度が戻ってくるという仕組みになっている。黄色のボタンと緑色のボタンがあり、黄色を押すと自分に20円返ってくるけれど、緑色を押すとその20円が例えば途上国支援をしているNPOに寄付される。 市民が決めることが前提になっていて、政策でもビジネスでも常に選択肢を示して、人々の心理を誘導していくことに長けていると思った。市民社会が成熟している。 日本は残念ながら、そこが欠落している。今のコロナ対応を見ていてもそうだが、政治が国民に合理的な選択肢を示さず、人々のモラルに頼ったメッセージが多い。 コロナや気候変動も含め、サステナビリティーに関することはリスクの問題であり、リスクに対しては科学的、統計的な知見に基づいて判断したり、議論したりする土壌が必要で、そのためにはやはり教育が大事。市民が主語でディスカッションできる人がどんどん社会に出ていかないといけないと思う。 ===== 未来をつくっていくのは常識を覆すアイデアだから ――教育で言えば、上田さんのThink the Earthは、2018年に『未来を変える目標 SDGsアイデアブック』(監修・蟹江憲史〔慶應義塾大学大学院教授〕、マンガ・ロビン西、紀伊國屋書店)を出されているが、あの本のターゲットは子供ですね。 学習指導要領が(2017年に)改訂され、それが実施される前に、先生たちが先行して勉強し、授業ができるようにしようと本を作った。 学校の先生が本を使ってSDGsの授業をしてくれたら、それを他の先生が真似できるように共有したり、あるいは、パーム油の(原料となるアブラヤシ農園が生態系破壊の原因になっている)課題があるボルネオ島に先生と子供たちと一緒に行くスタディツアーを、コロナ前には毎年実施したりして、教育分野でお手伝いをしてきた。 企業や行政、クリエイターなどとさまざまなプロジェクトを遂行してきたが、近年は教育関係者と仕事をすることが多い。 文科省が「社会に開かれた教育課程」を目指すようになった。今までは学校は教科に閉じている印象があったが、教科を超えて連携し、もっと社会とつながっていこうと。持続可能な社会なんて、まさに教科を超え、社会とつながらないと学習できないような内容だ。 先生たちのニーズとしては、いま企業やNPOが何を考えているか、生産者たちが何を考えているか、そういう社会課題、環境課題の現場の声を聞きたくなる。そうすると、われわれのような中間型のNPOも役に立つことができる。 「微力だけど無力じゃない」という言葉があるが、最近はその微力を差し向ける先を、僕らは教育にしようと考えている。結果が出てくるのは10年、20年先になるけれど。 ――『未来を変える目標 SDGsアイデアブック』では、事例が多く紹介されていて、それが興味深かった。 SDGsは、目標5の「ジェンダー平等を実現しよう」にLGBTQへの言及がないとか、目標7の「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」に原子力への言及がないとか、抜け漏れもあるようなゴールだ。これを土台にして、さらに良い社会に向けて枠組みがつくられていくと考えている。 (SDGsの文書に)書いてあるのは大まかな課題と数値目標だけ。解決策は書かれていないので自分たちで考え、行動しなければならない。しかもこれまでの常識にとらわれていては解決しない複雑な問題だらけ。こうした問題の解決って、現場での試行錯誤の中でつくられていくものだと思う。 だから本を作ったときも、概念の紹介は短くして、事例で知ってもらいたいと考えた。それも単なる事例ではなく、アイデア。未来をつくっていくのは、今まで思いも付かなかったような常識を覆すアイデアだから。 ===== 石油を繰り返し使う日本環境設計「BRING」プロジェクト ――事例、アイデアということでは、いま日本で行われている環境分野の取り組みでは、例えばどんなものに注目しているか。 経済とつながった例を1つ挙げると、日本環境設計(2007年創業、神奈川県川崎市)が推進しているBRINGというプロジェクト。服から服を作っている。 ポリエステルを、石油の状態まで戻して、そこから再びポリエステルを作るというケミカル(化学)リサイクルの技術を持つ会社で、福岡に工場を持っている。川崎でペットボトルからペットボトルを作る、リサイクルPET樹脂の製造もスタートさせた。 ケミカル・リサイクルのコンセプトはつまり、(ポリエステルの原料となる)石油を何度も繰り返し使うサーキュラー・エコノミー(循環型経済)を実現すること。もう地下から掘るのはやめましょう、地上にあるポリエステルを回収して、何度も繰り返し作り直す。まさに解決策です。それを世界の中でもリーダーシップを持ってやっていらっしゃる。 技術を開発しただけでなく、(洋服などの)回収ポイントを10年以上前から、100社以上と組んで設けてきた。そういう社会的なシステムもデザインしている。 今年2月にはJALが古着25万着から製造したバイオジェット燃料で東京―福岡便を飛ばしたが、あれにも日本環境設計の技術が生かされている。つまり、要らなくなった服で飛行機を飛ばそう!という夢をつくった。単純にリサイクルをやるのではなくて、そこに夢をつくる。そういうコミュニケーションデザインが天才的だと思う。 こうした事例やアイデアから若い人たちが――そして大人も――学んでほしいのは、サステナブルな社会の実現は、何かを我慢してたどり着くのではなく、ポジティブでクリエイティブな挑戦をし続けることによって到達するんだ、ということ。 若者にしかできない発想やフットワークをフルに使って、経験やネットワークのある大人たちと対話をしながら、これまでにない未来をつくり出すことができる時代なんだと思ってほしい。

Source:Newsweek
経団連と文科省が動き、日本のSDGsが本格化し始めた