2021
07.15

メルケル後のドイツを揺るがす「極右に熱狂する」旧東独の反乱

国際ニュースまとめ

<極右政党が旧東独地域では第2党の地位に。再統一から30年が経つ現在も情勢に不満を抱く市民の支持を集めている理由とは> なぜ旧東ドイツ圏では極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が強いのか。6月に行われた東部ザクセン・アンハルト州での地方選挙の前夜、地元の有力政治家マルコ・ワンダーウィッツにそんな質問が飛んだ。 ワンダーウィッツはドイツ連邦政府で旧東ドイツ担当特別委員を務める男。アンゲラ・メルケル首相と同じ中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)に属する。 少し考えてから、彼はこう答えた。そうだな、東部でAfDが強い背景には過去の強権体制がある。だからCDUのような主流派が「取り戻せる」有権者はごくわずかだ。そもそも「この人たちは独裁時代に、ある程度まで社会主義化されている。だから30年たってもまだ民主主義に達していない」。ワンダーウィッツはフランクフルター・アルゲマイネ紙にそう語った。 当然、すさまじい反発を食らった。偏見だ、上から目線だ、等々。再統一後のドイツで、旧東ドイツの市民は肩身の狭い思いをして暮らしてきた。みんな自分たちを誤解している、軽んじている。ずっと、そう思ってきた。 この暴言騒動で分かるように、ドイツの国政について語る際には旧東独圏の特殊な役割を見落とせない。もうベルリンの壁崩壊と東西ドイツの再統一から30年以上が過ぎたのに、ブランデンブルク、メクレンブルク・フォアポンメルン、ザクセン、ザクセン・アンハルト、チューリンゲンの東部5州は、いまだに「新連邦州」と呼ばれることが多い。 総選挙の行方を左右しかねない 実際、旧西独圏とは投票傾向が大きく異なる。2カ月後の総選挙の行方を左右しかねない問題なのだ。 2014年にはザクセン州を中心に、反イスラムの大衆運動PEGIDA(西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者)が台頭した。AfDは17年の連邦議会選(総選挙)で東部を中心に躍進し、初の議席を獲得した。だから西から見ると、今も東は民主的選挙の問題児なのだ。 「(1989年に東独の市民は)自由選挙、言論の自由、移動の自由を求めて街頭に繰り出し、民主主義の権利を求めて闘った」と言うのは、南ドイツ新聞のベルリン副支局長ケルスティン・ガンメリンだ。「しかし壁の崩壊後は西側の体制がそのまま持ち込まれ、気が付けば東の市民は負け組になっていた」 「筋が通らない。彼らは実際に壁を打ち壊した勇気ある市民なのに、西側では今も敗戦国の住民扱いだ」とガンメリンは憤る。 ===== 旧西独圏では伸び悩むAfDも、東部では今や主要政党の1つだ。東部5州全てで第2党につけており、時には投票総数の4分の1以上を獲得することもある。 しかも東部のAfD党員、例えばチューリンゲン州のビョルン・ヘッケや元ブランデンブルク州支部代表のアンドレアス・カルビッツらは西部の党員よりも急進的だ。 対照的に、「緑の党」は東部で振るわない。全国規模の世論調査では一貫して支持率2位につけ、次期連立政権への参加も確実視されているのに、東部では左派系の一部の都市を除けば苦戦している。逆に、旧共産党の流れをくむ「左派党」は西部より東部で善戦している(ただし近年はAfDに押されて従来の勢いを失いつつある)。 世論調査会社フォルサによる直近の調査で、緑の党の支持者は西部で26%、東部で12%。AfDは東部で21%で2位だが、西部では7%。東西で平均して支持されているのは現与党のCDUだけだ。 「再統一から30年たっても、まだ一つじゃない」と言ったのはフォルサの政治アナリストのペーター・マツチェックだ。「依然として2つの異なる有権者集団がある」 問題の根源は壁の「崩壊後」にあった 今年行われた3つの州選挙には、そうした投票傾向の違いが明確に表れた(新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあっただろうが)。 南部バーデン・ビュルテンベルク州と西部ラインラント・プファルツ州で3月中旬に行われた地方選では、AfDが大敗を喫し、緑の党が議席を増やした。 ラインラント・プファルツ州ではAfDの得票率が8.3%で、前回の16年に比べて4.3ポイント減。緑の党は4ポイント伸ばして9.3%だった。 バーデン・ビュルテンベルク州では、11年から州首相を出している緑の党が2.3ポイント増の32.6%を獲得。対照的にAfDは15.1%から9.7%に下げ、州内の支持者の3分の1近くを失った。 