06.18
実写版『リトル・マーメイド』はなぜ、“違和感”を超えて人の心を掴んだか。アニメーションの「その先」に描いたもの【考察】
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ディズニー創立100周年の節目に、満を持して実写作品として蘇った『リトル・マーメイド』。日本に先立って公開されたアメリカでは、初日を含めた3日間の興行収入が実写版『アラジン』(2019年公開)を超える好スタートを切った。1989年公開のアニメーションの実写版とあって、公開前から注目を集めていた。
特にアメリカでは主人公のアリエル役に黒人のハリー・ベイリーがキャスティングされたことでファンの間で論争が生まれた。アニメーション版と肌の色が違って見えることなどが理由で、Twitterでは「#NotMyAriel」などのハッシュタグで批判も寄せられていた。日本でも「イメージと違う」という声が一部で聞かれている。
だが、長年に渡ってディズニー作品を考察してきた筆者は、同作を観て『美女と野獣』や『アラジン』に並ぶ屈指の完成度の高さを感じた。アニメーションから30年以上の時を経て制作された実写版をなぜそのように感じたか、改めて考えてみた。(※ここから先は作品の内容に触れています。ご了承の上でお読みください)
「やっぱりこうだよね」。久しぶりの“直球勝負”に感じた魅力
そもそも、ディズニーがアニメーションの実写化に本格的に舵を切ったのは2014年公開の『マレフィセント』からだ。“古典的作品”と言える『眠れる森の美女』(1959年)に登場する悪役に焦点を当て、完全オリジナルストーリーで実写化した。そこからは『シンデレラ』(2015年)、『美女と野獣』(2017年)、『アラジン』(2019年)、『クルエラ』(2021年)など人気アニメーションの実写化を次々に実現してきた。
今回の『リトル・マーメイド』には、アジア系やアフリカ系などの様々なルーツの俳優を起用するなど「多様性」が重視されたキャスティング、王子エリックの葛藤を丁寧に描く点など、新たな楽曲を含め実写ならではの刷新はもちろん複数ある。だが、物語の全体で総括すれば、良い意味で「驚き」は少ない。逆に言えば、ストーリーの観点では「かなりアニメーションに忠実に制作された作品」と言って良いだろう。
実写版のアリエルは相変わらず自由気ままで好奇心旺盛。「広い世界を見たい」という想いに溢れ、そして、エリック王子にも一途に憧れていた。時を経てアニメーションから実写に至る中でも、キャラクター要素としての“足し算”は多くなかった。
実はディズニーの近年の実写作品では、主人公のキャラクター設定に関する「足し算」が多かった。
例えば、実写版の『アラジン』の王女ジャスミンはアニメーションと違い「国王になりたい」という希望を口に出す。また、『美女と野獣』のベルは馬を活用した洗濯機を自分で考案したというエピソードが追加され、職業は「発明家」という設定だった。
これらは「女性のエンパワーメント」が強く意識された結果と認識されている。アニメーションとの差別化を強く図ったことで“真新しさ”を感じさせたが、その一方で、感想としては作品全体の完成度よりもベルやジャスミンの変化が最も印象に残ることになった。
筆者が過去にも書いたように、映像作品で「主人公のキャラクター像」に時代のアップデートを反映させるのはごく自然なことで、むしろ大きな役割の1つではある。だが、アニメーションのファンにとっては、複雑な思いを抱きがちなポイントにもなる。
その点、アリエルの「キャラクター設定」はとてもシンプルなのだ。スクリーンに映る主人公を見て、アニメーション版に親しんできた筆者は率直にこう思った。「やっぱりアリエルはこうだよね」。ディズニーの実写作品でこんな“直球勝負”を久しぶりに感じたのだ。そこに魅力があった。
実写版では他に、フランダーは序盤でサメに追われ、父のトリトン国王は娘の接し方に相変わらず悩んでいた。悪役・アースラの「兄」がトリトン国王だったという事実などにはやや驚くものの、観る人は開始20分で名曲『Part of Your World』に心を奪われ、アリエルとエリックは2匹のうつぼに“真実の愛のキス”を邪魔される。この流れもアニメーションをストレートに再現している。
序盤こそハリーが演じるアリエルに“違和感”を抱いた人もいるかもしれないが、物語が進むにつれ、いつの間にか物語に集中できていたという人も少なくないだろう。
人魚は「白い肌」であるべきか?「設定」に見えた答え
一方で、今作を考察する上で、主人公・アリエルのキャスティングについて言及することはやはり避けて通れない。「キャラクター像」がアニメーション版に忠実だとしても、見た目の印象がアニメーションから変わったことは否めないからだ。
CNNによると、アメリカでは好調な同作がアジアの中国や韓国では観客動員が伸びていないという。その主な理由はキャスティングへの批判だ。
日本でも公開初日を含む3日間のデータでは観客動員46万1000人、興行収入7億1200万円だった。2019年の『アラジン』と比べると、どちらもほぼ半分で、数字の点ではやや見劣りし、いわゆる“ロケットスタート”ではない。
だが、結論から言えば、筆者は主演のハリーの起用は大成功だったのではないかと感じている。その理由の一つは言わずもがな美しい圧巻の歌声にあるが、それだけではないように思う。
