08.03
インフレへの「軽視」と「慢心」こそが70年代型インフレ危機の再来を招く
<インフレ懸念が高まるなかで指摘される暗黒のニクソン政権時代との共通点、バイデンの分析と対応は果たして正しいのか> アメリカの大統領はみんな、「リチャード・ニクソンに似てきた」と言われるのを嫌う。しかし今、ジョー・バイデン大統領が第37代大統領ニクソンのようになりはしないかという懸念を、多くの専門家が抱いている。 ウォーターゲート事件並みのスキャンダルを起こすという心配ではない。ニクソンが1970年代に引き起こしたような壊滅的なインフレの種をまいているのではないかというのだ。 既にインフレはエコノミストの予想以上に進んでおり、ニクソン政権時代との類似点を指摘する声もある。例えば国防費と巨額の社会事業費による財政赤字の拡大、FRB(米連邦準備理事会)が金融緩和を楽観視している可能性、「ショック」(当時は石油ショック、現在は新型コロナウイルス対策が目的の規制)によって供給が減少した後の需要の回復などだ。 6月の米消費者物価指数は前年同月比で5.4%上昇し、13年ぶりの大幅な伸びとなった。この数字が新たなインフレ懸念をかき立てたため、バイデンは先週の記者会見で「状況を注視する」と語った。 ホワイトハウスとジェローム・パウエルFRB議長は、物価上昇は自然に落ち着くという立場だ。だがエール大学経営大学院のジェフリー・ガーテン教授は、問題はバイデンがニクソンのようにインフレが起きる危険性を軽視していないかどうかだと指摘する。 72年に再選を目指したニクソンは、インフレより失業のほうが大きな問題だという「政治的」な判断を下した。2024年に再選を狙うバイデンも、同様の判断を下さないだろうか。「バイデン政権も、分析が間違っていた場合の対策を甘くみているのではないか」と、ガーテンは言う。 経済が抱える時限爆弾 6月にはドイツ銀行がインフレに関する報告書を発表し、物議を醸した。ドイツ銀行のエコノミストらは、いま世界経済は「時限爆弾を抱えている」と警告し、タイミングは23年になるとしても「インフレは到来する」と予測。FRBはコロナ後の雇用拡大などの「社会的目標」を追求しているが、インフレへの備えは不十分だろうと指摘した。 「バイデンが負のスパイラルを引き起こしている危険は確かにある」と、ハーバード大学のアンドレイ・シュレイファー教授は本誌のメール取材に答えた。彼が引用したのは、大学の同僚で元財務長官のローレンス・サマーズの主張だ。サマーズは、バイデンが打ち出した巨額の財政出動を伴うコロナ後の再生計画が、最低賃金の引き上げや規制強化などと相まって、深刻なインフレを引き起こす可能性があると指摘し、論議を呼んだ。 ===== バイデン同様に物価上昇は一時的なものと捉えるパウエルFRB議長 GRAEME JENNINGS-POOL-REUTERS 「サマーズが言うように、アメリカは今年、かなりのインフレになるだろう」と、シュレイファーは指摘した。「それによって公共部門の労働者の賃金や社会保障の受給者などの所得は大幅にアップし、おそらく組合員らの賃上げ要求も高まるはずだ。こうしてスパイラルは始まる」 それでも大半のエコノミストは、70年代型のインフレが再来するという懸念には根拠がないと考えている。アメリカでは新型コロナの感染拡大への懸念が再び高まり、飲食店や企業が活動を停止した。債券市場の金利が依然として低いのも、インフレ懸念が小さい表れとみられている。 さらに70年代との大きな違いは、インフレ期待が当時に比べて非常に低いことだ。物価は依然として安定しているというのが大方の見方で、賃金の引き上げを要求するような浮き足立った動きはない。 FRBが頼れる存在に 「70年代との間には類似点も相違点もある」と語るのは、財務省高官を務めたハーバード大学のカレン・ダイナン教授。「経済活動の低水準期は、供給ショックによっても需要ショックによっても引き起こされる。今は一部に、制約要因や人材難などの供給問題があるようだ」。ただし供給問題は一時的なもので、持続的な高インフレを招く可能性は低いと、彼女は言う。 70年代の二の舞いにならない最大の理由として多くの専門家が挙げるのは、FRBの姿勢が違うことだ。当時のアーサー・バーンズ議長は、インフレの危険性を軽視しつつ、賃金や物価を管理しようという無駄な間違いを犯した。 「現在のFRBはインフレの抑制に熱心だ。その点が大きな違いだ」とニューヨーク大学のマーク・ガートラー教授も言う。 IMF(国際通貨基金)のチーフエコノミストだったオリビエ・ブランシャールは、ワシントンに慢心がはびこっていないかと危惧する。現在のコロナ禍や、古くは07年からの世界金融危機のデフレ圧力に慣れ切っているFRBは、目立った対策を取らずにやり過ごすかもしれない。 だがブランシャールも、今日のFRBのほうが70年代に比べてはるかに対応力があると考えている。「今回も後手に回ったとしても、最後には持続的なインフレの兆候に対処すると思う」 FRBはニクソン時代よりも格段に頼もしくもなった。パウエルはドナルド・トランプ前大統領に任命されたが、これまで議長としての独立性を高く評価されている。一方で70年代に議長を務めたバーンズは、インフレが進んでいたにもかかわらず、低金利を維持せよという大統領の執拗な圧力に屈し続けた。 ===== それでも以前からFRB議長の席を狙うサマーズは、今のFRBはインフレ懸念への対応が遅いと批判し続けている。当分の間はゼロ金利でいけるというFRB当局者らの見通しについて、彼は5月に、「たわごと」に近いと述べた。 「以前のFRBならパーティーが盛り上がる前に(酒が入った)パンチボウルを片付けたが、今は酔っぱらいがうろつきだすまで片付けない」 ノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は、この主張は大げさだと考える。彼のみるところ、インフレ懸念に対処するには今のFRBのほうがはるかに有利な位置にある。金利はゼロに近いから上がるしかなく、インフレの兆候にも小幅の利上げで対処できる可能性があるという。 「ゼロ金利ゆえにFRBは強大な力を持つ。このようにインフレを抑えられる立場にいたことはない」と、スティグリッツは言う。 世界経済はインフレという時限爆弾を本当に抱えているのか。その点を見極めるには、時計がもう少し進むのを待つしかないのかもしれない。 From Foreign Policy Magazine
Source:Newsweek
インフレへの「軽視」と「慢心」こそが70年代型インフレ危機の再来を招く