02.13
「家なき人」と一緒に傷つき、怒り…。「SOSが途切れない」現場から見えた“やさしくない日本社会”と、居場所作りの意味
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弱い立場の人たちを直撃したコロナ禍。その後、状況は変わったか? 最後の砦であるはずの福祉行政は多くの人の命と生活を守るようになったか?
2023年12月に刊行された『家なき人のとなりで見る社会』(岩波書店)は、そう問いかける。
生活困窮者の支援を行う一般社団法人「つくろい東京ファンド」スタッフの小林美穂子さんは同書で、「家なき人のとなり」から見えてきた日本社会について綴った。
「家なき人に、社会はそんなに優しくない」
同書は、小林さんがウェブメディアに寄稿してきた連載『家なき人のとなりで見る社会』を書籍化したものだ。
「つくろい東京ファンド」がサポートしている人たちの生活保護申請への同行や生活相談、同法人が運営するカフェ潮の路での出来事が綴られている。
『家なき人のとなりで見る社会』というタイトルには、小林さんの「当事者の方のとなりで見ているものを書く」という思いが込められている。
路上生活者、ネットカフェやシェルターに身を寄せる人々など、様々な状況にある人たちの隣で、「一緒に傷ついたり、怒ったり」。
しかし、生活保護申請の同行や、相談に乗って感じたのは「家なき人に、社会はそんなに優しくない」ということ。
「生活保護申請に同行していると、彼らはすごく粗末に扱われることを、隣にいることで初めて知りました」
世間の偏見の目も気にして「生活保護だけは…」とどうにか試行錯誤するも生活が成り立たず、やっとの思いで申請へ。しかし、福祉事務所の酷い対応に心が折れてしまう人たちの経験も同書では綴られている。
制度を必要とする人たちがきちんと利用できるよう、小林さんたち、つくろい東京ファンドのスタッフは、生活保護申請に同行している。
誰かのための飲食代を先払い。皆の「居場所」のカフェ
つくろい東京ファンドは、「住まいは基本的な人権である」との理念に基づき、路上やネットカフェで生活している人たちのためのシェルターを作ってきた。
しかし、住まいという物理的な課題が解決されても、課題は残る。
ホームレス状態を抜け出しても、多くの人が「孤立」や「就労」の問題に直面するのだ。
高齢や障害・疾病のため、一般就労が難しく、社会的にも孤立する人たちがいる。
そのような人たちを支えるために、つくろい東京ファンドは2017年、カフェ潮の路をスタートした。
カフェは、路上生活やシェルターでの生活を脱し、アパートに移った人たちの「就労の場」、そして孤立を防ぐための「居場所」となっている。
1階にはコーヒースタンドがあり、2階ではお弁当を販売している。どちらも週に一度、木曜日の正午から午後3時に開店している。
ここには、「次に来る誰か」のために飲食代を先払いする「お福分け券」という仕組みがある。
小林さんは「ここは、お金がないことを負い目に感じずに入ってこられる場所」だと説明する。
生活が苦しい時でも、スタッフに券を使いたいと伝えると、700円分のお福分け券で、お弁当と、コーヒーもしくはもう一品のおかずを選ぶことができる。
ホームレスや生活困窮を経験した人たちの「就労の場」になっていて、今は小林さんらつくろい東京ファンドのスタッフ以外にも、3人の仲間が働いている。それぞれ、路上生活やシェルターでの生活などを経験した人たちだ。
小林さんは「誰もが無理せず働ける寛容な職場さえあれば、それぞれの持ち味を活かして働けるということを、このカフェは証明している」と話す。
営業日には、小林さん自身がキッチンに立ち、お弁当を作る。お弁当を求めてやってくる人たちは、キッチンにいる小林さんと小さな世間話をすることも楽しみにしている。
「衝撃を受けた」年越し派遣村の映像。そこから生活困窮者支援の道へ
小林さんが生活困窮者支援に携わって、14年になる。
きっかけは、「年越し派遣村」の映像を見たことだ。
リーマンショックによる不況で多くの人が仕事や住まいを失い、2008年12月〜09年1月の年越しの際に、東京・千代田区の日比谷公園に「派遣村」がつくられた。
幼少期をアフリカとインドネシアで過ごした小林さん。社会人になってからもニュージーランドやマレーシアでホテル業界や営業職で働いたり、上海で社会人学生として学んだりと、海外生活が長く、日本の貧困については「無知だった」という。
年越し派遣村の映像をテレビで見て「衝撃を受けた」。
「映像を見て、どこの国でこんなことが起きているのかなと思ったら、日本だったんです。それまでは、日本の貧困やホームレスについて、全く見えていませんでした」