ハリーが演じるアリエルや人魚たちを指差し、目を輝かせながら喜ぶアフリカ系の子どもたちの動画も拡散されている。アリエルを見て、「あれ私みたいだ」と笑顔になれる子どもたちが世界で増えるのは、純粋にとても喜ばしいことだ。
アニメーションの舞台だった海底の王国「アトランティカ」は、もしかしたら偶然「“白人”が多く住む地域だった」、と言うことはできるかもしれない。しかし、そもそも人魚姫たちが白い肌の人だけで描かれていた1989年のアニメーションは、今となっては、世界を構成する多様なルーツに目を向けていなかった、あるいは特定の属性を排除して描いていたのではないかと見えてしまう。
ロブ・マーシャル監督はハリーのキャスティングについて「ベストな人材を探していた。ただ、それだけのこと。あらゆるタイプの、あらゆる人種の候補者に会いました。そこに意図はまったくありませんでした」と語っている。
実写版の舞台は「海底王国」。トリトン国王が統治するのはアニメーションと同じだが、広大な海がいくつかに分けられていて、物語の序盤に複数の娘たちが各々のエリアの出来事を報告するシーンがある。これはアニメーションでは描かれなかった場面で、様々なルーツの俳優たちが演じる人魚が登場する。まさに、私たちが生きる現実の世界を反映しているように感じられた。
ちなみに、実写版の「海底王国」は、7つの海を1つずつ表現している。トリトン国王の7人娘はカスピア、インディラ、カリーナ、マラ、ペルラ、タミカ、そしてアリエルという名前だ。マーシャル監督は「よりグローバルな雰囲気になった」と実写版の海について語っている。
この設定を「前提」として考えるなら、肌の白い人魚姫だけがいる方がむしろ違和感を抱く。肌の黒い人魚が存在することもごく自然で、ハリー演じる主人公のアリエルがそのうちの一人であったというのは整合性があり、辻褄が合う。
黒人の子どもや女性たちが自分の存在を投影できるキャラクターが新たに存在しながら、アニメーション版のファンにもストーリー展開でさほど違和感を抱かせない、この点も完成度の高さを感じる所以だ。
実写ならではのメッセージは「サンゴ礁」にあった
ディズニーアニメーションが「実写版」として新たに生まれ変わる意味とは、一体なんだろう──。近年、実写作品が公開される度に筆者が考えてきたことだ。
『美女と野獣』や『アラジン』にも言えたことだが、もとのアニメーションが人気であればあるほど、実写化に対するファンの見る目も厳しい。それは期待の裏返しでもあるし、観客動員が伸びないなど実写化が“失敗”に終われば、アニメーションの印象にも繋がるようなネガティブなリスクもある。いわば、「過去の名作に泥を塗ってしまう可能性」があるのだ。
それでもディズニーが名作の実写化に挑戦し続けてきたのは、その裏側に「実写だからこそ伝えられるメッセージを大切にする」という意図があるのではないか。筆者はそのように思っている。
今作で言えば、そのうちの1つは「地球環境」へのメッセージだったように感じる。印象的なシーンがある。
海で事故に遭ったエリック王子。その王子を助け、恋をしたアリエルはうわの空だが、海底に落ちたその船の残骸をトリトン国王の娘たちが片付ける。その際、「沈没船による(海への)被害を人間は知らないの?」「このサンゴを再生させるのに数千年かかるというのに」という言葉で人間たちに不満を漏らす。かつてのアニメーションには無かったセリフであり、現実世界での地球環境の悪化に対するメッセージなのだろうと、筆者は受け取った。
実際、世界ではサンゴ礁の生態系が脅かされており、それによって生物多様性にも大きな影響が出ている。日本でも状況を改善しようと「サンゴ礁生態系保全行動計画2022-2030」が策定されている。
アニメーションではトリトン国王が人間を嫌う理由は「人間は野蛮だ」とやや一方的な思い込みの強い主張をしていたが、実写では人間は「豊かな海の自然を脅かす存在になってしまっている」という明確な理由が描かれていた。
『リトル・マーメイド』のアニメーションの尺は1時間23分。一方、実写版は2時間15分と約50分ほど長い。一般的に、オリジナルよりも実写版の方が長くなる傾向があるが、尺が長くなったからこそ新たなシーンやセリフを盛り込むことができる。それによって、当時のアニメーションでは盛り込まれなかったメッセージを伝えることができるのだ。
冒頭から、まるで水族館の大きな水槽を覗いているかのような圧巻の映像美で多様な海の生き物が登場し、見る人の心を惹きつけるだけに、先のようなセリフが1つあるだけでも印象は随分と変わってくる。
これからを生きる私たち人間が避けられない、地球環境をどう守っていくかという課題。アニメーションでは伝えられなかった視点を実写版で「足し算する」ことこそ、やはり1つの大きな意義と言えるだろう。
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代表的なアニメーションの実写に限れば、アメリカでは2024年3月に『白雪姫』の公開が予定されている。『白雪姫』は初期のディズニーを代表する名作だ。オリジナルの作品を打ち出しながら名作アニメーションを実写化するという流れは今後も続くと予想されるが、名作の実写化への依存度が高く、新作の印象がやや薄いことは今後の1つの課題だ。
ディズニー創立100周年。オリジナルのアニメーションへのリスペクトを忘れず、かつ完成度の高い実写作品を今後も届けて欲しい。
Source: HuffPost