07.13
韓半島に「人権」が入って来て、「法治」が導入され、義務教育と産業化、衛生観念など、あらゆる分野での近代化が始まったのは日帝時代
「私がこの世を去る日までいくらも残っていないのだが、今からでも真実を語りたい。日帝時代は今日の人々が語るような暗黒期では決してなかった。当時の一般人らにとって、日帝時代は平和で穏やかな時代だった。」
今日の韓国人らの頭の中にある日帝時代のイメージは、日帝時代末期の韓半島に徴用が適用された1944年3月から1945年8月までの混乱期に朝鮮人らが被った「苦痛」と「悲しみ」によってのみちりばめられているようだ。
そして朝鮮人らのこのような苦痛と悲しみが日帝時代の35年間全体を支配したものとして、今日の韓国人らは確信しているようだ。しかし1年6か月に過ぎなかった日帝時代末期の戦争混乱期が日帝時代全体を代弁するとは見られない。
35年間の内の1年6か月間であれば、比率で問い質しても5%に満たない短い期間だ。5%にもならないものは、全体を代弁できないものだ。5%ならば全体を代弁することはおろか、むしろ例外の側に属すると見るのがより妥当だ。
日帝35年間と同じ期間として、その後の35年間を観察してみよう。日帝の後の35年間ならば、1946年から1980年までの期間だ。「6・25」(朝鮮戦争)、「4・19」(不正選挙に対抗した1960年の四月革命)、「5・16」(1961年の軍事クーデター)、「5・18」(1980年の光州事件)などの混乱期があった。
だからと言って、今日の韓国人らは1946年から1980年までの35年間を描写する際、「同族殺しの6・25によって、殺るか殺られるかの苦痛と悲しみで満ちた35年」だという風に語りはしない。正常な韓国人であれば「6・25などがあったが、漢江の奇跡と言う経済発展をなした跳躍期」だという風に大体に描写するだろう。
ファクトを語ろう。韓半島に「人権」が入って来て、「法治」が導入され、義務教育と産業化、男女平等、衛生観念、金融システムなど、あらゆる分野での近代化が始まったのは日帝時代からだ。
更には冷遇されてきていた「ハングル」が体系的に普及し始めたのも日帝時代からだ。学校などの公式の場で日本語のみ使わねばならないという政策が1938年に導入される前までは、ハングルを広く普及させて教育させたことは全面的に日帝のお蔭であった。
日帝の後の35年間、「6・25」、「4・19」、「5・16」、「5・18」などの混乱があったのに比べ、日帝の35年の間にあった混乱は「3・1運動」(万歳運動)と徴用程度だ。武装独立運動のケースはその活動が誇張された側面が多く、当時の一般人には何ら影響もなかったと見られる。
一言で言って、一般人の立場からは日帝時代の35年間が、その後の韓国の35年間に比べて、むしろ平穏な時代であったという逆説が成立する。
全文はソースで
https://www.wowkorea.jp/news/korea/2021/0713/10307001.html
Source:脱亜論
韓半島に「人権」が入って来て、「法治」が導入され、義務教育と産業化、衛生観念など、あらゆる分野での近代化が始まったのは日帝時代