急いで本を取り寄せて日本国内の貧困問題について勉強をした。
日本へ帰国後、NPO法人「ビッグイシュー基金」にインターンという形で入り、そこから生活困窮者支援に携わり始めた。
今では、カフェの運営の他に、生活困窮者の支援に奔走する日々だが、「SOSが途切れない状態」が続いている。
日本社会では「人様に迷惑をかけるな」と教えられ育ち、生活保護に対する偏見も強いため、生活保護を必要としている困窮状況でも、申請をためらったり、拒否したりする人も少なくないという。
そのような状況の中で、やっとの思いで福祉事務所に申請に行っても、申請をさせてもらえなかったり、職員の心無い発言や冷酷な態度に心が折れてしまったりする人が後を絶たない。
小林さんは、そのような職員の態度は「世の中の生活保護への偏見や差別意識を反映している」と考える。
「根深い差別意識を感じます。尊敬するケースワーカーの人もいる一方で、地方に行けば行くほど酷い状況があります」
一方で、世間一般の生活保護に対する偏見や自己責任論的な考え方は、コロナ禍での雇い止めや生活困窮者の増加を経て、「潮目が変わった」と感じるという。
「生活保護利用者に対する風当たりは、SNS上などでも以前はすごく強かったです。でも、コロナ禍では『自分もそうなるかもしれない』と多くの人が感じたのだと思います」
「それまで普通に生活をしていた人が、それまでの生活を維持できなくなり、家を引っ越さなければならなくなったり、食費を少しでも浮かそうとフードパントリーに来たりするということが起こっていました」
実際に、つくろい東京ファンドの活動に賛同してくれる人や支援も増えた。
「コロナ禍は、ある日突然日常が一変するという意味で、すべての人の足元を揺らす出来事でした。生活困窮が身近である人もそうでない人も、社会保障のあり方を考えたり、他者に思いを寄せるきっかけになったと感じます」
コロナ禍で困窮した人たちは、今
新型コロナウイルス禍の際には、世界的に経済が低迷し、日本でも雇い止めや派遣切りなども相次ぎ、生活に困る人たちが多く出た。
東京つくろいファンドではコロナ禍、家を失ったり、日々食べていくあてがなったりした人たちの生活相談に乗り、生活保護に繋げるなどの対応を必死にしてきた。
感染予防の「ステイホーム」が叫ばれる中、「ステイホームする家がない人たち」への緊急支援。小林さんは、他の支援仲間たちと「困窮支援日記」を綴り、『コロナ禍の東京を駆ける』(岩波書店、2020年)にまとめた。
世の中は新しい日常へと移ったが、コロナ禍で困窮し、小林さんたちがサポートした人たちは、どうしているのだろうか。
小林さんは、「今でも年賀状が来て、『あの時助けてもらわなかったらどうなっていたか』と連絡をもらうこともある」とし、こう話した。
「コロナ禍が理由で失職し、一定期間のみサポートが必要だった方の中には、コロナ後には仕事を得て、元気に暮らしている方もいます。でも、コロナ禍で雇い止めや派遣切りにあって助けを求めてきた人たちの多くは、それ以前からもネットカフェ生活をしていたり、自転車操業で暮らしていたりした人たちでした」
「トラウマがあって精神的に辛かったり、疾病や依存症があったりと、綱渡りのようなつらい生活をしていた方も多かったので、コロナ禍の後も不自由さや不安定さが続いています」
SOSが届く度に、小林さんたちは駆けつけて、サポートを続けている。
「いい青空だ」。夜空を見上げてこぼした一言
漫画『夜廻り猫』の著者・深谷かほるさんが描いた本のカバーイラストには、つくろい東京ファンドがサポートしていた男性、伊藤さん(仮名)と小林さんが描かれている。
6年前、シェルターを逃げ出した伊藤さんをようやく見つけ出し、路上飲みをした時の風景だ。
伊藤さんが路上飲みをしながら夜空を見上げてこぼしたのは「いい青空だ」という言葉だった。
「晴れてたんですよね。『ああ、いい青空だ』って言ったんですよ。夜なのに?と思ったんですが、確かに青いんですよね。そうかそうかって。太陽がない時はわからないけど、でも空はそのまま、そこにあるんですよね」
「太陽が沈んだ後の夜でも、青空はある。それからは夜空見ると、『あ、今日も青空だ』って気づけるようになりました」
こうして、活動を通して出会う人たちから、日々多くのことを学んでいるという。
少しずつ改善はしていても、日本社会はまだまだ「家なき人」に優しくない。
それでも、生活に困窮する人たちの暮らしを少しでも支え、より良い社会を作っていこうと、今日も小林さんは「家なき人たち」の隣で伴走する。
Source: HuffPost