一方、AfDは地盤のザクセン・アンハルト州の6月6日の投票で、(新型コロナの影響で支持率が落ちたとはいえ)20.8%を獲得した。16年の選挙時に比べると微減だが、全国平均の得票率の2倍以上だった。 なぜこれほどの違いが出るのか。少なくとも筆者の取材した範囲では、遠い昔の「社会主義」の残滓より、むしろベルリンの壁「崩壊後」の事態に問題がありそうだ。 ===== 東の住民が不満を抱く理由は十二分にある。この地域は経済的に西ほど恵まれておらず、賃金水準は低く、失業率は高い。地域の産業の多くは旧西独または外国の企業に支配されているし、この間にもっと人件費の安い外国へ出て行った企業も多い。 そして現首相のメルケルこそ旧東独育ちだが、全体として見れば経済界でも政界でもメディアでも、東の出身者がトップに立っている例はあまりに少ない。 加えて、15年から16年にかけての難民の流入がAfDのような極右政党を勢いづかせた。ドイツ東部にやって来た難民はごくわずかだったが、「やっと立て直した生活を再び失うかもしれないという大きな不安が住民の間に広まった。そして彼らの多くがAfDに投票した。そんな事態は絶対に防ぐとAfDが約束したからだ」と、南ドイツ新聞のガンメリンは言う。 AfDは住民の恐怖心に付け込む一方、彼らが30年前の熱気に対して抱く郷愁も利用している。東部5州のうち3州で地方選挙があった19年、AfDは「革命を完成させよう」と呼び掛け、選挙ポスターで「われらこそ人民」だと宣言した。後者は30年前に決起した旧東ドイツ民主派のスローガンだった。 今春のザクセン・アンハルト州デッサウ・ロスラウでの選挙運動でも同じ手が使われた。AfD幹部らは町の広場に集まった100人ほどの聴衆に、AfDは個人の権利を擁護する唯一の党であり、1989年の民主化闘争の志を継ぐ政党だと言い切った。 「東の人は現実を直視している」 「一緒に歴史を書こう」。AfDの連邦議員アンドレアス・ムロセックはそう叫んだ。「いつか子や孫に『私は本物の政治的変化に手を貸したんだ』と誇れるぞ」。今年の地方選と秋の総選挙でAfDは「市民の自由とドイツの民主主義を守る!」と大見えを切った議員もいる。 もっとクールな見方をするのは、元連邦議員で女性のアンチュ・ヘルメナウ。以前は緑の党に属していたが、15年に離党した。彼女に言わせれば「東の人は現実を直視しているが、西の人は夢を見ている」。だから投票行動に差が出るのは当然だ(ちなみに彼女は、緑の党も現実を見ていないと批判する)。 ヘルメナウによると、東のドイツ人は今も、感覚的には(西欧ではなく)東欧の一部だ。ベルリンの壁が崩壊してから暮らしは一変し、みんな大変な思いをしてきた。だから自分たちの今の暮らしを守りたいという意識が強く、権力者やメディアの言うことは信用しない。 ===== ヘルメナウによれば、AfDは旧東独圏のあらゆる年齢層で平均的に支持を集めている。6月のザクセン・アンハルト州の議会選で、AfDは18~24歳の票の17%を獲得(1位のCDUとの差はわずかだった)。25~34歳では28%を獲得し、他党を圧倒した。 「民主主義になじめない高齢者だけがAfD支持だというのは間違いだ」とヘルメナウは言う。「社会主義など知らない若い世代もAfDに投票している」 しかも東のドイツ人は、一般に特定政党への忠誠心が薄い。そのため票の出方が変わりやすく、それがAfDの躍進を助けてもいる。ヘルメナウは言う。「みんな平気で政党を乗り換える。彼らは(政治を動かす側ではなく)政治を消費する側だと思っている。だから自分の都合で戦術的に投票先を決める」 東部諸州が国政を左右する 総選挙は9月に迫っている。今回も東部5州での勝敗がドイツ国政の行方を左右するのだろうか。ドイツの総人口は8320万。東部5州の人口は1250万にすぎない。つまり数字的には15%にしかならないのだが、政治的には大きな意味を持つ。 各政党の支持率が拮抗しているため、どの政党による連立政権が実現するかは、1つの政党の支持率が数ポイント違うだけで、がらりと変わってしまう可能性がある。 投票結果とは別に間接的な影響も無視できない。昨年、東部チューリンゲン州でCDUの地方議員らが水面下でAfDと協力関係を結んだときは、当時のCDU党首アンネグレート・クランプカレンバウアー(メルケル自身が後継者に指名していた人物)が辞任に追い込まれている。これだけでも、東部諸州の役割がいかに微妙かが分かる。 「数だけ見れば、東部5州の有権者は北西部のノルトライン・ウェストファーレン州よりも少ない」と南ドイツ新聞のガンメリンは言う。「しかし各州で積み上げた議席数が拮抗した場合に、カギを握るのは少数派の票の出方だ」 From Foreign Policy Magazine

Source:Newsweek
メルケル後のドイツを揺るがす「極右に熱狂する」旧東独の反乱