06.26
針が怖くて献血を嫌がる日本の学生にワクチン接種は広がるか
<新型コロナウイルスとの戦いは、いかにワクチン接種を進めるかにシフトしてきている> 日本で新型コロナウイルスが最初に確認されてから長い間、都道府県ごとの感染者や重傷者の数がニュースの常連項目だった。しばらく前からはそこに都道府県別のワクチン接種率が表示されるようになったことをみて時代の変わり目のようなものを感じた。メディアも今後ワクチン接種関連ニュースに軸足をシフトしていくに違いない。世の中の変化を確実に感じる。 世の先を占う株式市場を見てもコロナ明けを見据えた業種の株価が場合によってはビフォアコロナの水準に既に達している。次のステージに進んでいることを示している状況はこんなところにも。コロナ騒ぎが始まった当初は大騒ぎとなったコロナ感染者や関係者が被害を被るコロナ差別も、ここにきて差別の対象が徐々にワクチン非接種者に向かってきている。 コロナによって社会が確実に分断された。その最たるものは健康をとるか経済をとるかだったが、2つはがんじがらめになっていて切り離しようがないことをこの間、各々が身にしみて分かったにもかかわらず、極論に執着した政治・社会構造は以前にもまして健在だ。経済か健康かの分断の延長線に今になって現れているのはおそらくワクチンを打つか打たないかだ。ファシズムや同調圧力と言われたらそれまでだが、集団免疫を求めワクチンを接種する方向で社会が突き進むことを止められるとは考えにくい。 私は大学教員をしている関係で若者と話をすることが自然と多い。この前から聞かれてある意味、返答に困っているのは、ワクチン接種についてだ。見渡す限り「できたら受けたくない」という日本人学生も留学生も多い。私が勤める大学も職域接種に向けての体制なども進んでおり、教え子に限らず、日本の若者のワクチン接種が今後どう進むのかをある意味、研究対象としても楽しみに見守っている。 注射の針が「怖い」 実は私は大学のボランティア系科目の担当教員である。そんなこともあって、学生とともに献血推進のボランティアにも取り組んでいる。具体的には年1、2回の献血の呼び込みと献血協力ということになる。一見聞こえは良いだろうが、実態はそれほどうまくいっているわけではない。はっきり言って、呼び込みは上手くいくが、献血協力は上手く行かないのだ。これは年々深刻になる一方だ。 学生は「献血はしたくない」というが、その理由はたった一点に集約される。「針が怖い」ということだ。もちろん熱心に献血をしている学生もいることはいる。たが全体として見ると献血推進活動の現場には献血不足の深刻さを訴え、献血協力を他者に求めながら、自らは針が怖いから献血しないというなんとも自己矛盾を抱えている若者でごった返しているのだ。もう1つ付け加えれば、献血に消極的なのは日本人学生の1つの特徴でもある。傾向としては留学生の場合は献血に積極的な学生がむしろ多い。 ===== ひと昔前なら「甘えるな、がんばれ!」と背中を押せたかもしれないが、今の時代はそんなことも許さない。下手したらハラスメントで訴えられかねない。「世の中で輸血者が命を繋ぎ止めるために血液が必要としていて、針が怖いとか怖くないとかの稚心と同列に並べて語るなかれ」や「人生で自らもそうだが、愛するものが輸血にお世話になることなく人生を全うすることはありえないのではないか。自分が協力出来るうちに協力するのは筋ではないか」などありったけの語彙力を駆使して相手を諭そうとしたところで悲しいながら結果が変わったことははっきり言って一度もないのだ。そういうこともあって、個人的には今回のワクチン接種はどう進むのか興味がある。 今回政府の立場などから説明されている接種が求められる理由は2つだ。1つは自らの命を守るため、そして周辺の愛する者も含め、周りの人々の命を守るためだ。この2つの理由は繋がって見える者もいるだろう。つまり自分も助かり、周りも助けるという一石二鳥の境地だ。しかしこの二つがしっくり繋がらず、どちらかの理由で、つまり自己のためか、他者のためのいずれかの理由で接種に至る者もいるだろう。そして上記のいずれの理由にも突き動かされず接種しないという者も確実に出てくるだろう。 日本に限ったことではないが、ここにきてベーター変異株の流行もあり世界中で若者のワクチン接種を促している。現時点ではまだ主にワクチンが行きわたっている欧米などの先進国の話ではあるが、若者のワクチン摂取は進まず困っているようだ。むろん進まない理由は日本のように「針が怖い」とは流石に海外からは聴こえてこない。 ワクチン接種の「ご褒美」は有効? だからと言って対策としてフィリピンのドゥテルテ大統領のように「ワクチンを打たなければ刑務所に入れる」と脅すわけにもいかず、世界的にも、日本もそうだが官民学などあらゆるレベルでのご褒美合戦となっている。政策や対策は結局のところ「飴」と「鞭」しかないのだと改めて実感する。 実は献血の際もご褒美は用意している。だがそれを見て心変わりする若者は個人の経験上いない。今回のワクチンを促す際のご褒美は有効だろうか。ただ今回のワクチンは、ご褒美つまり飴だけではない。この流れだとワクチンを打っていないと行動が制限され、学生ならもしかしたら就職活動にも支障が出る可能性もある。つまり「鞭」とセットになっている。 私などは文系出であるためなおさらだが、教員の立場では学生に対してワクチンを打ってとも打たないでとも言えない。学生各々の自己判断に委ねることになる。繰り返しになるがこの状況で若者が自らどのような判断を下すのか観察対象として楽しみだ。そして今回ワクチンを打つか打たないかを若者が自ら判断する瞬間に遂げる大きな成長に期待したい。これは本当の意味での成人の儀礼なのかもしれない。
Source:Newsweek
針が怖くて献血を嫌がる日本の学生にワクチン接種は広がるか